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何を信じればいいのか
2024/11/17 21:24 | Comments(2) | 思考及び書くこと
今日の一言「ネットもテレビも怖いな」

まえがき

 一般論って何なのか。
 2ch系の記事って、もう2chとは言わないんだろうか? 5ch?
 よく分からないが、ネットの意見ってテレビとはズレてると、前々から言われていたけど、実際何が正しいのか。

 というよりも、「正しい」ということは、自然科学ぐらいしかないのではとも思う。
 世論に正しいも何もなく、ただそこに存在するだけ。学校生活における「空気」みたいなもんだろう。

アメリカ大統領とか兵庫県知事とか

 現代で戦争を起こした大国についても驚いたが、アメリカ大統領選で某氏がかったこととか、兵庫県知事がかったこととか、すごく驚いた。

 共通する点は、どちらも不祥事を起こして、正式な手続き(選挙など)で退陣して、また選びなおされたということである。

 民衆……何考えてたの……??

 まぁ、兵庫県知事の場合は、直接選挙で不信任になったわけではないから、事情が違うわけだが、民衆の味方代議士(議員)が決めた内容が覆ったということである。

 民意とは……?


自分にはあまり関係ないからよいが

 上の事例は、すぐさま、直接的に自分にとって問題が降りかかってくるわけではないから、まぁ「驚いたなぁ」ぐらいで済むんだけど、実際、自分も関係するような政策とか決めないといけない、判断しないといけない、といったときに、どうやって情報収集したらいいんだろうか。

 その点が分からなくなってすごく怖いなと思った。

 例えば、死刑制度とか、憲法改正とか、この前とりあげたLGBTQの問題とか。

 色々あるわけだが、そのどれもが、なんか「正義」とは程遠い部分で議論されている気がする。

 なんというか、僕は、いわゆる「正義」があればそれでいいと思っている。
 重視するポイントは、「公平」性である。

 公平というと、なんでも平等にすべきとか、そういう考え方の人もいるが、そもそも、人間は生まれながらにして「平等」である。機会の均等性はあるべきだ。だが、そもそもイケメンとブサメンで、どちらも整形して「フツメン」になるべきとか、そんなSFは嫌だろう。

 もう一つ大事と思ってるポイントは、「平和」である。世界平和。みんな仲良くした方がよいと思ってる、本気で。

 うだうだ言ってないで、早く憲法改正しないと他国から攻められて属国にされてしまうのかもしれない。それを防ぐためにスパイが暗躍して憲法改正の動きを止めようとしているのかもしれない。でも正直分からない。憲法改正することと、防衛力高めることとに関連性があるのか? 上にあげた話題はどれも、自分が本気で大事に思ってることではないので、無知をさらけ出してしまうが、正直、このレベルの思考しかしてない人は日本社会にいっぱいいると思う。というか、自分なんかより偉い人や、頭の良い人たちすごくじっくり考えてても、意見に相違があるということは、所詮は「絶対に正しい」ということはどっちを取ったとしてもないのだろう。


 しかしそれよりも大事なことがある。
 自分自身だ。
 いくら世界平和のためだからといって、今すぐ死ねと言われたら抵抗したい。
 仮に、自分が死ぬことが本当に漫画の世界みたいに、自分は症状が悪化しないウイルスで、人に感染したら致死するというのに感染したからといって、自分が死ぬことで世界平和になるとしたって、「いやだ死にたくない!」と言いたい。
 まぁでもそんな状況になったら、殺されるんだろうなぁ哀しいことに。

 10代のころは、早く死にたいというか、死んでもかまわないと思っていた気がするが、それでも、陰謀とか巻き込まれて、無実の罪を着せられて死ぬのは嫌だと思ってた。そういうのは嫌だよね。憎たらしい奴と刺し違えてやるとかは思ってた気がする。

 今は、もはや、その憎たらしい奴の顔はいまでも思い浮かぶものの、殺すほどの気概もなくなった。どうでもいい……。

 だから、「殺人を犯す」ほど人を憎いというのが、いじめられたりとか、ひどい環境にあれば分からなくもないものの、人を殺すというのは、中々ハードルが高いものだと思っていた。

 しかし、最近闇バイトとかいう事件なども見ていると、「あれぇ……人の命、軽いの?」という気持ちにもなる。
 同じ人間と思えないんだが、まぁでも、匿名系のネット記事のコメントとか読んでると、「あー、こんな人間もいるんだな。怖いな人間」って思ってたから、まぁでもそうなんだろうな。いろんな人間がいる。できるだけ人と関わりたくないな。

真実を知ったところで

 問題は、仮に真実を知ったところで、行動できることとしては、なんかそういう「デモ」に参加するか、結局、選挙にいって一票を投じるぐらいしかないのである。

 いくら「真実」があったとしても、その真実が真実であることを確かめるすべがないのだ。

 どう判断するか、考えるかは、個々人で決めなければいけない。

 嘘を嘘と見抜ける人じゃないと生きていけない、とかいうけども、ただ、それって無理じゃないかという気がしてくる。情報がたくさんあったからといって、正しい決断ができるわけじゃないのだ。

 とりあえず、正しいこととは何か。

 お金を銀行に100万円預けるとしよう。
 そのお金は、10年後でも、同じ、100万円として引き出すことができる、ということだ。
 しかし、10年後は、ジュースが1本200円だったのが、1万円になってるかもしれない。
 100万円の価値は、50分の1になってしまったということだ。

 はたして、100万円を10年後のために、銀行に預けたことが正しかったのだろうか?

 100万円使って、1か月ぐらい、高級料理を食べ歩いて豪遊した方がよかったのではないか?

 いや、10年後の100万円があったから、のどか湧いたときに、ジュースを飲むことができた。よかった、幸せだ、と思うかもしれない。


 ぜんぜん、未来が分からない。

結婚のメリット

 めちゃくちゃ、不透明な時代である。VUCAとか言われたりする。
 そういうとき、人生を共に生きていく伴侶がいると、確かに精神面が安定するかもしれない。

 するかもしれないし、しないかもしれない(かっこ笑い)。

 これも全く分からないことである。男はすぐ死ぬから、結婚した方がよい、と聞く言説がある。
 うわぁ、やばい、どうしよう……と、20年ぐらい前なら思ったかもしれない。
 いまは、なんか、全部の言説に「なるほど、そういう場合もあるかもしれませんね」としか思わない。

 全部が嘘、とは思わない。ただ、「絶対にそうなる」ということはこの世にもはや存在しないということが、逆説的に「絶対だ」。
 絶対ということがないということがないなんてことは絶対にないのである。意味不明であるが、「絶対ということがないなんて絶対にない」という二重否定。「絶対ない」なら、絶対があることになるからである。

 そういう意味で、自分で選ぶしかない。

 ちなみに、結婚も良いことがあると思うが、先日下のWEB漫画読んでて、結婚したくないなと思った。(笑)

https://chinakichi.nbblog.jp/

タイトルに戻ると

 何を信じればよいのか。

 信じるんじゃなくて、決めるしかない。

 決めるときに、100%正しく決めることはできない。

 最大の情報を集めて、最大に考えて判断するしかない。

 その最大というのは、物理的な最大という意味ではなくて、自分がその時に取りうる最大という意味である。
 もっと時間をかけたら、もっと他の方法なら取りえた「ベター」があったとしても、その時に知りえなかったのであれば仕方がない、と考えるべきである。

 でも、じゃあその「ベター」かどうかの判断はどこでするのか。

「納得」

 でしかない。自分が、「ああ、あのときはそこまでで精一杯だったな」と思えたらそれでよしとすべきだ。
 後悔したところで仕方がない。

 でもそうやっていったら、どんどん自分に都合よくならないか? 自分に甘くなる一方ではないか? 独善的にならないか?

 なるだろう。

 だから、そうならない努力を最大にすべきである。

あとがき

(かっこ書きである。生きることはかくのごとき難しい。ただ、「後悔」がないようにすべきだと思って生きてきた。そしてそれは間違いではなかったと経験上は思う。後悔した方がよかったなぁと後悔したことはない(かっこ笑い)。歴史の勉強は好きだった。歴史を学ぶほどに、「現代ってましだな」って思ってた。当時の人たちって、ほんと地獄のような人生ばかり送ってたんだろうな、って思ってた。しかし、実際どうなんだろう。今この現代が、未来で振り返った時に、未来人は、「当時の人間たちは、よくそんな社会で生きてたんだなぁ」としみじみするんだろうか。まぁそうあって欲しいなとほんと思うよ。未来人たちが、2000年代はほんと素晴らしい時代だったんだなと涙するような未来は哀しいと思う。けど、そういう1000年単位程度の話ならそうだが、10億年で地球は生命が住めない世界になるという。50億年もすると、太陽にのみこまれそうになるということだが、その前に10億年ぐらいで、そもそも灼熱の星になるということだ。1000年後ぐらいはまだ、人類が生きてるかもしれない。1万年後は謎だ。ホモ・サピエンスが生まれたのが1万年前ぐらいだったっけ。もっと前だった気もするが。数万年経って、人類の今が、最高潮の時で、あとは零落していくだけなのかもしれない。社会について考えれば考えるほど明るい話題がないなぁと思うこの頃である)

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50代を生きることを考える
2024/11/02 13:37 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「メモしないと確実に忘れると思った方がよい」

まえがき

 途中まで書いてたのを誤操作で消してしまった。
 最近パソコンに詳しくなった、電源周りをいじる経験ができた、と書いた気がする。ハードウェアは、物理的に破壊してしまう可能性があるから、怖いね。

物質的世界を生きる

 ある友人が……と書くと、リアルの友人のことを想像するが、基本的に、あんまりリアルの友人がいない……と書くと、なんか、その見栄はっている気すらする、あんまりどころか、いないんじゃないか。
 どこからを友人と呼ぶのか、みたいな、そんなことを研究したいと思ったこともあったような気がする。結局そこまで興味をもてずにやめた。
 でも、人間関係ということには、すごく興味をもった気がする。「集団」というもの。社会学という学問に興味をもった理由がそこらへんにあった気がする。

 どっちかというと、今は宇宙とか物理とかに興味があるけどね。

 で、友人という表現をするとき、ボクは、リアルもネットも特に区別していない。
 どちらかというと、ネットで知り合った友人の方に、すごく影響を受けてきたと思う。

 というか、リアルの友人は、「影響を受けたくない」と思っていた気がする。
 アイデンティティが不確かな多感な時代……思春期的な時は、集団に埋まってしまう恐怖のようなものもあった気がする。目立ちたいというのとは違うし、どちらかというと誰にも見られたくないという「プライベート」を守りたいという気持ちが強かった気がする。

 今はこんなブログを書くように、どんどん自己開示したいという気持ちもあるような気がする。
 ただ、その気持ちを、リアルに発信したいか、というと、別にそうじゃない気がする。

筆をとってみると色々書いてしまう

 なんだ、そんなことを書こうと思ったんじゃなかった気がする。

 まぁでも大事なことでもある。来歴というのがないと、その文章というのはなんか感情移入というか、面白く読めないのだ。
 自分のブログも、事実ベースで書いたとりあえず言いたいことばっかり書いている記事は面白くなかったりする。

 でもたまに、面白い文章というのもある。

 それは果たして、他者が読んでも面白いのだろうか? そこらへん分からないから、たまにコメントくださる方とかいるととても感謝している。

 別に、誤読してもらうこととか、そんな目くじら立てたりしない。そう感じたんだな、そう感じるような文章内容・構成だったんだな、と思うし、それはそれで面白い。

 やっぱり、自分の文章だから、そこに書いている裏の意図的なのが読み取れたりするから、そういう場合は面白い。裏の意図がない文章は面白くないと感じるのだろうか。

50代になったとき

 最近、特に書いておくべきだろうと思って書いているが、今は特に不満はない。

 過去に、戻りたいという時間は、正直無い。

 こう言える人は幸せなのだろうと思う。

 だから、僕は幸せなのだ。

 幸せなのだ、と書くと、なんか不幸を引き寄せる気がして怖いけれども(かっこ笑い)。


 しかし、人生というのは、命というのは、いずれ、終わりは迎えるのである。これは絶対。

 かりに、コールドスリープが実用化したとしても、地球は、10億年後? 1億年後? とりあえず海がなくなる。水がなくなる。微生物すら死滅する死の星となる。

 これはまぁ、わからないけど、きっと確かなんだろう。2億5千万年前のペルム紀の大量絶滅が本当にあったことなのだから、今後の未来、地球環境が大きく変わることはそんなに疑わしいことではないと思う。

 だから、宇宙を知ることは大事なんだと思う。いずれ、地球は脱出しなければ人類は滅亡するのだ。

 1億とか、10億とかは、地球環境的な「絶対」であって、そもそも、いまだに戦争や紛争をなくせない人類が、1000年後も無事かは全くわからない。
 下手したら100年も怪しいかもしれないわけだ。

 でも、なんか漫画であったけど、ぎりぎり追い詰められて、最後の最後にならないと、呉越同舟なんてありえないのである。極端な例だけど、わりと追い詰められないと、敵と手を取り合うというのは難しいのである。だから、そういう物語は逆に面白いけれど、説得力がある描き方しないとしらける。

好きなことをして生きる

 まず、天涯孤独になることを考えてみる……ということで思考をおよぼしたとき、そうだ、最初に書こうと思ったこと思い出したや。
 Youtubeで特殊清掃の動画をみたんだ。いわゆるごみ屋敷とか、孤独死とか、そういったドキュメンタリー。

 ごみ屋敷=男性というイメージがあったが、女性でも多いらしい。

 結構ほんとか、電子機器とかいろんなものに囲まれているので、捨てたい。
 もしくは、もっと広い家に引っ越したい。けど、一人暮らししている分には、20m2ぐらいの大きさで十分なのではないかと思う。

 自分の生活で、まず大事なのは、パソコンがあれば、こうして文章を書いて頭の整理もできるので、大丈夫。
 パソコンといっても、スピーカーと、ディスプレイも必要。それだけでも場所をとる。
 椅子も必要。デスクも当然必要。

 つまり、パソコン、という環境を維持(もちろんノートPCという選択もあるが、そうではないとしたとき)するにも多くの物品が必要なのである。

 冷蔵庫もあったほうがいいし、洗濯も自分でやった方がいい。電子レンジも必要だなー。最近冷凍食品がうまいと思う。

 食器類はもっと減らしてもいい気がする。ガスコンロは、最近、T-falの電子ポッドを買ったので、別にコンロなくてもお湯が沸かせるからいらない気がする。ほんとにまったく使わないなら、ガスコンロの上に足つき台をおいて物置にするという手もある。


 健康と住環境はできる限り維持したい。

 健康診断で体重はかったら、4kgぐらい増えてた。これは大変だと思って、食生活に気を付けたら、△3kgぐらいにはなった。でも、筋力が落ちて、太りやすい体質に変わっているのだろう。

孤独に生きる

 孤立はだめだが、孤独はよいとか、言葉遊びみたいなことをやりたいのではない。40代の生き方みたいな本を読んだが、結婚してない人はいますぐ結婚すべき、ということらしい。
 孤独はよくないかららしい。

 なるほどやばいな……と思わなくもないが、でも、ちょっとやっぱり腑に落ちないというか納得できないのは、「助け合う」という点である。

 なんか、自分のメリットのために結婚とか、コミュニティに属した方がよい、というけれども、いやちょっとまった。

 それ違うと思う。
「助け合う」
 というのは、自分も与える、ということである。当たり前だ。

 結婚したらリスクを軽減できるというのは、それはそうだが、それによるリスクも上がる。

 結婚して1か月後にその相手がリストラされて、介護が必要になったとなったとき、自分が支える必要がある。
 逆の場合はラッキー、って思う?

 いや、それはそれで申し訳ないだろう……。

 というわけで、孤独を防げるから結婚がよいというのは、まったく意味が分からないのである。
 それよりは、養子もらった方がよいんじゃないだろうか。でも、生物学的なつながりがない子供を養うというのは、それはなんだろう……そうとう高尚な精神をもった人じゃないとできないんじゃないだろうか。


 ゆえに、結婚しようという気は今のところ全く起きないのである。
 もちろん、自分のすべてをなげうってでも守りたいという相手ができたら別だが……。

 しかし、上の、「すべてをなげうって守りたい」という気持ちというのは、男性特有のものらしい。男女の気質というのは、別にそこにすべて帰結されるわけでもないのだろうけれども。女性はむしろ守られたいという気持ちがある、ということを言いたいわけでもないが。

 まぁでも、ちっちゃくてかわいいものを守りたい、という気持ちは、別に男女関係なく普遍的にあってもよい気はするし、そういう相手に出会える可能性もゼロではなかろう。

一人がきらいじゃないのである

 ところが、自分のことを考えてみると、正直言って、孤独耐性がやっぱり高いのである。
 一人でいてもぜんぜん苦痛ではない。むしろ、人といると疲れる……。

 いや、疲れないことが、多くなった間違いなく大人になった成長した、そう思える。が。

 それでも、一人の時間が欲しい時が多い。

 割合的な問題だろう。9:1ぐらいで、一人でいてもよい(かっこ笑い)。

 なので、さすがに、10:0になったら、孤立というやつで、やばいのかもしれない。精神的にもおかしくなるのかもしれない。

 でも、仕事している以上は、一日の大半を人と過ごしているので、まぁ、一人で仕事している時間もあるから、5:5ぐらいの割合な気がする。

 だから休日とかの一人の時間が大事、って思うのかもね。

 これが仕事やめたらどうなるのか。

定年後を考える

 両親や親せきもいなくなったと考える。
 仕事も定年を迎えたとする。定年が65歳になったようだから、まだまだ先な気がするが。

 ゲームや、本は好きだ。



 何が好きかというと、物語が好きだからだ。

 でも、物語が好きというのは、人が好きなのではなかろうか?

 でも、圧倒的存在が人類を滅ぼす作品も嫌いではない。でも、最終的なハッピーエンドは人類の勝利だ。やっぱり人が好きなのか。

 好きなのに、孤独というのは大丈夫なのか?

 65歳でゲームやれるのか?

 物語を楽しめるのか?


 幸いにして、勉強も好きだ。勉強というか、科学?
 宇宙とか良いよね。

 それは何なのか。自分という些末な存在を、偉大な存在(宇宙)に位置付けるという作業、といえるかもしれない。抽象化。

Stable Diffusion

 ステーブルディフュージョンという画像生成AIもここ最近(といっても数年前?)からはじめて、面白い。パソコンの性能があがったこともあって、XLモデルという新しいモデルで生成をためしてみた。レザージャケット・パンツの女の子。おへそは見せて、みたいなプロンプト。結構いい感じである。




 なんかコメントでお題いただいたら作ってみたいと思うのでお願いします(笑)。
 画像生成AIも、自分で触ってみると、できることと、難しい部分とが分かってきて、そういうの楽しいね。なんかこうやって手を動かしていろいろやるのがやっぱり自分は好きな気がする。

 評論家も楽しいんだろうけど、モノ創りというのがやっぱり楽しい性格気質なんだと思う。

生きる意味を考える

 75歳になったとき、家族に囲まれて楽しい老後を過ごしている未来は、正直、ボクにはもうない。

 高校や、大学で知り合った友人と会うことももはやないだろう。

 近所づきあいもしているとは全く思えない。

 どこに住んでるのかも分からない。災害が少ない場所がいいけれども、そういう場所の住宅価値があがってしまっていて、危険な場所に住んでいるかもしれない。

 でも、現金じゃなくても、資産は保持できるわけだから、身一つあればなんとかなるかもしれない。

 75歳かぁ……。

 今、30代だが、20年後とか30年後を考えたとき……。
 たとえば、15歳の自分は、今の自分の状況を想像できていただろうか。

 まったくできてなかったねー。

 いやはや……いま考えてもよく頑張ってたと思う。えらい。若いころの自分。
 とあるプロ野球選手が、大学時代寮で厳しい練習だったということで、5億積まれても戻りたいとは思えない、といっていた。

 同じ気持ちだ。
 5億……ならうーん……ちょっと考えるけど(笑)。

 1億あげるから、10代のころに戻って1年過ごしてこい、と言われたら、正直いやだな。
 いまの経験や思考や、能力をそのままもって、体力などは当時に戻ったとしても、いやだ。

 冒頭に書いたが、どこの時代にも戻りたくない。

 昨日は昨日で、仕事で23時ぐらいまでかかったし。
 解決したが、解決しない可能性もあったことが非常にストレスだった。そういうことを、もう一度味わいたくない。

 ああ、いやだ、いやだ……。

 いやなことを思い出してしまった。

 一方で、未来が明るいか、と思うと、それこそ、75歳になったら、もう色々衰えているだろうから、それはどうなの、って気もする。

 75歳でしょう……? うーーーん。想像できぬ。

 でも、75歳の人たち、生きてるから、きっと何とかはなるんだろうな。

 今の75歳の人たちの話を聞きたい気もするが、ただ、それって、正直、参考になるかならないかわからないぐらいでしかない。
 ボクが15歳のときの30歳の人の話と、ボクが今思っていることと、まったく違うと思うから。

 結論なってみないとわからん。

 先のことを心配しても、仕方がない。今を大事にしよう。

今を大事に

 今日が、自分の中で一番若い日だ。
 何をしようが、時間は過ぎる。不可逆に。タイムリープとかワープものの物語には憧れるが、残念ながら、今生としては体験できることはなかろう。

 今日、こうして、文章を書いている、その選択は、間違いではなかったと、未来の自分が思ってくれればそれでよいと思う。

あとがき

(かっこ書きである。今の年代で書ける文章は、今しか書けない。だから、日記は大事だ。以前熟読していた、シロクマさんの記事として、シロクマさんが30代のときの記事とか読めるけど、そんなすごいこと書けないな、って思う。でも人と比べても仕方ない。正直、自分の20代のブログ記事の方がすごいこと書いてるな、って思うものもあったりする。年代とか関係なく、面白いものは面白いのだ。ただ、最近思うのは、世界平和とか協調とか、大事だってことだ。それがあまりにも空虚な世の中で哀しくなるが、でも、そうあるべきだと本当に思う。平和を守るためにも力が必要だし、矛盾だらけの世の中だ。ホワイト企業の魔王軍を描いたWEB漫画を愛読してるが、あれ、ホワイト企業でいられるのは、魔王様がめちゃくちゃ強いというのが一つ根拠となっている。めちゃくちゃ強くて、それでいて人格者だから成り立っているのだ。ただ人格者なだけではだめだと思う。いや人格者で、その周りに強い部下がたくさんいればよいのだろうが、強い部下を集めるためにも、その人自身が強くなければならない。家康に仕えた本田忠勝みたいな例もあると思うけど。民主主義にコストがかかるというのは本当にそうだ。実際、優秀で人格者な君主の独裁の方が豊かで幸せな世界が作られると思われる。ただ、システム的に、人間という存在的に、独裁はリスクが高いことが歴史でわかっている。だから、コストがかかっても民主主義がベターなのだ。ベストではなく、ベター。ここが、大人的なグレーな、あいまいで中途半端で気持ち悪いところであるが、そこを乗り越えないと、人類の発展はない。自国優先の政策はもちろん大事だと思うが、その結果戦争とか招いてしまうような、そして、招いた国は絶対に自分の非を認めず、相手国がゆずらなかったから戦争になったという論理展開になって、相手は相手でひけなくなって、落としどころがなくて、殺しあう。たいていの問題って、戦争なり紛争なり、個人間の喧嘩レベルでもみんなそうだ。人間の愚かさに本当に呆れてがっかりする。がっかりした神様が人間を滅ぼそうとする物語が生まれるのも分かる。なんで争いが生まれるのか。「不足」が原因だというのもあるが、それだけではない。人間が社会的で、「関係性」的な存在だからだ。損したり虐げられていると思ってしまうと、敵対してしまう。だからむしろ、自分は自分として切り離して、孤独に生きる方が平和なんじゃないかと思う。だから孤独万歳って無理やりこじつけてしめておこう。でも、孤独が悪いこと、という風潮に、まぁそれは孤独死とか、いろいろ問題があるから事実と受け止めつつ、あまりそれに流されない方がよいというのは、ここまでいろんな社会情勢の変化を含めて、数十年生きてきた自分が思うこと。テレビも、新聞も、巷のうわさも、井戸端会議も、ネットも、ヤフコメも、絶対的に正しいと思わないこと。というか、一面では正しいけど、それが絶対に再現できるかというとそうではない。科学は再現性が重要だが、そのために、めちゃくちゃ条件がつく。条件だらけで面倒で、面白くない。だから大変だけど、だからこそ価値がある。簡単に手に入る情報、耳障りのよい情報に浸りすぎないことである。浸ってもよいけど、必要に応じて抜け出せる準備というか、心構えはもっておくべきだ。と書いている、この文章自体も、疑うべきである。つまり、何も信じないことが正しい。ということは、「信じないことが正しい」ということも信じない方がよいということだ。トートロジー。同語反復というのは非常に面白い概念で、好きだ。そこらへんのことを学びたければ、仏教の「空」とか概念を学ぶといい。それらは、奈須きのこさんの作品を導入にするとよいかもしれない。アニメだけだとわかりにくいから、小説がよい。でも小説を読むのはそれはそれで思考が大変だから、アニメから入るのもよい。とりとめないから、そろそろ終わろうおなか減った)

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選挙について(政党というよりも政策の支持をしたいが難しい)
2024/10/20 12:16 | Comments(0) | 思考及び書くこと

まえがき

 政治のことは、書かないほうがよい。
 なので、どの政党を支持するとかはそういうことは一切書かない。

政党マッチング診断

 ただ、面白いのがあったのでやってみた。
政党との相性診断
https://news.yahoo.co.jp/senkyo/match/party

 10問こたえると、次の国政選挙で、どの政党の政策と自分の考えが近いかが分かるという。

 結果などは書かない。しかし、タイトルのとおり思ったことがあるので書いておく。

ある政策は賛成だがある政策は反対

 へー。意外に自分はそうだったんだ、という気がした。
 しかし、よくよく各政策についての立場をみていくと、
 例えば1つ目については「賛成」だが、5つ目については真逆「反対」ということもあった。

 何を言いたいかというと、現代政治の難しさを思った、ということだ。

 とりあえずマッチする政党を支持して、思いの通りその政党が政権をとったとして、マニフェストを達成していったとしても、「いや、その政策は致命的に反対だったのに……」ということになりかねないということである。

 それでも、選挙の仕組みとして、政党に投票するしかない。

 そうしないと、政治は動かない。

 難しいなと改めて思ったということである。

同性婚について

 具体的な政治的なスタンスなどは繰り返しになるが、書かない。

 けども、一つ具体的な例として、同性婚を法律で認めるべきかという議題がある。それをもとに考えてみよう。(ちなみに、この議題は、そこまで自分にとって関心が強いわけではない、と書いておく。なので、強い批判を受けたところでそこまで気にならないことからこの議題を例にあげている)

 これに関しては、自分はまず「反対」としておく。

 理由は、法律で認めることによる様々な優遇措置による費用が増えると考えられることだ。

 LGBTQに対して、特に偏見などはない。
 むしろ百合は好きだ(とかいうとそういう問題じゃないとか批判浴びる)。

 ただし、人間という生物と、社会的な存在を考えたときに、生殖によって子供をつくることができるというのは、どうしても男女というペアが必要だと思う。思う、というか、これはひとまず事実だ。

 その男女によって子供がつくられるということによって、社会は再生産されていき、それは国という集団を維持するために必要である(とされている)から、様々な政治的な(法的な)優遇措置がある、と考えている。

 だから、同性婚の場合は、子供をつくることができないことから、法的に認める必要はない、という立場である。



 いやそうじゃない、という批判もたくさんあるだろう。
 マイノリティが暮らしやすい社会は、みんなに暮らしやすい社会になるのだから、認めるべきだといった意見もあるだろう。
 もし、それが本当にそう(同性婚を法的に認めることによってみんなが暮らしやすい社会になること)であれば、法的に認めてもいいと思う。ただ、それを証明することは困難だ。

 法的に認めても、何ら優遇措置はない、のであれば、それはそれで認めていいと思う。
 でも、これは逆説的に、そんなことはないのだと思う。何かしらの優遇措置があるから、同性婚を法的に認めたほうが良い、という議論が発生したはずだ。
 LGBTQに対する偏見をなくすべきだ、という議論だけであれば、自分は大いに「賛成」である。

 税金として徴収したお金を投入すべきか、という視点で、基本的に自分は政策の良しあしを判断している。
 というか、感情的な云々出なく、政策に関しては、全国民がそうすべきだと思う。思うし、さすがに義務教育を受けた人たちはそれぐらいの意識はあると思う。

 でも、正直、じゃあ、どういったことにお金を使うべきか、というのは、結局「感情」(とか自分の置かれている環境とか)が優勢になってしまう。
 だから難しい。

社会的にどうか

 なので、もうちょっと思考を進めて、自分がどうこう、ではなくて、社会全体としてどうあったほうが、「暮らしやすい」のか、という点で判断する必要があるように思う。

 たとえば、上の、同性婚の話で、「子供が云々」とは別の次元で、同性婚を認めることで、養子縁組とかが取りやすくなって、孤児が減って社会的に安定しやすくなる、とかそういうことならよいんじゃないかとも思う。

 いやいやお前は同性婚問題の理解が不十分だ。この問題は、遺産相続のときに、パートナーに相続できない仕組みだからダメなんだ。贈与はできるが、その場合贈与税になって、相続税のほうが優遇措置があるのだ。
 ということかもしれない。

 ふむ……。そういうことなら、その点だけが問題なら認めてもよいのかもしれない。
 でも、制度をかえるということは、それ相応のコストがかかる点も忘れてはならない。いまや、行政の実務にも「システム」は大きくかかわっているので、システムの変更とかで改修費用や、事務負担なども増えたりすることもあるだろう多分。

 そこまでする必要がある話なのかどうか。いやもちろん、すぐさま言っておかなければいけないのが、当事者にとっては喫緊で非常に重大な問題であるということだ。
 ただ、上で書いた通り、「社会全体としてどうあったら暮らしやすいのか」という点で考えるべき、という前提での話である。


 正直、個人的には、タバコの受動喫煙、特に、路上喫煙している奴らを非常に嫌悪しているため、タバコ自体を完全廃止するという政策のほうが、自分にとって重要な議題である(かっこ笑い)。NHKもなくなっても特に構わないと思っているが、別に某政党に投票しようとまでは思わない。

 それは「社会全体としてどうあった方が暮らしやすいのか」というのとは違うと思うので、そこまで声を大にしようとは思わない、ということである。

あとがき

(かっこ書きである。改めて、選挙で投票するということの難しさを思った。ちなみに、最初に書いたマッチングは、「1位」とかも、複数あがってくる。自分も、複数あがってきたので、結局じゃあどこに投票すべきかはより混迷した。細かく政策をみていったら、上のような、結局a政策はよいけど、b政策は考え方が自分とは違うな、とかたくさんあったのだ。だからいくつかは妥協しつつ、近い政策をとなえてるところに投票するしかないのだろう。でもそれって、すごく難しいよね。そんなこと毎回やってる暇があるとは思えないし。だから投票率も低いんだろうなぁ。別に政治的無関心な人が多いからだけじゃない気がした。あと、同性婚に関して書いてしまったが、特に何も調べたわけではなく、思ったことを書いただけなので、間違ってることもあるかもしれない。賛成、反対、双方の妥当な意見というのがあるのだろうから、それらは是非聞いてみたいと思う。ただ、「少数派の人がかわいそうだから」とか、そういう感情的な部分ではなくて、金銭的な面というか、公平性という面というか、「政治として」の面での意見が聞きたい。はっきりいってしまうと、今回は「反対」として意見を書いてみたが、実際はそこまで自分に切実ではないので、「中立」なのである。なので、どっちかの意見にひきずりこみたいという方がいたら、ぜひ聞かせてほしい(笑)。創作物の表現規制を強化する、という政策を唱えているところがあったら、絶対反対したいから、そういう政治家や政党には絶対投票しないようにしたい)

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人生とは楽しむものである(投資信託を始めた)
2024/08/17 17:32 | Comments(0) | 思考及び書くこと

前書き

 4年前の同時期の記事を見てい見ると、老齢基礎年金の記事を書いていた。2か月で13万ぐらいが、偶数月に支払われるということだ。

 で、Windows標準で入ってたのを最近気づいた「Copilot」(コパイロット)というので調べてみた。


8月生まれの場合、老齢基礎年金は、何月から支払われますか?

8月生まれの場合、老齢基礎年金の支給開始は9月からとなります。具体的には、誕生日の前日の翌月から支給が開始されるため、8月生まれの方は9月から支給が始まります


 でも僕は知っている。偶数月に支払われるということだ。だから追加質問をした。

支払いは偶数月ではないのでしょうか?

はい、年金の支払いは偶数月に行われます。具体的には、2月、4月、6月、8月、10月、12月の6回です。したがって、8月生まれの場合、年金の支給開始は9月からですが、最初の支払いは10月になります。

 とのことであった。
 なので、最初の質問だけで鵜呑みにすると、9月に口座に振り込まれていると勘違いするだろう。
 AI頼みというのは、ある程度知識も必要ということだと思う。
 でも、僕の元の記事(4年前)が勘違いしていることもあった。

10月に支払われるのは、9月分の1か月分ということですか?

 と聞くと、

いいえ、10月に支払われるのは、9月と10月の2か月分です。年金は偶数月に2か月分まとめて支払われるため、8月生まれの場合、最初の支払いは10月に9月と10月分が一緒に支払われます。

 とのことだった。あ、そうだったのね。元の記事を参考にした方(いないと思うが)すみませんでした。
 上の回答も、AIを本当に信じていいのかというのはあるけど、つじつまはあってるから信じらっると思う。
 企業に就職して最初の給料も、4月中に1回支払われるもんね。

お金の話

 毎月10万円ずつの投資信託を始めた。
 120万円が新NISA(2024年)の積み立て枠になったので、ひとまずその枠まで投資する予定。
 投資を始める際に、もう10年前? 詳しい友人(リアルではない)に色々聞いて、友人がすすめてたのを買ったら、すごく大当たりした。数十万円増えた。
 もっと買っておけばよかったと思う(かっこ笑い)。

 一方、自分で選んだ奴は、サイクルで上がったり下がったりするタイプの株式で、あまりお勧めされなかった。
 一時期、それも、友人のいうとおりに、数十万円のマイナスになった。

 ひええ。となった。

 でも別に売ったりするつもりのものではなく、配当金をもらっていこうという趣旨で買ったので特に気にしなかった。
 今は、株式が好調なので、数十万円のプラスになっている。

 年に3000円ぐらいの配当がつくやつなので、8年ぐらい持ち続けてるから、2万4000円ぐらいは単純に「利子」みたいにもらえたはず。で、株式自体で数十万円の+評価がついている状態。

 銀行に預けていても、利子なんてほんとうに塵程度しか発生しないため、預貯金しかしていないというのは、本当にもったいないことだと思う。

全否定はしてはいけない

 なのだけど、安全にお金を預かってもらっている、という意味では、銀行の預貯金もダメではないと思う。
 元本割れはしないわけだし、ペイオフで1000万円は保証されているわけである。

 とかいっても、核戦争とかなったら、制度も何もあったもんじゃなくなると思う。

 なので、本当に「リスク」っていったら、別に預貯金も安全じゃない。


 そこまでの話じゃなくても、物価高に預貯金は弱いと思う。インフレーション(ってカタカナ書くとあれだけど、インフレとはつまり、お金の価値が下がることだと理解している)になると、元本割れせずに1000円あっても、ジュース一本が200円になったら、5本しか買えなくなる。でも、投資していて1000円が2000円になっていたら、10本買えるかもしれない。なんかくだらない喩えな気がする。

 とはいえ投資しない奴はバカだ、というのも言い過ぎだとは思うわけである。

 結局、ジュース5本だけで十分だったとしたら、安全に1000円を守れたということでそれで充分なのだ。

どう使うか何に使うかいくら使うか

 住居が心配といえば心配。
 今のところは賃貸であるが、そのうち、身寄りがなくなってしまったら、借りれないんじゃないかと思う。保証人が必要だからね。

 そのあたりは、正直、いっくら仲の良い友人がいたとしても、頼れるものじゃないと思うんだよね。

 なので、コミュニティが必要とかいうけど、あんまりそういう言説も信用できない。

 結婚の話とかあるけど、「孤独死」とかあるけど、なんで結婚するとそういう問題がすべて解決すると思われるのか、ということである。

 逆に言うと、リスクでもあるわけだ。
 結婚というのを、「世話してもらえる」って思ってないかということである。違うでしょ? つまり、相手が何らかの障害や働けなくなったり、病気になったり、死亡したりと、色々問題があったときに、自分の責任も生じるわけである。

 それと、一人でいることとは、本質的にリスクは変わらないのではないか。

 結婚が良いものになる可能性はもちろん否定しないが、コミュニティ不足という観点から結婚が必要というのはよく分からない。

 まぁ、保証人が不要の賃貸とかもあるが、「割高」なんだと思う。

 でもそれは逆に、お金があれば解決する問題ともいえる。

 幸せはお金では買えないかもしれないが、「安定」や「時間」はお金があれば買えるのである。

お金は自由のための道具

 人生には限りがある。

 有限だ。

「時間」は減っていく。

 人生の目的は、僕が中学生の時に思いついたことだが、いまだにその考えを捨てられていないが、「楽しむこと」だと思っている。
 楽しむというのは、幸せという言葉でもいいし、満足でも、充足でも、何でもいい。

 そういうことが人生の目的である。

 果たして「楽しむ」とは何か? という思考はもちろん必要になるが、まず、「人生とは何か」ということに対しての定義として、いままでブレたことはない。

 人生は、「苦しむためにある」というのは仏陀的かもしれないが、別に仏陀もそうは言っていない。人生は苦しみである、とは言っていると思うが、苦しむために人生があるという意味ではなかろう。
 仏陀のいう涅槃も、こじつけかもしれないが、「満足」と定義すれば、同じであるともいえなくもない、と勝手に思う。


 では、楽しむために何が必要か。

 やはり「自由」ではないだろうか。
 自由とは、自分の意思で、行動を決められることである。

 果たして。人と一緒にいるということは、これと相矛盾する。

 しかしながら、人と一緒にいることで充足できることもある。人と一緒にいないと充足できないこともある。

 そして、行動するには、お金が必要だ。
 お金がないと、自由が手に入らない。自由がないと、楽しめない。でも、自由があっても、何をしたら楽しいのだろうか。楽しいを作るのは、自分自身だ。

あとがき

(かっこ書きである。なんか、面白くないことを書いてしまった。表面的なことしか書けてない。もっと深いこと書きたい。思考が表層的過ぎる。お金の話とかになるとどうにもそうなってしまう。面白くない。面白い話をしたい。やっぱり、人は何故生きるのか、的な話の方が、断然自分としては面白い。Youtubeの動画が最近充実していると思う。宇宙系の話が本当に面白いと思う。シリウスって、太陽よりもおっきい。んで、太陽って、地球の109倍らしい。109倍っていってもよく分からないから、Youtubeとかだと図示してくれるんだけど、一目で、100倍ってすげええってなる。映像ってすごい。ただ、そういいうのも、見ただけで終わると、なんか、スッと流れてしまうというか。へー。で終わる。やっぱり、日記書きたくなるというのは、僕の性格なのだろうか。性質? とにかく、109倍すごかった。木星も地球よりおきいいんだけど、太陽ってすごくおっきいんだね。小学生並み感想。でもよく考えると、太陽系って、太陽を中心にぐるぐるするわけだから、太陽の方がばかでっかいのは当たり前なんだよな。でも、木星って、地球よりすごく大きいイメージあったから、太陽の比較がすごく驚いたな)
いろいろな星の大きさを比較してこの地球がどの程度のものなのかがよくわかるムービーhttps://gigazine.net/news/20091218_star_size/

広大な宇宙【サイズ比較】
https://www.youtube.com/watch?v=V0NqfqivkOo

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目標立てるとしたらよりミニマムへ
2024/01/01 10:02 | Comments(1) | 思考及び書くこと
今日の一言「謹賀新年」

まえがき

 昨年の記事の数を数えたら、ちょうど12個だった。
 1か月1つという目標は、無理やり達成。全く意識してなかったし、全く書いてない月もあったけれども。
 昨日は、隣人が友人を招いたのか、深夜どんちゃん騒ぎしててよく眠れなかった。
 まぁ、新年だし、今日ぐらいは許そうかという少し寛大な心になれた。
 昔だったら壁ドンとか管理会社に苦情してたりしてたかもしれない。まぁでも、毎日続くようなら流石に苦情言うけどね。

生き方について

 ということで眠れなかったのもあって、おかだとしお氏のユーチューブなど見ていた。
 面白かったなー。

 男と女って、女の方が原型だって話をされてて、確かに! って思った。

 男って、「生き甲斐」とか「自己犠牲」が遺伝子に刷り込まれてて、女が生きやすいように戦争とかするための決戦兵器ということだ。

 他種族を滅ぼすために作られた存在ということ。

 女は健気に家庭を守っている……という体裁にありながら、まぁでもよく考えたら、危険な戦いや狩りに行く男の方が死にやすいよね。生物的な価値を、「生存」とおくのであれば、男の方が不合理な役割を課せられている。

 一方で、男は男で、それを「男らしい」というか、価値だと思っていて、か弱い女性を守ることを逆に生きがいとか、幸せに感じる、と。


 上に書いたことは完全な引用じゃないから、主旨を誤解しているかもしれないが、少なくても、1.5~2倍速で見てたらそんな感じでは理解した。30分の動画も15分で見れるから動画ってほんといいと思う。

 曲とかじゃないと、人の会話って、1.5~2倍で聞けるんだよなぁ。

 別に、自分の頭の回転が速いとか言いたいわけじゃなくて、たいていみんなそうだと思う。ただ、これも岡田氏が別の動画とかで言ってたと思うのだけど、頭の回転のギアを落とした方が、「トルクが強い」コミュニケーションがとれるということだ。トルクがあるというのは、動かす力が強いということ。回転数をあげると速度は速くなるが、トルクは弱まる。高速な思考というのがもてはやされるけれども、ゆっくりで、でも、相手の気持ちを汲むのも大事というのが、「サイコパスおじさん」とか自分で言っておいて、んー、なるほど、人の気持ちもちゃんと「理解」はできる人なんだなぁと思わされる。頭のイイひとだなぁとは思った。

生理的に嫌いという場合も

 あんまりボクは、「嫌いな人間」というのがないのだけど、「決めつけ」てくる人というか、俗に言えば体育会系は苦手。
 いやもちろん、体育会系でも良い人いっぱいいるし、そういう友達もいたけどね。

 でも、やっぱり理屈っぽいひと、の方が好きだと思う。

 かといって、ボクが理屈っぽいかというとそうではなくて。だいぶ感情よりだとは思う。

 というかなんか思うに、「男らしさ」「女らしさ」でいうと、ボクは女性に近いと思うんだよな。
 いや、気持ち悪いこと言ってるのは分かっている(かっこわらい)。

 数年前から、もう、このブログに置いてあまり書けないことがなくなったが、さすがに気持ち悪いと思って書いてこなかったけれども、まぁ割と前から思っていた。
 俺は、男っぽくはない。


 そんな風な状況で、上の岡田氏の動画において男って決戦兵器なんだよな、という説明がしっくりきた。
 つまり、男という生き方は不合理であるということだ。生物的にはね、という。


 別に、男に生まれたから不幸せとか、自己犠牲しなきゃいけないとかじゃないし、ただ、そういう傾向があるという知識というか、考え方は面白いと思うよ。

 あ、というか、この小見出しって、岡田氏のこと嫌いな人もいるんだろうな、ということを書きたかった。
 なんか、ネットやってると、「批判」ってのがすごく目立つ。

 本とか読んで、「おーすごい」って思ったことも、ネットで調べるとたくさん反論あったりして。

 んで、その反論もなんか「わかる」って思ったりすると、何信じていいの? って気持ちになって、何かやる気が落ちるという現象、なんか分かる人いないかしら。

創作する思考することを他人任せにしない

 あと、結婚とか恋愛って、「買い物」じゃない、「創作」だ、って言ってたのも「イイネ」って思った。

 イイ女(男)がいて、それを自分も買えると思うから訳が分からなくなる。もちろん、円としてのお金で買えるものではないのは誰もが分かってると思うが、「自分磨き」とか、容姿とか先天的なものも含めて、自分の能力をあげることによって、イイ女(男)をゲットできると、そういうことを考える人はわりといると思う。

 でもそうじゃなくて、恋愛とか結婚は、お互いに関係を創作するものだとしたら、これは非常に難儀なことである。

 誰にでもできることじゃない。


 あと、大正時代とかは、お手伝いさんとか含めて15人ぐらい一人男が働いて「家族」を養ってたけど、サザエさんの時代は2人男が働いて、5人ぐらい養うになって、クレヨンしんちゃんでは2人になる、と。

 これって段々貧しくなってるともいえるよね、というのも面白かった。確かに。

 とはいえ、こういうのも反論あるものなんだろうか。ボクは普通に面白いって思ったけどなぁ。

 ということで、何を言っても考えても、批判があることを考えたり思ったりして、何も言わないのが正しい、みたいになるのは、やっぱりつまらないと思う。

 ボクもだいぶ丸くなって、自分のことを唯一無二の存在とは全く思わなくなった。

 いや、そもそも自信のない人間だったから、昔からそんなこと思ってたわけじゃないのは書いておきたい(かっこわらい)。
 ただ、「唯一無二の存在にならなければならない」ということは思っていたと思う。

 例えば、思考の独自性とか。

 でも、独自性とか無理だよ。どうにも、周りにあんまり物理環境では、思考レベルで一致する人っていなかったんだけど、でも、広いネットとかでは、共感する人とかもたくさんいると分かった。
 その「たくさん」が、統計的なたくさんなのかは分からないけど。やっぱり少数なのかもしれないけど、それはもうあまり気にならなくなった。

 要するに、自分は別に特別じゃない、ということだ。

特別じゃないとはいえ全く同じでもない

 似たようなことを考える人がいても、でも、だからといって、自分で考えなくてもいい、ということにはならないと思う。何故か。世界がカオスだからだ。

 世界が本来秩序立っているというのであれば、その秩序に従えばよい。

 いやあるいみ、共産主義国家は、秩序がしっかりしていて、「成功」なのかもしれない。

 某国ですみたいとは全く思わないけど、そこはそこで、ある程度衣食住が保障されている国であれば、共産主義自体は悪いことではないかもしれない。
 何故なら、大半の人は平凡だからだ。

 でも生き方というのが、国家に決められるというのは、やっぱりおかしいと思う。

 ただそれは、「国家」だからおかしいと思うのであって、「神」とか、「人工知能」だとかだったら話が違うと思う。
(まってね、今書いてるのは、「秩序がある」という前提での仮定の話だからね。この挿入しとかないと、自分でも後から読んで誤解しそう)

 完全に正しい導きがあるなら、むしろそれに従うべきだと思う。
 その方が相対的に幸せなのだろうから。相対、総体、どちらも。

 でもそうじゃない、世界は、カオス、混沌である。

 だから、国家なんてましてや正しい選択をできるわけがないし、人工知能だってそれは同じである。

 ただ、人工知能の優れたところは、「正しそう」という推論を、ある程度の確度でできることだと思う。
 あと、納得感が違うと思う。
 これは感情面だけど、「偉い人に決められたこと」よりも、無生物の例えば法律とか、そういう感情などがないものの決定の方が人は従いやすいと思う。体育会系は別だろう。差別的ないい方をあえてしてるのであって、本当にそう思ってるわけじゃないが、「合理性」を優先する人間であればあるほどに、「ただしらしさ」には盲目的に従ってしまうと思う。

もう一つ理由を言えば自分は自分だから

 もう一つ、何故、自分で考えるべきかといえば、「正解」というのは、自分用のものは自分にしかないからである。

 恋愛する、結婚する、そういった選択も含めて、人それぞれの正解がある。

 その正解というのは、大事なことは、「環境」要素も大事だということだ。


 自分という存在が確固した、不動の要素であるならば、答えもあるだろう。


 しかし、自分自身も変わるし、環境も変わる。

 どっちなんだろうね? 変わるのは、自分なのか、環境なのか。卵鶏論みたいな感じになるが、興味深いと思う。

 自分が変わるから環境が変わるのか、環境が変わるから自分が変わるのか。両方だろう。

 だから、「考えること」は、他人任せにはできないのだ。

それでも死にますけども

 重要な視点だ。
 いくら考えても、死ぬときは死ぬ。

 それが早いか遅いかだけだ。

 寿命が知れたとして、病気とかじゃない限り、知りたくはないと、思う。
 健康なうちはね。

 毎日痛みで苦痛で、という状況なら、いつ終わるのか早く知りたいと思うかもしれない。


 そう、最近思うこととしては、やっぱり「健康」が一番だと思うのである。

 死にたい死にたいって思ってた10代ぐらいとは違って、最近は生きていてもいいかな、っていうのが基盤になっている。

 これは大きな変化だと自分では思っている。

 生きることが前提としたときと、死んでもいいと思っている時の思考って別物だと思う。

 だから、10代のころの自分の書いていることと、今とを比較したときに、「言葉」として同じことを書いていたとしても、その意味していることが同じとは思わない方がいい。

 しょせん、言葉は、現実を思考のために都合よく切り取っているだけである。
 言い方をどうしても、辛辣に書いてしまうのがボクの文章の癖だなぁ(かっこわらい)。でもその方が後から読んで面白いから、仕方ない。

 いや、都合よく切り取れるって、そんな否定的に書いたけど、これってすごい発明だとボクは思っている。ただ、このことを書かないと伝わらない。だから言葉って難しい。

 逆に、他人に理解してもらおうとあまり思わなくなったのも良い方向だ。30%でも伝わったらもう、それは嬉しいぐらい。

死ぬのに何故生きるのか

 最初の、決戦兵器「男」理論になるけど、これも、男という生物にかされた呪いと祝福なのかもしれない。
 弱いもの(女)を守って死ぬことが男として最高の生き方であり、女はすごく泣いて感謝してくれる。いや、当人の男が死んだら、別に泣いても意味ないじゃん、って思うじゃない?

 でも違うと思うんだよな。女が、男を慕ってめちゃくちゃ泣いてたりするのを、周りの(まだ生きてる)男が見るわけじゃないか。

 そうすると、よし、俺も大事な人を守って死のう! って思うわけじゃない(笑)。

 でも、だんだんバレてきちゃってるのが現代。

 いやもちろん、旦那さんを思って本気で哀しむ人もいるけど、あーやっと死んだわ、年金暮らし気ままにできてハッピーって女の人もいるじゃない。

 そういうのがバレてきてしまった。
 いや別に、再婚しないで、ずっと喪に服して、とかいいたいのじゃないほんとに。物語としても、「俺のこと忘れて、幸せになれよ」っていうのが「感動的」じゃないですか。

 あの、挿入しておくが、ボクもそういうのに「感動」するんだからね(笑)。

 だから、否定してるのじゃなくて、自分の感情的にも「かっこいい」ことではあることを認めたうえで、でもそれ(死ぬこと)って非合理だよね、ということである。


 だから、死ねと言ったり生きろと言ったり、このあたりも、実は結論が出てない部分だと思う。
 命が何より大事、といいつつ、安楽死の方がいいんじゃないとかいうのもある。
 役に立たない年寄りは早く死んだ方がいいってのもある。(まってね、俺がそう思ってるとかじゃないからね。この文章だけ強くプロンプト処理されたAIが変に要約しそうである(笑))

 いや、年よりは死ねなんて、誰もいってないじゃん、って思うじゃない? そんな直接的なことを言う人はいないけど、高齢者の医療費負担を下げた方がいいとかいう議論はあるわけである。
 それが死に直結してないから別ジャンとかあると思うけど、でも、長く生きた方が良いというのが至上価値だとしたら、そんな議論ないわけ。

 まぁ、資源(医療とかお金とか)が有限だというのが前提にあるわけだけど。

 要するに、政治は資源の配分なのである。どこまでの資源を政治にまかせるかというのは国家によって違う。

何故生きるのか

 何故生きるか、ということを上の小見出しに書きたかったのだけど、どんどん派生して違う話になる……。
 思考の散逸性である。

 まぁだから、ボクはやっぱりこうやって書いてないと時折ものすごい「不安」になるんだよな。

 思考がまとまらなすぎるのである。

 どんどん派生していっちゃう。

 だから、会話している相手への興味もすぐなくなっちゃったりする……ひどすぎる、サイコパスである。
 でも物語に感動するとか、人への共感力は、むしろ高い方だと思うんだよなぁ。女性の中だと普通かもしれないけど、男の中だと高い方だと思う、なんとなく。HSPよりみたいな。


 って話も本筋からそれている。
 そうじゃなくて、何故死ぬのに、ちゃんと生きようとしなきゃいけないのか、ということが考える目的だった。

 でも、1時間ぐらい書いてきて、おしまいである。1時間書くと、だいたい飽きてきちゃうのである。だから時間勝負なのだ。

あとがき

(かっこ書きである。思考自体はまだまだ続くのだけれども、こうやって書くのは時間が限定されてしまう。書けなくなっちゃうのである。それが分かった。1時間理論。1時間は長いのか短いのか。これ、口で読んだら何分ぐらいなんだろ。30分ぐらいかな。今度VOICEVOXで読んでもらおうか。さて今年の目標とかを書きたかったが、明日にでも書くかな。というか、タイトルがそういう風のなのに、一切触れられてないな。ひどい。えっと、色々物を減らそうと思う。そろそろ引っ越しもしていいかなというのもある。引っ越し面倒なんだよな。でも、今住んでるところもダイブ古くなってきたからな。賃貸のメリットって新しいところに引っ越せることぐらいだと思う。本は、全部捨てようかな。ぐらいな勢いで。ブックオフとかにもっていくのももう面倒だから、雑誌ゴミの日に徐々にとか。部屋にあるのって、もう3年ぐらい読んでない本が9割だと思う。それでも捨てずらいというのであれば、1年以内に読まなかったら捨てるとか今年に決めて、来年実行するとか。来年のことを言うと笑われるのかもしれないが。音楽系のはいったん全部捨てようか。改めて始める時は新しい環境とか便利になってそうだし。作曲とかしなくなったなぁ。初音ミクとかもっとちゃんとやりたかったけど、モチベーション問題がなぁ。結局、自分の感情を表現したいから創作したいわけだけど、作業量・時間と、結果がわりに合わないんだよなぁ。だから基本的に人は、他人の作った創作物を消費するのだ。でも、創作と消費は全く違うんだよな。ほんと違う。真面目に違う。消費だけだと絶対行き詰る。生きづまる。友人や家族に多く囲まれている人は困らないが、そうじゃない孤独な人は絶対創作活動できるようになっていた方が良いと思う。一方で、創作は孤独ではできないことである。いやだって、物語に「人」って登場するじゃない。それは「人」を求めているのである。そこに主体的に関わりたいかどうか、というのはあるけれども、人付き合い苦手とかいってるオタクでも、人は「好き」なのだ。仮にそれが、支配者になって臣民を虐げるサディスト的な欲求であったとしても、でも、虐げる対象の「人」は必要じゃないか。人に生まれた以上、人とのかかわりは避けられない。いや、僕は一人暮らしでダイブ人を避けて生きられているけれども、かっこわらい。人を避けたいながらに、人を求めたいというこの矛盾。矛盾と、乖離が、人の苦しみの根源である。しかし、苦しみこそ人間の原動力でもある。苦しいから楽になりたいと「行動」するのであれば、人間とはなんと因果な存在か。欲望を手放した方が幸せなのだろうと思う。しかし、欲望を手放した世界に、苦しみがない世界に、そこには喜びもないのではないか。無。空(くう)、空(から)。無こそが真実なのか。そうかもしれない。しかし、どのみち、人間は、有限なのである。いずれ死ぬ。であれば、もう少し、つかぬまの、黄昏の狭間の時を、生きるという選択をしてもいいとは思う)


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