今日の一言「ストレンジトゥエルブ面白い」「ナイツ&マジックも面白そう」
はい、その、カウントダウンタイマーで厳密に15分はかってみることにしました。
とりあえず、無料で見れたのは1話だけだったので、続き見るかは保留。
とりあえずこれもメモ。
その、なんだ、目標の話だ。
ということで、
ブログは書くのは何故か? →仲間を求める心性だ!
という話から派生したのであった。
どう派生したのか? それは、ブログ=仲間という方程式が成り立つことは間違いないとして、では、私は、その「仲間」というのを、どういった方向性で想定しているのか? ということを考えたわけである。
そしたとき、そもそも、このブログのテーマは、「どう生きるか」ということであって、もっと書けば、「素晴らしい人生を送るためには」「わが人生にいっぺんの悔いなし」的な感じを得るにはどうしたらいいか、という問題提起である。
そこに、僕は、「絶対に目標は必要である」というテーゼを置く。これは、「目標はあったほうがいい」というレベルではなく、あるべきだ、というものである。
何故か?
例えば、「いやいや、どうせ死ぬんですから、人生楽しんだ方がいいッスよ。目標なんて、かたっくるしいこと考えっこなしッス。うぇーぃ」という人もいるだろう。
しかし、そういったものを含めて、僕は、「目標」と呼ぶ。
楽しきゃおっけいーうぇーいの人も、――いやむしろ、そういったひとたちは、すでに人生の目標……ひいては、目的を得ているといえるのだ。
そこに問題があるとしたら、「目標や目的を無しとする目標や目的」という状態が、10年……50年、臨終、といったときに、それで良かったと思えるかどうか、その点のみである。
僕は、死に瀕して、「ああ、俺の人生って何だったんだろう?」なんて思うことが、一番悲劇だと思っているわけである。
そんな可能性があるとしたら、今、一時の快楽を我慢することなど、全然苦にはならないのである。
人の一生……といっても、その言葉が表す状況や、各々がイメージするものは異なる。
例えば、「時間」という概念。これは、「時間は誰にでも平等である」ということが言われたりするけれども、実は、その概念も人が作り上げたものである。もう少し卑近な例で行くと、時間の感じ方は文化によって違うとかいう、そんな話である。
もう一つ、「人生」や、今わの際、とかいったって、急逝する可能性もあるのだから、そんな、死ぬときのことなど考えるのは無意味だ、という考えもある。
それもまた事実である。
それらをひっくるめて、全状況として、「自分……
――時間切れ。
(かっこ書きである。エディタ起動してからいろいろで、15分、いやぁ短いなぁ。まずそもそも、ナイツとストレンジは予定外であった。あと、創作ルーチンで、意外に書き進んでしまったことが今日という日がひっ迫した原因であった。一気に書けるときはあるんだなぁ。しかしこう、自分で書いている最中に他の物語に当たるのは、あんまり良くないかもしれない。オンラインゲーム症候群的な意味合いもあれば、書きたいことが分からなくなったりブレちゃったりする可能性もある。行き詰ったときはいいだろうけれども。ええと、それで、次回。結局、なんで目標立てなきゃいけないの? ということが書き切れていない気がする。というよりも、「目標が大事」なんてことは、誰もが何の疑問ももっていないことで、書く必要性がないのでは? という疑問ももっともである。ただ、そりゃあ、個々具体的な「生き方」において――例えば仕事とか、恋愛とか――目標ないし戦略戦術が大切だなんて、分かりきっていることだろう。ただ、僕が書いておきたいというか、念頭に置きたいのは、そういうレベルなんじゃなくて、金言というか、モットーというか、「信念」的なのをもつべきではないか、という提起である。そういう意味で、「目標」というよりかは、「自分がどんな状況でも貫き通したいという生き方」を、持つべきではないか、といったことを表現したいわけである。それは言い換えれば「自我」といったりするわけであるが……と、とにかく強制終了、次回にする)
15分スタート
えーその、画像はって、タイトル買いて、ここまでで一分経過。はい、その、カウントダウンタイマーで厳密に15分はかってみることにしました。
ナイツ&マジック
1話アマゾンで無料で見れたので、見てみました。映像がきれいでよかった。転生モノで、世界観など、真新しさはあまりなかったけれども、キャラクターが何となく好き。主人公の友達になる子たちはあんましビビッとこないけれども、主人公の屈託のなさ(ロボットにあこがれる純な心とその努力行動力)がよかった。でも、なんか、「生涯の友となることを、まだ知らなかった」とかなんとか、ナレーションがイマイチ。こう、第三者視点で語られるのが、あんまり好みじゃない。かといって、必ずしもダメかというとそうでもなくて、このあたりもう少しちゃんと書きたい。とりあえず、無料で見れたのは1話だけだったので、続き見るかは保留。
ストレンジトゥエルブ
AA小説、みたいなジャンル? なんだか面白かった。まだ2話しか読んでいないけれども、続きが気になる。とりあえずこれもメモ。
残り10分
えー焦る。その、なんだ、目標の話だ。
僕はやはり目標がないとダメなようだ――というのは、そもそも、その行動や生き方自体が、目標がなければ、「よいのかわるいのか」自体が、自分自身判断ができないからである。……と長くなりそうだので、その「目標の必要性」といった内容を次回
ということで、
ブログは書くのは何故か? →仲間を求める心性だ!
という話から派生したのであった。
どう派生したのか? それは、ブログ=仲間という方程式が成り立つことは間違いないとして、では、私は、その「仲間」というのを、どういった方向性で想定しているのか? ということを考えたわけである。
そしたとき、そもそも、このブログのテーマは、「どう生きるか」ということであって、もっと書けば、「素晴らしい人生を送るためには」「わが人生にいっぺんの悔いなし」的な感じを得るにはどうしたらいいか、という問題提起である。
そこに、僕は、「絶対に目標は必要である」というテーゼを置く。これは、「目標はあったほうがいい」というレベルではなく、あるべきだ、というものである。
何故か?
例えば、「いやいや、どうせ死ぬんですから、人生楽しんだ方がいいッスよ。目標なんて、かたっくるしいこと考えっこなしッス。うぇーぃ」という人もいるだろう。
しかし、そういったものを含めて、僕は、「目標」と呼ぶ。
楽しきゃおっけいーうぇーいの人も、――いやむしろ、そういったひとたちは、すでに人生の目標……ひいては、目的を得ているといえるのだ。
そこに問題があるとしたら、「目標や目的を無しとする目標や目的」という状態が、10年……50年、臨終、といったときに、それで良かったと思えるかどうか、その点のみである。
僕は、死に瀕して、「ああ、俺の人生って何だったんだろう?」なんて思うことが、一番悲劇だと思っているわけである。
そんな可能性があるとしたら、今、一時の快楽を我慢することなど、全然苦にはならないのである。
人生とは
とはいえ、僕が上に書いているのは、あくまで、概念上の「人生」というキーワードに過ぎない。人の一生……といっても、その言葉が表す状況や、各々がイメージするものは異なる。
例えば、「時間」という概念。これは、「時間は誰にでも平等である」ということが言われたりするけれども、実は、その概念も人が作り上げたものである。もう少し卑近な例で行くと、時間の感じ方は文化によって違うとかいう、そんな話である。
もう一つ、「人生」や、今わの際、とかいったって、急逝する可能性もあるのだから、そんな、死ぬときのことなど考えるのは無意味だ、という考えもある。
それもまた事実である。
それらをひっくるめて、全状況として、「自分……
――時間切れ。
(かっこ書きである。エディタ起動してからいろいろで、15分、いやぁ短いなぁ。まずそもそも、ナイツとストレンジは予定外であった。あと、創作ルーチンで、意外に書き進んでしまったことが今日という日がひっ迫した原因であった。一気に書けるときはあるんだなぁ。しかしこう、自分で書いている最中に他の物語に当たるのは、あんまり良くないかもしれない。オンラインゲーム症候群的な意味合いもあれば、書きたいことが分からなくなったりブレちゃったりする可能性もある。行き詰ったときはいいだろうけれども。ええと、それで、次回。結局、なんで目標立てなきゃいけないの? ということが書き切れていない気がする。というよりも、「目標が大事」なんてことは、誰もが何の疑問ももっていないことで、書く必要性がないのでは? という疑問ももっともである。ただ、そりゃあ、個々具体的な「生き方」において――例えば仕事とか、恋愛とか――目標ないし戦略戦術が大切だなんて、分かりきっていることだろう。ただ、僕が書いておきたいというか、念頭に置きたいのは、そういうレベルなんじゃなくて、金言というか、モットーというか、「信念」的なのをもつべきではないか、という提起である。そういう意味で、「目標」というよりかは、「自分がどんな状況でも貫き通したいという生き方」を、持つべきではないか、といったことを表現したいわけである。それは言い換えれば「自我」といったりするわけであるが……と、とにかく強制終了、次回にする)
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