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信頼と信用を利用という観点から考える
2011/11/30 07:39 | Comments(0) | TrackBack() | 思考及び書くこと
政治は信頼である
電車やパソコンは信用である


現代は、すべてのメカニズムを知らなくても利用ができる。

政治とは何かをいったとき、安全にご飯が食べられることであり、プラスアルファはそれぞれの国で憲法や法律で定められる。
でも、すべての法律の運用までを一般人は知ることができない。
だから、国会議員を選び、その人に政治を任せるのである。
そのとき、判断は、その人の信頼性である。

電車やパソコンは、信頼する必要はなく、信用する、即ちその動きと結果を信じればいいのである。信頼のように、動機を考える必要はない(思考するロボットは、唯一例外になりえる可能性であり、興味深い)。


では問題。仕事はどちらか?



信頼である、と、日本人の20代の若者は判断している。
それは科学的合理的なものではなく、価値観の問題と思う。価値観=考え方や感じ方の総体。




以上の思考を軸に、いわば規範として、行動をあてはめていく。



しかしながら、この規範(ルール)を、常に使おうとするのは愚かである。

ルールと運用は別である。
いかに厳格なルールでも、例外はあるし、なにより、憲法や法律がそもそもある種理念(価値観を抽象化し精査したもの)ということに立ち返れば、ルールの適用は判断(ぶれがある)にならざるをえないからだ。

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