1ヶ月に一つ記事を書く、ということも難しい
何故
一日が早いから。
書く、には、
書こうという気持ちになること
書くためのデバイスを用意すること
書くことを考えること
書くこと
投稿すること
という段取りが必要。
目に見えるのは、書いた結果だけ。家事が大変なのは、準備だったり、段取りだったり、片付けだったりして、その中身は一部でしかないといわれたりするが、それと同じ。
面倒だな、と思うのは、その段取りとか準備の部分である
いざ書き始めると筆が進むというのは、面倒な部分を乗り越えられたから。
コロナ禍になって、引きこもりが承認されるようになり、トータルとしては、ストレスが減った
よいことか、悪いことか、二択でひとつこたえるなら、よかった。
住んだり生活しやすくなった
満足。
仕事も、大変なこともあるけども、いままでに比べたら、なんとかなりそう。これまでの苦労が活きる部署みたいでよかった。
FF14も、人間関係で気になることはあるものの、まぁよいか、といった感じ。ソロでも遊べるし楽しいし、何よりストーリーがとても興味深いので、まだまだしばらくは飽きなそう。
健康面もいまのところ問題ない。
筋トレさぼってるなぁ…。体組成計計でもかって、またちゃんとやろうかな。
というわけで、さして、問題はない。
リアル友とかと、話したことはもう二年ぐらいないのでは…。
友達いないし、彼女もいない。
これが、「問題」と思ってたころはとても生きにくかった。
でも、負け惜しみとかでなく、心底どうでもよい、と思えるようになると、人生って、わりとよいものではないか、と思う。
まさか、戦争が起こるとか、観光船が沈没するとか悲しいことがあるなかで、平穏に暮らせていることに感謝である。
死にたい消えたいとか思ってたころの自分とは別人なのかも。
アイデンティティーとは、結局は記憶なのだと思う。
自分の名前を思い出せて、それにまつわる記憶があるから、自分なのだ。
経験と、それにまつわる感情によって、個性はある。しかし、それらの蓄積がなければ、自分の同一性には関係しない。
欲しいものが手に入らないから苦しい。
しかし、欲しいものというのが、自分自身が本当に欲してるかはわからない。結婚してる友達ばかりのなかにいたり、就職してる人ばかりのなかで無職だったりしたら、負い目を感じる。
そういう風にできている。、同調共感、するようになっている。そのほうが生存に適してるからだ。
でも、みんなが欲しい、気持ちいい、ということが、必ずしも自分にもそうではない。
とにかく、全然暇ではない。
やりたいことも、やりたくないけどしなきゃなこともたくさんなので、今は何か悩んだりしてる暇もないのかも。
そういってしまうと、悩んでたり、ブログ書いてた時間をばかにするようだが、それはちがう。
今あまり悩まなくてすんでるのはそのおかげかもしれないし、今後また悩むことが必要になるかも。
しかし、三十半ばになると、何者にもなれない苦しみというのは少なくなるのだなと思う。
百億、四十億の宇宙や地球の経過の中で、生まれて消えて、というのはちっぽけだ。
何故生きるのか。それを問うこと自体が、生きてるということなのだと思う。
何故
一日が早いから。
書く、には、
書こうという気持ちになること
書くためのデバイスを用意すること
書くことを考えること
書くこと
投稿すること
という段取りが必要。
目に見えるのは、書いた結果だけ。家事が大変なのは、準備だったり、段取りだったり、片付けだったりして、その中身は一部でしかないといわれたりするが、それと同じ。
面倒だな、と思うのは、その段取りとか準備の部分である
いざ書き始めると筆が進むというのは、面倒な部分を乗り越えられたから。
コロナ禍になって、引きこもりが承認されるようになり、トータルとしては、ストレスが減った
よいことか、悪いことか、二択でひとつこたえるなら、よかった。
住んだり生活しやすくなった
満足。
仕事も、大変なこともあるけども、いままでに比べたら、なんとかなりそう。これまでの苦労が活きる部署みたいでよかった。
FF14も、人間関係で気になることはあるものの、まぁよいか、といった感じ。ソロでも遊べるし楽しいし、何よりストーリーがとても興味深いので、まだまだしばらくは飽きなそう。
健康面もいまのところ問題ない。
筋トレさぼってるなぁ…。体組成計計でもかって、またちゃんとやろうかな。
というわけで、さして、問題はない。
リアル友とかと、話したことはもう二年ぐらいないのでは…。
友達いないし、彼女もいない。
これが、「問題」と思ってたころはとても生きにくかった。
でも、負け惜しみとかでなく、心底どうでもよい、と思えるようになると、人生って、わりとよいものではないか、と思う。
まさか、戦争が起こるとか、観光船が沈没するとか悲しいことがあるなかで、平穏に暮らせていることに感謝である。
死にたい消えたいとか思ってたころの自分とは別人なのかも。
アイデンティティーとは、結局は記憶なのだと思う。
自分の名前を思い出せて、それにまつわる記憶があるから、自分なのだ。
経験と、それにまつわる感情によって、個性はある。しかし、それらの蓄積がなければ、自分の同一性には関係しない。
欲しいものが手に入らないから苦しい。
しかし、欲しいものというのが、自分自身が本当に欲してるかはわからない。結婚してる友達ばかりのなかにいたり、就職してる人ばかりのなかで無職だったりしたら、負い目を感じる。
そういう風にできている。、同調共感、するようになっている。そのほうが生存に適してるからだ。
でも、みんなが欲しい、気持ちいい、ということが、必ずしも自分にもそうではない。
とにかく、全然暇ではない。
やりたいことも、やりたくないけどしなきゃなこともたくさんなので、今は何か悩んだりしてる暇もないのかも。
そういってしまうと、悩んでたり、ブログ書いてた時間をばかにするようだが、それはちがう。
今あまり悩まなくてすんでるのはそのおかげかもしれないし、今後また悩むことが必要になるかも。
しかし、三十半ばになると、何者にもなれない苦しみというのは少なくなるのだなと思う。
百億、四十億の宇宙や地球の経過の中で、生まれて消えて、というのはちっぽけだ。
何故生きるのか。それを問うこと自体が、生きてるということなのだと思う。
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