今日の一言「なんだか久々な気がする」「過去の記事を読むと最近のことのようだ」
自由とは何か、責任とは何か。お金を稼ぐとは何か、生きるとは何か。そういった問いはわきに置いておこう。完全に捨て去るのではない、ちょっとばかり、保留にするのである。
最近ふと思うのだけれども、「冒頭」が大事だと思う。面白い物語というのは、これからどういった展開がまっているのか、最初に期待させてくれるものだ。もちろん、優れた作者・創作者の作品は、序盤がふつーでも、これまでの経験から後半にきっと楽しませてくれるだろうという信仰があるがゆえに、読み進めることができる。(しかし、村上春樹さんの1Q84は、50ページぐらいで投げ出した。前編後編まとめて新品で買ったのに、そのまま中古本屋いきとなった珍しいパターンだ。その後、レビューとかあらすじとか紹介しているのを見ると、後半は結構面白そうな気もしたけれども、また買って読もうとは思えない)
本当に心の底までしみ込んでくるような作品というのは、小説媒体が多いと思う。しかし、小説というのは、頭を使うし、その、「読む」という行為を行うだけの環境整備が必要になる。ページをめくる腕や指は、その読むという作業に特化する必要がある。簡単な言葉で表現するなら、小説媒体はコストがかかるのだ。
一方で、映像作品(映画・アニメ)は、食事中でも見ることができる。視聴コストが低いのである。(漫画は、その中間か)
実際、序盤、1話~5話? あたりは、そんなに引き込まれてはいなかった。ただ、中盤以降に描かれるという主人公のダークさ、「ま、いっか、こいつは殺してもいい奴だから」という台詞のシーン(※)みたさに、流しで見ていった。
そうこうしているうちに、だんだん引き込まれていった。主人公の一団が、テイワーズというマフィア的な企業と提携することになり、義兄弟の契りを結ぶシーンとか、楽しかった。
現在、オープニングテーマが変わる話数まで視聴完了したが、一期については、最後までみようという意思が強くなっている。
※噂で聞くのと、実際に自分で見るのとは、やはり印象が異なっている。まさか、こんなにもさらっと描かれる(OP前の)シーンだったとは。前知識なく自分一人で観ていたら、気にもとめないシーンだったかもしれない。けれども確かに、主人公の葛藤を描く重要なシーンの一つであることは疑い得ない。
それ以外にも、ヒロインの唇をあまり深く考えず奪ったあたりで手が震えていたり、農園をひらきたいと夢を語るところとか、文字の勉強をするところとか、幼馴染のオルガくんと、同じ「我」という文字があるところにちょっと嬉しそうにしたりとか、子どもらしい可愛いところがある。それと反して、敵は容赦なく殺しちゃうところが、こうして思い返すと、ダーク系主人公としていい感じだなぁ。
しかし、序盤、あまりのめり込めなかった理由は、ヒロインの二人に魅力が感じられなかったところだ。なんだろう、10年前ぐらいだったら、ときめいていた気もするが……。話しが段々それていくが、マクロスFの二人のヒロインも、どちらにも魅力が殆ど感じられなかったので、途中でほおりだしてしまった。
うーむ、そういう意味だと、オルフェンズも、誰か応援したいような、強い感情移入というか、憧れ的なキャラクターはいないなぁ。強いてあげれば、タービンズの名瀬さんとか、ギャラルホルンという軍事組織の尉官であったクランクさんはかっこよかった。超序盤で某少年兵に惨殺され物語の舞台から退場してしまうが……。
そういえば、初代ガンダムの、ランバ・ラル大尉もかっこよかった。逆に、それ以外、あまり魅力的なキャラクターがいなかった気がする。ガンダムシリーズって、群像劇(小説で言えば、第三者視点)なわけなので、魅力的なキャラクターが仰山いるか、ストーリーが目まぐるしく面白いかしないと、継続してみようという気になれないのである(※※)。
※※とか、熱烈なファンが多いガンダムシリーズについて批判的なことを書くと、ファンの方々から石を投げられるだろう。しかしこれは単に、今現在、自分にとっては合わない、というレベルに過ぎず、大した問題ではない。僕はエヴァとか攻殻が好きだけれども、それを面白くないという人もいるわけだ。僕も、そういう人には、面白い点を是非知ってもらいたいと思って色々話したくなってしまうだろうけれども、合わないもんはしょうがない。それこそ多様性だ、価値観だ。
・鉄血のオルフェンズ
・攻殻機動隊実写版(ゴーストインザシェル)
・映画リセット
殴り書きしたメモが残っていなかったら、「リセット」とか、見たことすら忘れていた。
この映画は、不完全燃焼だった。なるほど、アマゾンレビューにあるように、キリスト教の原罪と天地創造(ノアの大洪水後の再生のような)をテーマにしているようなことは、神への冒涜を口走るごとに危険が発生するような描写から感じ取ることができた。
しかし、この記事の冒頭で書いたように、その「冒頭」において、そもそも、これが何を描いた作品なのかが、全く分からず、非常に退屈だったといえる。結局、「闇」とは何だったのかも明確に明かされることもない。深い意味はともかく、ドンパチアクションで楽しませる作品もあるけれども、取りあえず人がどんどん闇に飲み込まれていくというパニックが描写されるだけで、よく分からない。
ああ、その、よく分からなさでいくと、もう一つ思い出した。
・映画フィギュアなあなた
18禁作品だが、ふとアマゾンプライムであったので見てみた。女の人の裸体をみることが目的であればよかろうが、これもストーリーがひどかった。
序盤の、主人公が会社において、損失を出した失敗を上司から一人に押し付けられて、左遷させられるシーンとか、まぁ掴みとしてはいいと思う。主人公の怒りというか、苛立ちというか、憎しみというか、哀しみというか、自暴自棄になっていく様がよく表現されていたように思う。しかし、肝心な、等身大フィギュアを拾った後のストーリーがどうにもこうにも冗長で、早送りなしには見ることができなかった。
この残念さ加減。これが、小説媒体で、無理して最後まで読み続けて、結局やっぱり駄目だった、となると、もうこの時間を無駄にした感じが多大なものになる。だらだらと、昼まで寝てしまったときの方が、まだマシに思えてしまうから不思議である。
音読、の成果は分からないが、筋トレは、正直、大したことをやっていないのだけれども、身体の見た目に分かる程効果はあった。始める前に写真とっておけばよかったけれども、僧帽筋、上腕二頭筋が太くなり、腹筋のしわが深くなった。
(筋肉の名称)
正しい筋トレの仕方とか、健康器具とか、健康サプリとか、まぁ色々あるけれども、とにかく、継続することができなければ、成果には結びつかない。だからこそ、「何を」継続するかについて、非常に重要なのである。だから、目標とか、目的をしっかりもちなさいと、僕はいつも自分に言っている、のであるが、残念ながら迷走中である。
ようやく、ここから、書こうと思ったことに取り掛かれる。
……のだけれども、どうにも長くなってしまったのでいったん打ち切ろう。
後編へ続く、的な。この記事は、最近みた作品についてのコメントのみで終わってしまったようだ。一つ、書いておくべきは、作品への批判が目的ではないということだ。あくまでも、「自分はこう思った」ということへのメモである。
聖書くらいしか物語がなかった中世以前とは異なり、今や、小説、映画、漫画、ドラマ、演劇、落語、オペラ、数々の物語と、その表現技法に溢れているのが現代である。
どんなに頭が良くて、時間の使い方が上手い人でも、そのすべてに触れることは不可能である。
であるからにして、自分はどういった作品を求めているのか、これまでどういったものを観たとき、どういった感覚を抱いたのか、それを表現しておくことは、非常に重要なのである。
ということを書いてみて、もう一つ、最近取りあげようと思ったものを思い出した。
読者と作者のための地雷作品回避法三種
――限界まで耐える、途中で打ち切る、読まずに避ける
地雷作品の回避、と銘打っているが、実際は、面白い作品に効率的に出会う方法とも読み替えることが可能だろう。
僕も、無意識的に、ここで挙げられている三種の方法を実践していたわけだけれども、こうして、理論的というか、緻密に表現されているのを読んで、直観的に「長い!」と思ったけれども、それ以上に唯々すごいなぁと思った。
僕の記事も長さでは時おり負けてはいないと思うけれども、話しがあっちらこっちら飛んでいったり、理論的ではなく感覚的に「こう思う」と断じてしまっていたりと、似ても似つかない構成である。
上のブログの方は、頭が良くて実直な方なんだなぁと思う。
こういう方の記事を読んでいると、いやぁ俺ってダメな奴だなぁと思ってしまうのだけれども、まぁ僕のように、こんなテキトーに記事を書くというのも、時おり面白かったり、大事だったりするんだよ、ということを、どこかの誰かにちょっとでも伝えられたらいいなぁと、そんな淡い期待を抱きつつ。
(続く)
敢えて何もしない日をつくる
何かを求めて、何かをしなければと焦燥にかられる毎日である。休日であっても、何かを充実させなければならないという強迫観念が生じる。やめよう。自由とは何か、責任とは何か。お金を稼ぐとは何か、生きるとは何か。そういった問いはわきに置いておこう。完全に捨て去るのではない、ちょっとばかり、保留にするのである。
最近ふと思うのだけれども、「冒頭」が大事だと思う。面白い物語というのは、これからどういった展開がまっているのか、最初に期待させてくれるものだ。もちろん、優れた作者・創作者の作品は、序盤がふつーでも、これまでの経験から後半にきっと楽しませてくれるだろうという信仰があるがゆえに、読み進めることができる。(しかし、村上春樹さんの1Q84は、50ページぐらいで投げ出した。前編後編まとめて新品で買ったのに、そのまま中古本屋いきとなった珍しいパターンだ。その後、レビューとかあらすじとか紹介しているのを見ると、後半は結構面白そうな気もしたけれども、また買って読もうとは思えない)
本当に心の底までしみ込んでくるような作品というのは、小説媒体が多いと思う。しかし、小説というのは、頭を使うし、その、「読む」という行為を行うだけの環境整備が必要になる。ページをめくる腕や指は、その読むという作業に特化する必要がある。簡単な言葉で表現するなら、小説媒体はコストがかかるのだ。
一方で、映像作品(映画・アニメ)は、食事中でも見ることができる。視聴コストが低いのである。(漫画は、その中間か)
オルフェンズ
ガンダムシリーズは、初代の総集編映画を見てから、二作目となるが、鉄血のオルフェンズをみている。これは、あるエンターテイナーが面白いレビューというか感想を書かれているから興味をもったわけであるが、多分、そうした紹介を目にしなければ、一生見ることはなかったように思える。多分、対面コミュニケーションで、友人から薦められても、食指が動かなかったろうと思う。実際、序盤、1話~5話? あたりは、そんなに引き込まれてはいなかった。ただ、中盤以降に描かれるという主人公のダークさ、「ま、いっか、こいつは殺してもいい奴だから」という台詞のシーン(※)みたさに、流しで見ていった。
そうこうしているうちに、だんだん引き込まれていった。主人公の一団が、テイワーズというマフィア的な企業と提携することになり、義兄弟の契りを結ぶシーンとか、楽しかった。
現在、オープニングテーマが変わる話数まで視聴完了したが、一期については、最後までみようという意思が強くなっている。
※噂で聞くのと、実際に自分で見るのとは、やはり印象が異なっている。まさか、こんなにもさらっと描かれる(OP前の)シーンだったとは。前知識なく自分一人で観ていたら、気にもとめないシーンだったかもしれない。けれども確かに、主人公の葛藤を描く重要なシーンの一つであることは疑い得ない。
それ以外にも、ヒロインの唇をあまり深く考えず奪ったあたりで手が震えていたり、農園をひらきたいと夢を語るところとか、文字の勉強をするところとか、幼馴染のオルガくんと、同じ「我」という文字があるところにちょっと嬉しそうにしたりとか、子どもらしい可愛いところがある。それと反して、敵は容赦なく殺しちゃうところが、こうして思い返すと、ダーク系主人公としていい感じだなぁ。
しかし、序盤、あまりのめり込めなかった理由は、ヒロインの二人に魅力が感じられなかったところだ。なんだろう、10年前ぐらいだったら、ときめいていた気もするが……。話しが段々それていくが、マクロスFの二人のヒロインも、どちらにも魅力が殆ど感じられなかったので、途中でほおりだしてしまった。
うーむ、そういう意味だと、オルフェンズも、誰か応援したいような、強い感情移入というか、憧れ的なキャラクターはいないなぁ。強いてあげれば、タービンズの名瀬さんとか、ギャラルホルンという軍事組織の尉官であったクランクさんはかっこよかった。超序盤で某少年兵に惨殺され物語の舞台から退場してしまうが……。
そういえば、初代ガンダムの、ランバ・ラル大尉もかっこよかった。逆に、それ以外、あまり魅力的なキャラクターがいなかった気がする。ガンダムシリーズって、群像劇(小説で言えば、第三者視点)なわけなので、魅力的なキャラクターが仰山いるか、ストーリーが目まぐるしく面白いかしないと、継続してみようという気になれないのである(※※)。
※※とか、熱烈なファンが多いガンダムシリーズについて批判的なことを書くと、ファンの方々から石を投げられるだろう。しかしこれは単に、今現在、自分にとっては合わない、というレベルに過ぎず、大した問題ではない。僕はエヴァとか攻殻が好きだけれども、それを面白くないという人もいるわけだ。僕も、そういう人には、面白い点を是非知ってもらいたいと思って色々話したくなってしまうだろうけれども、合わないもんはしょうがない。それこそ多様性だ、価値観だ。
最近みた作品
・外見至上主義・鉄血のオルフェンズ
・攻殻機動隊実写版(ゴーストインザシェル)
・映画リセット
殴り書きしたメモが残っていなかったら、「リセット」とか、見たことすら忘れていた。
この映画は、不完全燃焼だった。なるほど、アマゾンレビューにあるように、キリスト教の原罪と天地創造(ノアの大洪水後の再生のような)をテーマにしているようなことは、神への冒涜を口走るごとに危険が発生するような描写から感じ取ることができた。
しかし、この記事の冒頭で書いたように、その「冒頭」において、そもそも、これが何を描いた作品なのかが、全く分からず、非常に退屈だったといえる。結局、「闇」とは何だったのかも明確に明かされることもない。深い意味はともかく、ドンパチアクションで楽しませる作品もあるけれども、取りあえず人がどんどん闇に飲み込まれていくというパニックが描写されるだけで、よく分からない。
ああ、その、よく分からなさでいくと、もう一つ思い出した。
・映画フィギュアなあなた
18禁作品だが、ふとアマゾンプライムであったので見てみた。女の人の裸体をみることが目的であればよかろうが、これもストーリーがひどかった。
序盤の、主人公が会社において、損失を出した失敗を上司から一人に押し付けられて、左遷させられるシーンとか、まぁ掴みとしてはいいと思う。主人公の怒りというか、苛立ちというか、憎しみというか、哀しみというか、自暴自棄になっていく様がよく表現されていたように思う。しかし、肝心な、等身大フィギュアを拾った後のストーリーがどうにもこうにも冗長で、早送りなしには見ることができなかった。
この残念さ加減。これが、小説媒体で、無理して最後まで読み続けて、結局やっぱり駄目だった、となると、もうこの時間を無駄にした感じが多大なものになる。だらだらと、昼まで寝てしまったときの方が、まだマシに思えてしまうから不思議である。
ルーチン(筋トレと音読)
この記事の右にあるブログパーツ、カウントアップを観れば、180日を超えている。半年を継続することができたということである。これは結構頑張ったといえるだろう。音読、の成果は分からないが、筋トレは、正直、大したことをやっていないのだけれども、身体の見た目に分かる程効果はあった。始める前に写真とっておけばよかったけれども、僧帽筋、上腕二頭筋が太くなり、腹筋のしわが深くなった。
(筋肉の名称)
正しい筋トレの仕方とか、健康器具とか、健康サプリとか、まぁ色々あるけれども、とにかく、継続することができなければ、成果には結びつかない。だからこそ、「何を」継続するかについて、非常に重要なのである。だから、目標とか、目的をしっかりもちなさいと、僕はいつも自分に言っている、のであるが、残念ながら迷走中である。
ゴールデンウィークと夏休みの予定(を立てたかった)
さて。ようやく、ここから、書こうと思ったことに取り掛かれる。
……のだけれども、どうにも長くなってしまったのでいったん打ち切ろう。
後編へ続く、的な。この記事は、最近みた作品についてのコメントのみで終わってしまったようだ。一つ、書いておくべきは、作品への批判が目的ではないということだ。あくまでも、「自分はこう思った」ということへのメモである。
聖書くらいしか物語がなかった中世以前とは異なり、今や、小説、映画、漫画、ドラマ、演劇、落語、オペラ、数々の物語と、その表現技法に溢れているのが現代である。
どんなに頭が良くて、時間の使い方が上手い人でも、そのすべてに触れることは不可能である。
であるからにして、自分はどういった作品を求めているのか、これまでどういったものを観たとき、どういった感覚を抱いたのか、それを表現しておくことは、非常に重要なのである。
ということを書いてみて、もう一つ、最近取りあげようと思ったものを思い出した。
読者と作者のための地雷作品回避法三種
――限界まで耐える、途中で打ち切る、読まずに避ける
地雷作品の回避、と銘打っているが、実際は、面白い作品に効率的に出会う方法とも読み替えることが可能だろう。
僕も、無意識的に、ここで挙げられている三種の方法を実践していたわけだけれども、こうして、理論的というか、緻密に表現されているのを読んで、直観的に「長い!」と思ったけれども、それ以上に唯々すごいなぁと思った。
僕の記事も長さでは時おり負けてはいないと思うけれども、話しがあっちらこっちら飛んでいったり、理論的ではなく感覚的に「こう思う」と断じてしまっていたりと、似ても似つかない構成である。
上のブログの方は、頭が良くて実直な方なんだなぁと思う。
こういう方の記事を読んでいると、いやぁ俺ってダメな奴だなぁと思ってしまうのだけれども、まぁ僕のように、こんなテキトーに記事を書くというのも、時おり面白かったり、大事だったりするんだよ、ということを、どこかの誰かにちょっとでも伝えられたらいいなぁと、そんな淡い期待を抱きつつ。
(続く)
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