今日の一言「酒を飲むと睡眠が浅くなる」
前回の記事で、「3時間後ぐらいに、朝5時ぐらいに目が覚めたら、何か書こう。ようやく『思考』の感覚が戻ってきた」と書いた。
で、予想だにしなかったが、目が覚めたので書く。
僕はそれを聞いたとき、なんと言うことが適切だろう、と思った。
それは、冷たい人間なのか。そのあたりが分からない。
いやその、何故「冷たい」と自分で思うかといえば、ふつーの人は、「自然に」何か思うのではないか、ということである。
でも僕は、「自然に」がよくわからず、どうしたら、相手が最も欲している言葉をかけてあげられるのかということを思ってしまう。
しかし、それは本当は難しいことなのである。
本当、も何も、基本無理だ。
だって、その「辞める」理由も、その人の気質性格も、その人の来歴も、これからの展望も、様々な要素が絡み合う。
そんな中で、いったいどうやって、「正解」を求められるのだろう。
正解がないから、「自分自身」が「自然に」思ったことが正解である。
もう一度、俺は、自分に問いかける。
そのとき、「僕」は、いったい、何をおもったのか。
――分からないのだ。
いや、その、「相手の欲することを考える」って、良いことにも思えるじゃん。
しかし、こういう批判はどうだろうか。
「結局、自分が傷つくことを恐れているんでしょ」
と。
それは、その面は、あると思う。
要するに、「自分」というブランド(かっこわらい)が傷つくことを恐れているのである。
完全無欠で常に正しいことを行う人間。
お笑いである。
笑いとは、本来あるべき姿から、少し意外である場合に起こる。この「少し」が難しい。少しを過ぎると、「ひく」が起こる。理解不能になるからだ。
しかし、「ブランド」という表現はわかりやすい気がする。
自己同一性と同義で用いているのである。
要は自分。
そう、この問題を書くときに、書いておかなければいけないのは、――。
いろいろ、失うのが怖い。
俺は、――。
……ぷっつりと、思考が途絶えた。
数分、何も頭に浮かばなくなった。
なんだっけ。何の話だっけ。
自我同一性。
自分とは、記憶。
俺は、誰だ。
俺は、何だ。
しかし、変化しないものもある。名前。歴史(来歴)。
書くことに執着しているのは、「自分が思った」ことは、紛れもない事実だから。
だから、そこに、僕は、僕自身を探しているのか。
そこに、「いる」のかもわからないのに。
しかし、それぐらいしか、僕はやってこなかったから、他にやり方が分からない……嘘だ。
他者とのかかわりも、試してみたじゃないか。
そもそも、他者とのかかわり、って表現自体が間違っている気がする。そういうもんじゃない。ふつーの人は、「自然に」やるもんだ。
生きることに必要なのは、金じゃないんじゃないか。
必要なのは、モチベーションなんじゃないか。
この問題は、すぐに答えはでないのである。
僕は何なのか。
僕は何を維持したいのか。
僕はどうなっていきたいのか。
難しい問いなのだ。
同時に、「僕」という存在は、関係性の中に存在する結節点に過ぎず、それ自体が存在するわけでもない、という考え方も抑えておかなければならないし、やれやれ、難しい問題だ。
だからこそ、こうやって、長年書き続けなければいけないのである。
それは、現状の、仕事の状況とか、プライべーどの状況とか、どういった創作物と出会って感じてとか、リアル・非リアルの他者の存在も含めて、考えていかなければいけないのだ。
だから、書かないとダメなのだ。さぼっちゃダメなのである。
前も書いたけれども、「書きたくない」ときこそ、書いたほうがいい。何故なら、そういう時の情報が、絶対、これまでも不足しているから(かっこわらい)。当たり前だ、「書きたくない」ときは書いていないだろうから、そのときの気持ちが表現された文章は少なかろう。
ルーチンとして、週間更新するのだと。中々、難しいが……。
しかし、思えば、「難しい」ときにするための対策も、色々とこれまでも考えて、実践もしてきたはずである。
何故最近更新ができなくなったのか。新しいゲームに手を出した、というのもあるが、土日に外出する場合が多かったというのもあるが、平日忙しかったというのもあるが、要は、それらによって、モチベーションが低下したことが直接の原因なのだ。
ところで、結婚するとかしないとか、子供が欲しいとか欲しくないとか、一時期はそれについて触れていたけれども、最近は、それらを考えることすらなくなっている。
いや、まぁ、「どうするんだ?」的なことを問われることもあったりするから、そういうときは、どっちでもいいか、的な感じである。
しかし正直なところ、「結婚」=「子供」的な感じがする。
敢えて結婚だけするという必要性が分からない――し、これは、他の別世代の人に話してみても、「確かに」という反応が多い気がする。
まぁ、「逆」ではある。
結婚して基盤がつくられるから、子供ができる、というのがこれまでの「ふつう」であったろう。
しかし、ほんとかどうか分らんが、「経済的に」結婚が困難であるとしたとき――いや、ほんとかどうか分からん、というのは、「結婚」自体は別に役所に紙を出せば済むだけだ。結婚式とかいろいろ、やろうとするとそりゃ金がかかるわけだし、男女のいっぽうが、一方を養うとすれば、そりゃあ「経済的に」問題は生じるだろう。
もう、ここまでくると、もう、昨日と打って変わったタイピング速度が出ている。そうそう、こんな感じだったんだ。思い出してきたよ。
いやほんと、だからね、「結婚」の目的は何ぞや、って話である。
僕は、このブログで書いたか分からないが、結婚したことはあるけれども、なんかこう、「焦って」したような気もする。
ああ、そこら辺のもう少し、突っ込んで書いたほうがいいのかな。
その頃の記事って、たぶん、探してないが、きっと十分に無いと思う。おそらく、俺が意図的に書かないようにしていただろうから。
相手のこともあるし、個人情報的に、あんまり個別具体的なことは書かないように気を付けているのだ。
身バレ。
ううむ……怖いな(かっこわらい)。
別に、信頼おける方なら構わないが……いや、違う、これは、ちょっと違う気がする。
そもそも「リアル」的なことにおいて、利害関係がある人は、僕は多分、信用できない気がする。
それは、例えば、大学の友人たち、であってもだ。
僕は、SNS的なのをやりたいとは思わない。いやまぁ、大学時代は、相当やっていた気がするが……。
<約50分>
前書き
一人称も、俺、だったのか、僕だったのか、私だったのか。前回の記事で、「3時間後ぐらいに、朝5時ぐらいに目が覚めたら、何か書こう。ようやく『思考』の感覚が戻ってきた」と書いた。
で、予想だにしなかったが、目が覚めたので書く。
とある友人の話
前回の記事でも書いたが、とある友人が会社を辞めて実家に帰るのだという。僕はそれを聞いたとき、なんと言うことが適切だろう、と思った。
それは、冷たい人間なのか。そのあたりが分からない。
いやその、何故「冷たい」と自分で思うかといえば、ふつーの人は、「自然に」何か思うのではないか、ということである。
でも僕は、「自然に」がよくわからず、どうしたら、相手が最も欲している言葉をかけてあげられるのかということを思ってしまう。
しかし、それは本当は難しいことなのである。
本当、も何も、基本無理だ。
だって、その「辞める」理由も、その人の気質性格も、その人の来歴も、これからの展望も、様々な要素が絡み合う。
そんな中で、いったいどうやって、「正解」を求められるのだろう。
正解はないのが正解
だから、正解は、無いのである。正解がないから、「自分自身」が「自然に」思ったことが正解である。
もう一度、俺は、自分に問いかける。
そのとき、「僕」は、いったい、何をおもったのか。
――分からないのだ。
いや、その、「相手の欲することを考える」って、良いことにも思えるじゃん。
しかし、こういう批判はどうだろうか。
「結局、自分が傷つくことを恐れているんでしょ」
と。
それは、その面は、あると思う。
要するに、「自分」というブランド(かっこわらい)が傷つくことを恐れているのである。
完全無欠で常に正しいことを行う人間。
お笑いである。
笑いの構造
笑い、にできるなら良いが、笑いどころではないのが現状だろう。笑いとは、本来あるべき姿から、少し意外である場合に起こる。この「少し」が難しい。少しを過ぎると、「ひく」が起こる。理解不能になるからだ。
どういうブランドなのか
いやはや、しかし、こうやって書いたことが、こうした表現は初めてだったかもしれないが、まぁ、もともと書いたりしているはずだ。しかし、「ブランド」という表現はわかりやすい気がする。
自己同一性と同義で用いているのである。
要は自分。
そう、この問題を書くときに、書いておかなければいけないのは、――。
いろいろ、失うのが怖い。
俺は、――。
……ぷっつりと、思考が途絶えた。
数分、何も頭に浮かばなくなった。
なんだっけ。何の話だっけ。
自我同一性。
自分とは、記憶。
俺は、誰だ。
俺は、何だ。
維持すべき自分
自分は変化する。しかし、変化しないものもある。名前。歴史(来歴)。
書くことに執着しているのは、「自分が思った」ことは、紛れもない事実だから。
だから、そこに、僕は、僕自身を探しているのか。
そこに、「いる」のかもわからないのに。
しかし、それぐらいしか、僕はやってこなかったから、他にやり方が分からない……嘘だ。
他者とのかかわりも、試してみたじゃないか。
そもそも、他者とのかかわり、って表現自体が間違っている気がする。そういうもんじゃない。ふつーの人は、「自然に」やるもんだ。
生きることに必要なのは、金じゃないんじゃないか。
必要なのは、モチベーションなんじゃないか。
すぐに答えはでない
そう。この問題は、すぐに答えはでないのである。
僕は何なのか。
僕は何を維持したいのか。
僕はどうなっていきたいのか。
難しい問いなのだ。
同時に、「僕」という存在は、関係性の中に存在する結節点に過ぎず、それ自体が存在するわけでもない、という考え方も抑えておかなければならないし、やれやれ、難しい問題だ。
だからこそ、こうやって、長年書き続けなければいけないのである。
それは、現状の、仕事の状況とか、プライべーどの状況とか、どういった創作物と出会って感じてとか、リアル・非リアルの他者の存在も含めて、考えていかなければいけないのだ。
だから、書かないとダメなのだ。さぼっちゃダメなのである。
前も書いたけれども、「書きたくない」ときこそ、書いたほうがいい。何故なら、そういう時の情報が、絶対、これまでも不足しているから(かっこわらい)。当たり前だ、「書きたくない」ときは書いていないだろうから、そのときの気持ちが表現された文章は少なかろう。
本記事の目的
この記事では、もう一度、思い出そう。ルーチンとして、週間更新するのだと。中々、難しいが……。
しかし、思えば、「難しい」ときにするための対策も、色々とこれまでも考えて、実践もしてきたはずである。
何故最近更新ができなくなったのか。新しいゲームに手を出した、というのもあるが、土日に外出する場合が多かったというのもあるが、平日忙しかったというのもあるが、要は、それらによって、モチベーションが低下したことが直接の原因なのだ。
ところで、結婚するとかしないとか、子供が欲しいとか欲しくないとか、一時期はそれについて触れていたけれども、最近は、それらを考えることすらなくなっている。
いや、まぁ、「どうするんだ?」的なことを問われることもあったりするから、そういうときは、どっちでもいいか、的な感じである。
しかし正直なところ、「結婚」=「子供」的な感じがする。
敢えて結婚だけするという必要性が分からない――し、これは、他の別世代の人に話してみても、「確かに」という反応が多い気がする。
まぁ、「逆」ではある。
結婚して基盤がつくられるから、子供ができる、というのがこれまでの「ふつう」であったろう。
しかし、ほんとかどうか分らんが、「経済的に」結婚が困難であるとしたとき――いや、ほんとかどうか分からん、というのは、「結婚」自体は別に役所に紙を出せば済むだけだ。結婚式とかいろいろ、やろうとするとそりゃ金がかかるわけだし、男女のいっぽうが、一方を養うとすれば、そりゃあ「経済的に」問題は生じるだろう。
結婚の話になった
話がそれたので、小見出しを変える。もう、ここまでくると、もう、昨日と打って変わったタイピング速度が出ている。そうそう、こんな感じだったんだ。思い出してきたよ。
いやほんと、だからね、「結婚」の目的は何ぞや、って話である。
僕は、このブログで書いたか分からないが、結婚したことはあるけれども、なんかこう、「焦って」したような気もする。
ああ、そこら辺のもう少し、突っ込んで書いたほうがいいのかな。
その頃の記事って、たぶん、探してないが、きっと十分に無いと思う。おそらく、俺が意図的に書かないようにしていただろうから。
相手のこともあるし、個人情報的に、あんまり個別具体的なことは書かないように気を付けているのだ。
身バレ。
ううむ……怖いな(かっこわらい)。
別に、信頼おける方なら構わないが……いや、違う、これは、ちょっと違う気がする。
そもそも「リアル」的なことにおいて、利害関係がある人は、僕は多分、信用できない気がする。
それは、例えば、大学の友人たち、であってもだ。
僕は、SNS的なのをやりたいとは思わない。いやまぁ、大学時代は、相当やっていた気がするが……。
あとがき
(かっこ書きである。長くなった。時間切れが近づいているし、あとがきも書かなきゃだから、終わろう。ということでかっこ書きである。あー、「長くなった」って表現も、久しぶりだな。そう、そうなんだよ。書くこと、たくさんあるはずなのだ。しかし、ものすごくモチベーションが低下していた。何なんだこれは。いやーしかし、戻った戻った。何だ、やっぱり、この程度の駄文なら全然楽勝じゃないか。ほんと、しかし、最近この程度も書けなくなってたから、昨日とかは、「ほんと俺はどうしてしまったんだ」と変に落ち込んだ。落ち込むべきところは他に色々あるだろうが。あ、そうだ、更に思い出した。昨日の記事で「何もしていないと書けない」とか、タイトルか小見出しで書いていたが、それって、例えば、旅行に行ったり、仕事で云々していたり、そういうケースである。つまり、何もしていないわけでは当然ないのだが、「思考」にかかわることをしていない、ということなのだ。いや、それもおかしな話で、別に、様々な行動と結び付けて思考すべきだ、と上に書いた通りであって、であれば、別に書けるはずなのだ。にも拘わらずかけないのは、その、個人情報的云々が強すぎるからであるだろう。つまり、踏み込んで書くと、直接的過ぎてしまう、という場合だ。難しいなぁ。であれば、信頼できる方だけの、とある友人もそうしているが、パスワード付きのブログにしてしまうとか。なんか、違うんだよな。俺は広く、一般的に書きたいのだ。ええと、この辺りは、ブログの目的的カテゴリを読めば思い出すだろうか。ああ、もう、そのレベルのことすら、最近は忘れてしまっていたのか。とにかく、書くべきことは色々あるはずなのだ。モチベーションがどうこうとか、そんな甘ったれたこと言ってんじゃない)<約50分>
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