今日の一言「定期更新だ」「1月14日に決めたことだったんだな」
いよいよ、来週3月30日(土)が最後のルーチン更新日だ。
目標達成できそうである。
小さな目標であるけれども、何であれ、「達成」できたというのは大事なことだ。
とかって、まず、「セルフマネジメント」――かっこ笑い、である。
こういう、横文字を何か「へっ」っと、鼻で笑ってしまう人は少なくなかろう。欧米コンプレックスか。
この前、「レジリエンス」という、ストレスに対する「復元力」について書いたけれども、なんでこう、横文字(というかカタカナ)が登場するのか。
最近覚えた言葉といえば、「フレイル」。なんか、ゲームの魔法のような言葉だが、「虚弱」という意味で、「健常」と「要介護」の中間をあらわす、介護分野で登場する言葉のようだ。新聞とかでも登場するので、「一般的に覚えとけ」ってことなんだと思う。
何故あえて、耳慣れない言葉を使うのか。
その理由は、おそらく、耳慣れないこと、そのものにあると思う。
要は、「虚弱」とかいったところで、なんとなく聞き流してしまう。
一方で、「フレイル」という言葉を使うと、なんとなく耳に残る。「スケイル」だか「ボイル」だか、なんか間違って印象に残ったり、忘れてしまう人もいるかもしれないが、それでも、「残る」。
それが目的なんだろう。
新しい概念を印象付けるための、キャッチコピーみたいなもんだと思う。そこに本質は、ない。
ない、けれども、きっかけとしての役割は果たしていることだろう。自己肯定感の章立てのはずだったのに、話がそれた。
何故か。人は目的的な存在だからだ。
人は、一般の動物とは違い、知的である。抽象的な思考ができる。「考える」こと自体は、猫でもしているかもしれない。3歳児ぐらいの知能はあるとか聞いたことがあるような気がする。
しかし、「無駄なことを考える」ことができるのは、人間しかいない。
先日、いつだかは忘れたけれども、「オタクは無駄なことをするのだ」とか、そういう記事を書いた気がする。
そのとき僕は、そもそも「オタク」という言葉も廃れている印象があることに触れたうえで、無駄なことをするということは、全然ありだ、と書いたはずだ。
あり、どころか、「無駄なことをする」ことこそが、人間としての特徴ともいえる。
さてその無駄とは?
無駄、というのは、無能・無意味・無価値、という意味もあるだろうが、ここでは、「直接的に役に立たないこと」という意味で捉えてみよう。
今すぐは使えないこと。無駄。
まぁそれはそれで書き進めてもいいのだが、しかし、「本当に無駄なこと」というのがあるのではないか、という疑義が生じた。
今すぐ役に立たないこと……という言い回しは、要は、いずれは役に立つ可能性があること、という含意である。
今、ナウに必要なことが重要だ、という意見に対する反論であるが、しかし、それはそうとして、「では、本当に無駄なものは、無駄ってことでいいんですね」という疑義に、何と答えようか。
これに対しては、具体例が必要だ。本当に無駄なもの、というモノ・コトが、僕はイメージできない。
いや、「ついついやってしまうこと」として、「ひげじょり手すさび」があったとする。これは無駄だろう。ひげは翌日にはのびてくる。触っていたとしても、なくなるわけでもない。無駄だ。
まぁそういう些細な無駄はたくさんあるだろう。だが、本当に意識して、無駄なことをしようと思う人はいるのだろうか?
いない、と僕は思っている。違うのだろうか。
無駄なことをする、というのは、それは二律背反なのではないだろうか。矛盾。
その「無駄」というのは、あくまでも、自分以外の存在、他者から見たときに、無駄にみえる、ということなのだと思われる。
他者からしたら、「それ、意味あるの?」と、「要領悪いなぁ」と思うようなことでも、本人にしてみたら無駄には思えないことはあるはずだ。
いや逆に、これまでの記載はすべて、「自由意志」が成り立つ世界においてのものだ。
奴隷や、強制労働、不条理な仕事において、自分の意志にかかわらず、「無駄なことをさせられる」ということはあるだろう。
しかしそれは、受動的なものである。
ここで書いてきたのは、能動的に無駄なことをする、というのはありえるだろうか、ということだ。
何らか、必要だと思ってやっているのである(強制させられる場合など、例外は多々あるにせよ)。
であるからにして、他者の意志によって僕らは生きるのではないのだから、「自己肯定感」――つまり、自分で自分を認めるということが重要だ、ということだ。
申し込んだのは「JPWiMAX:https://jpwimax.jp/」。
速度チェッカーで試してみると、60mbps~80mbpsほど。
50mbpsで動画再生に支障がないほどということなので、十分な速度といえる。実際、アマゾンプライムでの視聴も問題なかった。
オンラインゲームするとなると、100mbpsが必要、ということだが、GTA5のPC版をやってみたが、一瞬ラグいときはあったが、おおよそプレイするには問題なかった。
(これは、FPSとか、対人戦をゴリゴリする人はまた違った感覚になると思う。僕も昔はFPSとかやっていたけれども、もうそういったゴリゴリしたのはあまりやらないので、この辺りは問題ない)
気になる月額は、24か月間3500円で、その後12か月は4100円である。
これまでの回線は月額6500円ほどだったので、費用削減になったといえる。
(これまでの回線の速度は、110~130mbpsだった。ポケットwifi特有の速度制限:3日間で10GB制限もなかったわけだし、その点は品質ダウンである。そのあたりと、月額3000円程度安いということと、どう考えるか)
(かっこ書きである。とあるIPA(情報処理推進機構)の国家試験を受けようと思う。というのと、書類整理を進めた。やはり定期的にやらんといかん作業だな。だが、数年前? いつだか忘れたけれども、1年がかりでいろいろ整理していった結果、結構いい感じ(整理がまぁまぁできている状況)になっていて、それほど時間を要しなかった。まだまだ、すすめられる余地もあるが、焦らず着実に進めていきたい。ミニマリストは、一日ではなれない。完全なミニマリストを目指しているわけでもない。余裕があってもいい。僕が目指しているのは、「完璧な管理」だ。完璧とか絶対という万物普遍はありえない、と常々言っているが、「管理」はしたい。本文にもでてきたが、管理とは、英語ではマネジメントだ。まぁ正式な定義はともかく、僕の理解としては、所有するモノを知悉することだ。何がどこにあるかがすぐに分かることだ。「あ、これって、こんなところにあったんだ!」というのをなくしたい。いらないものを持ちたくない。ネット回線もしかり。靴下を統一するのもしかり――あ、これ、くつした、ユニクロでいつも買っているが、俺がいつも購入している商品をおかなくなりやがった!!(ほとんど同じだが、若干デザインを変えてきた)くっそぅぅ! これがあるから、ある程度大量買いしておきたかったのだが、だが、在庫を抱えるのはまた、ポリシーに反するわけであり、くっ、なんたる葛藤だ……。っと、補足すれば、こうやって文章に書くと、やけに「生きづらそうなやつだな」と思われるだろうが、むしろこれらは逆である。管理できていた方がよほど気持ちがいいのである。ああ、こう書くと、整然として埃一つない状態を「正」にしているようだが、少し違う。が、長くなるからもうやめる。だが、そういえば、ワンピースの作者の仕事場、というか自宅は、「モノ」にあふれていた。んで、なんかの調査かアンケートで、クリエイティブな人は雑然とした状態を好む、とされていた。その「雑然」と、「管理」は反しないことだと思っている。雑然というのは、空間に対しての量もあるが、その状態であっても、自分で何がどこにあるかが分かっていれば、それは「管理」されているといえるのである。巨大な居住スペースを擁していれば、管理していなくても、それなりに綺麗にみせることは可能だ。だが当の本人が、何がどこにあるか分かっていなければ、宝の持ち腐れどころか、ゴミ、だ)
前書き
定期更新を、当初予定通りに、土曜日に書けたのは久しぶりな気もする。いよいよ、来週3月30日(土)が最後のルーチン更新日だ。
目標達成できそうである。
小さな目標であるけれども、何であれ、「達成」できたというのは大事なことだ。
自己肯定感
要所で聞かれることであるが、セルフマネジメントにおいて、自己肯定感は重要だ。とかって、まず、「セルフマネジメント」――かっこ笑い、である。
こういう、横文字を何か「へっ」っと、鼻で笑ってしまう人は少なくなかろう。欧米コンプレックスか。
この前、「レジリエンス」という、ストレスに対する「復元力」について書いたけれども、なんでこう、横文字(というかカタカナ)が登場するのか。
最近覚えた言葉といえば、「フレイル」。なんか、ゲームの魔法のような言葉だが、「虚弱」という意味で、「健常」と「要介護」の中間をあらわす、介護分野で登場する言葉のようだ。新聞とかでも登場するので、「一般的に覚えとけ」ってことなんだと思う。
何故あえて、耳慣れない言葉を使うのか。
その理由は、おそらく、耳慣れないこと、そのものにあると思う。
要は、「虚弱」とかいったところで、なんとなく聞き流してしまう。
一方で、「フレイル」という言葉を使うと、なんとなく耳に残る。「スケイル」だか「ボイル」だか、なんか間違って印象に残ったり、忘れてしまう人もいるかもしれないが、それでも、「残る」。
それが目的なんだろう。
新しい概念を印象付けるための、キャッチコピーみたいなもんだと思う。そこに本質は、ない。
ない、けれども、きっかけとしての役割は果たしていることだろう。自己肯定感の章立てのはずだったのに、話がそれた。
セルフマネジメント
話を戻す。自己肯定感についてだ。セルフマネジメント、つまり、自分をコントロールする、調整する、管理する場面において、自己肯定感は重要だ。何故か。人は目的的な存在だからだ。
人は、一般の動物とは違い、知的である。抽象的な思考ができる。「考える」こと自体は、猫でもしているかもしれない。3歳児ぐらいの知能はあるとか聞いたことがあるような気がする。
しかし、「無駄なことを考える」ことができるのは、人間しかいない。
先日、いつだかは忘れたけれども、「オタクは無駄なことをするのだ」とか、そういう記事を書いた気がする。
そのとき僕は、そもそも「オタク」という言葉も廃れている印象があることに触れたうえで、無駄なことをするということは、全然ありだ、と書いたはずだ。
あり、どころか、「無駄なことをする」ことこそが、人間としての特徴ともいえる。
さてその無駄とは?
無駄、というのは、無能・無意味・無価値、という意味もあるだろうが、ここでは、「直接的に役に立たないこと」という意味で捉えてみよう。
今すぐは使えないこと。無駄。
本当に無駄なこと
おおおおう、話がそれている。自己肯定感は何故重要か? という問いじゃあなかったのか。今俺は、「無駄なことをしたっていいじゃないか。むしろ、無駄なこと=抽象的なことであり、それこそが人間の最たる特徴である」ということを書こうとしていた。まぁそれはそれで書き進めてもいいのだが、しかし、「本当に無駄なこと」というのがあるのではないか、という疑義が生じた。
今すぐ役に立たないこと……という言い回しは、要は、いずれは役に立つ可能性があること、という含意である。
今、ナウに必要なことが重要だ、という意見に対する反論であるが、しかし、それはそうとして、「では、本当に無駄なものは、無駄ってことでいいんですね」という疑義に、何と答えようか。
これに対しては、具体例が必要だ。本当に無駄なもの、というモノ・コトが、僕はイメージできない。
いや、「ついついやってしまうこと」として、「ひげじょり手すさび」があったとする。これは無駄だろう。ひげは翌日にはのびてくる。触っていたとしても、なくなるわけでもない。無駄だ。
まぁそういう些細な無駄はたくさんあるだろう。だが、本当に意識して、無駄なことをしようと思う人はいるのだろうか?
いない、と僕は思っている。違うのだろうか。
無駄なことをする、というのは、それは二律背反なのではないだろうか。矛盾。
他者という存在
つまり、本人にとって、無駄なことをしている認識はないはずだ、という仮説。その「無駄」というのは、あくまでも、自分以外の存在、他者から見たときに、無駄にみえる、ということなのだと思われる。
他者からしたら、「それ、意味あるの?」と、「要領悪いなぁ」と思うようなことでも、本人にしてみたら無駄には思えないことはあるはずだ。
いや逆に、これまでの記載はすべて、「自由意志」が成り立つ世界においてのものだ。
奴隷や、強制労働、不条理な仕事において、自分の意志にかかわらず、「無駄なことをさせられる」ということはあるだろう。
しかしそれは、受動的なものである。
ここで書いてきたのは、能動的に無駄なことをする、というのはありえるだろうか、ということだ。
だからね
なので、奇跡的に自己肯定感の話に戻るけれども、上のように、無駄なことは僕らはしないのである。何らか、必要だと思ってやっているのである(強制させられる場合など、例外は多々あるにせよ)。
であるからにして、他者の意志によって僕らは生きるのではないのだから、「自己肯定感」――つまり、自分で自分を認めるということが重要だ、ということだ。
雑記
と、いうことを、新しい回線、ポケットワイファイで書いているが、特に問題なし、である。申し込んだのは「JPWiMAX:https://jpwimax.jp/」。
速度チェッカーで試してみると、60mbps~80mbpsほど。
50mbpsで動画再生に支障がないほどということなので、十分な速度といえる。実際、アマゾンプライムでの視聴も問題なかった。
オンラインゲームするとなると、100mbpsが必要、ということだが、GTA5のPC版をやってみたが、一瞬ラグいときはあったが、おおよそプレイするには問題なかった。
(これは、FPSとか、対人戦をゴリゴリする人はまた違った感覚になると思う。僕も昔はFPSとかやっていたけれども、もうそういったゴリゴリしたのはあまりやらないので、この辺りは問題ない)
気になる月額は、24か月間3500円で、その後12か月は4100円である。
これまでの回線は月額6500円ほどだったので、費用削減になったといえる。
(これまでの回線の速度は、110~130mbpsだった。ポケットwifi特有の速度制限:3日間で10GB制限もなかったわけだし、その点は品質ダウンである。そのあたりと、月額3000円程度安いということと、どう考えるか)
(かっこ書きである。とあるIPA(情報処理推進機構)の国家試験を受けようと思う。というのと、書類整理を進めた。やはり定期的にやらんといかん作業だな。だが、数年前? いつだか忘れたけれども、1年がかりでいろいろ整理していった結果、結構いい感じ(整理がまぁまぁできている状況)になっていて、それほど時間を要しなかった。まだまだ、すすめられる余地もあるが、焦らず着実に進めていきたい。ミニマリストは、一日ではなれない。完全なミニマリストを目指しているわけでもない。余裕があってもいい。僕が目指しているのは、「完璧な管理」だ。完璧とか絶対という万物普遍はありえない、と常々言っているが、「管理」はしたい。本文にもでてきたが、管理とは、英語ではマネジメントだ。まぁ正式な定義はともかく、僕の理解としては、所有するモノを知悉することだ。何がどこにあるかがすぐに分かることだ。「あ、これって、こんなところにあったんだ!」というのをなくしたい。いらないものを持ちたくない。ネット回線もしかり。靴下を統一するのもしかり――あ、これ、くつした、ユニクロでいつも買っているが、俺がいつも購入している商品をおかなくなりやがった!!(ほとんど同じだが、若干デザインを変えてきた)くっそぅぅ! これがあるから、ある程度大量買いしておきたかったのだが、だが、在庫を抱えるのはまた、ポリシーに反するわけであり、くっ、なんたる葛藤だ……。っと、補足すれば、こうやって文章に書くと、やけに「生きづらそうなやつだな」と思われるだろうが、むしろこれらは逆である。管理できていた方がよほど気持ちがいいのである。ああ、こう書くと、整然として埃一つない状態を「正」にしているようだが、少し違う。が、長くなるからもうやめる。だが、そういえば、ワンピースの作者の仕事場、というか自宅は、「モノ」にあふれていた。んで、なんかの調査かアンケートで、クリエイティブな人は雑然とした状態を好む、とされていた。その「雑然」と、「管理」は反しないことだと思っている。雑然というのは、空間に対しての量もあるが、その状態であっても、自分で何がどこにあるかが分かっていれば、それは「管理」されているといえるのである。巨大な居住スペースを擁していれば、管理していなくても、それなりに綺麗にみせることは可能だ。だが当の本人が、何がどこにあるか分かっていなければ、宝の持ち腐れどころか、ゴミ、だ)
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