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何か創造するとは、何かに触れること
2011/12/03 16:04 | Comments(0) | TrackBack() | 思考及び書くこと
動画というより、曲だけれども。
ドラクエのフィールド曲集。↓




『嫌悪』
http://www5.atpages.jp/~lombardia/contribution.php?goto=detail&id=70

脈絡はないけれども、↑のリンクの小説は、最初に読んだ時のインパクトはもちろんなかったが、面白いと思った。


小説を書くにも
音楽を作るにも

何かを創るには、何か、よい作品、に触れることが大切に思える。


そして、何かを思考するにも、だ。
と、ここまで書いて、カテゴリを動画から「ひとりごと」にかえた。

僕は、何か考えているということが、「オリジナル」のように思えていた、そしてそのことは、厳密には離れられていない。
それはなにも、人はみな自分が一番だとかいった、使い古された諦念などではなくて、もはやそれは当然のことであると受け入れたうえでの一歩前進した準拠点である。

「オリジナル」、起源、ユニーク性、つまり、他者とは違う、「自分」というものの存在を純粋に信じていたということになる。

悟りきった風に、「ひととひとは永遠にわかりあえることはない」なんて思う、そんな心性は、かわいいと今は思う。

人生に意味などない、この言葉だってかわいいものだ。


……こうした感覚に陥ることや、テーマとして掲げるということ自体、それが反転したそのことへの憧憬であるということに、おそらく、「本人」は気づかないのである。

「正義」を、純粋に信じている者が、この世にもはや存在しているのだろうか。
いや、かわいらしい愚か者であればありえるし、その純粋さは貴重である。ところが誰しも、もはや、「虚無」という言葉を、いや、言葉としては知らなくても、心の内には秘めているに違いないのである。


「意味がない、だからこそ頑張る」

「人はいずれ死ぬ」

「人生は限りある時間である。だから必死に生きるのだ」


……「時間」というキーワードも、近代の産物であるというのは、説明は実は難しいことだと思っている。
太陽が昇り、沈むの繰り返しの中でも、時間というのは存在しているのだから、ここでの「時間」はむしろ、細分化と共通化(普遍化?)が問題となる。
1分という単位の感じ方は違うけれども、自然に左右はされず、24時間はめぐるのである。



目的を置いたり、目標を立てたり、理想に向かって進むのはかっこいいことだと思う。

それはきっと、皆が思うことだ、にもかかわらず、そうした前向きになれない人が存在する理由を考えれば、結局のところ、目的どころか、立てるべき目標が見つからないのである。



と、いい歳をした大人が、いつまで自分の目的を探しているのか。青い鳥症候群と笑われてしまうだろう。

大人……。
すなわち、「自己」を引き受けられる存在、いやいや単純にいえば、「責任」をとれる存在である。

責任とは何か? をきけば、法律がそれである。……と断定するのは、男性という種類の悪いところであって、コミュニケーションであるといえる女性と違い、老人ホームで男性の多くは「ぼっち」になるのだ。


まぁ、そんなことはどうでもいい。

それに僕がカッコ悪いのは、今に始まったことではない。
きっと、明日読めば赤面してしまうような文章だろう、だけれども、その赤面に耐えられず、文章を消してしまうような人は、むしろ逆に、ずっと子どものままなのである。


よくブログやミクシィ等の記事を、「消す」人がいる。
もしくは、多重人格的に、「公開」する設定をかえている人もいる。

ばかにしているわけではないし、僕だって、本名で書いているわけではないのだから、同じようなものだ。
というよりも、インターネットにおいて本名をさらすことは、すでに「有名人」である以外に、メリットはないし、そうであったとしても、「論理」を商売にする人以外はすべきではない。

正直な話、僕のブログのアクセスが毎日3000人とかになったら、嬉しい反面、記事に困ってしまうだろう。

困った人がいるからなのだ、それは、3000人というアクセスの中で、目立とうとする人なのだ。
3000人の共感者であれば、それは単純な嬉しいという感情に集約させていいと思うのだけれども、そんなことはありえないのである。


では何故公開するのか?

これは、自意識であるといえる。といえるのだけれども、バーチャルな「見られている感覚」が重要なのではないかと思う。
あんまりみんなに見られたくないけれども、無視もされたくないといった、わがままな思い、そうなのかもしれない。

それと、やはり、検索性は便利だ。
それと、インターネットの情報すべての、集約地点としての意味、という観点からも、とらえなおすことができる。


記憶よりも記録を残せ。

この言葉は好きだ。


あいまいなことはしたくない。つみあげていき、体系づけていく、それが、僕の楽しいことかもしれない。


では、この今の作業は、「人生」という体系において、どう紐付けされているのだろうか?

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