今日の一言「タイトルひどい」「コメントありがとうございます」
先んじて、計画を立てて物事を進めたいところ。
少し、仕事が落ち着きを見せ始めている。このまま、新しいことが発生しなければ、たまった負債(後回しにしてきたこと)を片付け始められる気がする。
負債――という意味では、後回しにしていた仕事を早くしなさいと怒られた(注意された)……。素直に反省である。
仕方がない、先週何を書いたかも、まったく思い出せない。
――流し読みする。エリート意識および歩きたばこへのイライラ、並びに未来の自分からのアドバイス、という3本立てだったようだ。
何ら、関連したことが浮かばない。いや、上のイライラについては、引き続きである。
よくあることだ。
特筆することはない。先週書いたことの繰り返しになるだろう。それ以上に新しい表現は生まれないだろう。まぁそれでも、書き出すと、新しいことになったりするのだが。
新しい、ということで言えば、プラトン氏流に言えば、僕らが触れているものはすべて虚構なのだそうだ。
というのは、「イデア」という真なる存在があるからだ。僕らは、真なる存在それ自体ではなく、その陰(洞窟の比喩)を見ているようなものなのだ。
美しい、とか、善いといったものにも、「イデア」は存在していて、僕らが感じる美しいとか善きことかな、というのは、イデアの片りんがその事物に表れているからなのだ。
そして僕らは、そうしたものを「知っている」。かつてイデア界で存在していた人間の魂は、美しいとか善いとかのイデアに直接触れていた。
それが今は、下界で暮らしているが、しかし、僕らはイデア界でのことを覚えている。そしてそれを想起することができる。
――といった考えに基づけば、何ら「新しい」ということは無いのではないか。
真なる存在というのがあって、それは完全な姿をしていて、何ら足りないものはない。完璧。僕らはそれを、新しく知る、のではなくて、知っていたことを思い出すだけなのだ、と。
神という概念を持ち出さず――いやもはやそれは神のようなものだが。イデア界とはそのまま天界、神の世界のようではないか――そうした完全なる存在を考えた、というのは、プラトン氏はすごいなと思う。
しかし僕らは、特に日本人は、イデアを想像することはできても、信じることはできない気がする。
内容2は、映画「ランボー」を観た。
全部みるつもりではなく、たまたま、アマゾンプライムの動画であったので、そういえば、名前はあまりに有名だが、見たことはなかったなと流し見する程度に思ってクリックしたのだ。
曲。「It's a long road」
序盤に、インストロメンタルで流れる。「ああ、これ、これだ、聞いたことある! 懐かしい」と思った。アニメとかもそうだが、曲だけ知っているというのは、僕はよくある傾向だ。そして、いい曲が使われている作品は、作品自体もよいことが多い。(最近でいえば、エンジェルビートとか)
さてランボー。ランボーだ。これはもうランボーだった。
意外に、1作目で暴れる「世界」は、小さな田舎町であって、スケールは思ったよりも小さいなと思った。
しかし、面白かった。
これ、1982年の作品らしい。ストーリーとして飽きさせない作りで、名作とうたわれるだけある。ベトナム戦争の批判的作品といったテーマ性もあることもポイントが高いのだろうが、そういったことは別としてアクションとしても古臭さは特に感じさせなかったと思う。
まぁ、異様に保安官一派が好戦的というか、――まぁランボーの不貞腐れ感も悪いのだろうが、まぁそのヤケになってしまう理由は最後に爆発的感情で表現される。
前書き
後手後手過ぎる……。先んじて、計画を立てて物事を進めたいところ。
少し、仕事が落ち着きを見せ始めている。このまま、新しいことが発生しなければ、たまった負債(後回しにしてきたこと)を片付け始められる気がする。
負債――という意味では、後回しにしていた仕事を早くしなさいと怒られた(注意された)……。素直に反省である。
内容
小見出しも適当である。仕方がない、先週何を書いたかも、まったく思い出せない。
――流し読みする。エリート意識および歩きたばこへのイライラ、並びに未来の自分からのアドバイス、という3本立てだったようだ。
何ら、関連したことが浮かばない。いや、上のイライラについては、引き続きである。
よくあることだ。
特筆することはない。先週書いたことの繰り返しになるだろう。それ以上に新しい表現は生まれないだろう。まぁそれでも、書き出すと、新しいことになったりするのだが。
新しい、ということで言えば、プラトン氏流に言えば、僕らが触れているものはすべて虚構なのだそうだ。
というのは、「イデア」という真なる存在があるからだ。僕らは、真なる存在それ自体ではなく、その陰(洞窟の比喩)を見ているようなものなのだ。
美しい、とか、善いといったものにも、「イデア」は存在していて、僕らが感じる美しいとか善きことかな、というのは、イデアの片りんがその事物に表れているからなのだ。
そして僕らは、そうしたものを「知っている」。かつてイデア界で存在していた人間の魂は、美しいとか善いとかのイデアに直接触れていた。
それが今は、下界で暮らしているが、しかし、僕らはイデア界でのことを覚えている。そしてそれを想起することができる。
――といった考えに基づけば、何ら「新しい」ということは無いのではないか。
真なる存在というのがあって、それは完全な姿をしていて、何ら足りないものはない。完璧。僕らはそれを、新しく知る、のではなくて、知っていたことを思い出すだけなのだ、と。
神という概念を持ち出さず――いやもはやそれは神のようなものだが。イデア界とはそのまま天界、神の世界のようではないか――そうした完全なる存在を考えた、というのは、プラトン氏はすごいなと思う。
しかし僕らは、特に日本人は、イデアを想像することはできても、信じることはできない気がする。
内容2
特に、内容1は、何に関係するということではない。ふと本をぱらぱらと読んでいて思った。内容2は、映画「ランボー」を観た。
全部みるつもりではなく、たまたま、アマゾンプライムの動画であったので、そういえば、名前はあまりに有名だが、見たことはなかったなと流し見する程度に思ってクリックしたのだ。
曲。「It's a long road」
序盤に、インストロメンタルで流れる。「ああ、これ、これだ、聞いたことある! 懐かしい」と思った。アニメとかもそうだが、曲だけ知っているというのは、僕はよくある傾向だ。そして、いい曲が使われている作品は、作品自体もよいことが多い。(最近でいえば、エンジェルビートとか)
さてランボー。ランボーだ。これはもうランボーだった。
意外に、1作目で暴れる「世界」は、小さな田舎町であって、スケールは思ったよりも小さいなと思った。
しかし、面白かった。
これ、1982年の作品らしい。ストーリーとして飽きさせない作りで、名作とうたわれるだけある。ベトナム戦争の批判的作品といったテーマ性もあることもポイントが高いのだろうが、そういったことは別としてアクションとしても古臭さは特に感じさせなかったと思う。
まぁ、異様に保安官一派が好戦的というか、――まぁランボーの不貞腐れ感も悪いのだろうが、まぁそのヤケになってしまう理由は最後に爆発的感情で表現される。
あとがき
(かっこ書きである。時間切れ。面白くない記事だと思う……。っまぁでも、書かないとゼロなので……。ルーチンなので……と、言い訳してしまう。だめだなぁ。じゃあ、どんな記事をかければ、「最高のモノを書いた!!」となるのか、と思う。そんなもん書けるわけないのだ。と、いうことはだ、やはり、ゼロではなく、イチ! にすることが大事だと思う。だから、進捗が70%でも、相談してどんどん進めていくことが大事、と言われるのだ。だが、その理論も所詮バランスを意識する必要はある。70%ということは、所詮70%なのだ。残り30%があるのだ。じゃあ、その30%はだれがいつどうやってやるのか。70%で相談する、というのは、方向性が正しいか、ということの確認が必要な場合があるからだ。――話がズレた。そんなことはどうでもいい。完璧な記事とは何か。イデア界に存在するのか。そんなものは、ない、と思う。だったら、今回のこの記事が、人生最高級なものなのかもしれない。いやそれはない。じゃあ何位なのか。まて。すべてを0か1で、又は点数化できるものではない。今この時、この瞬間に生み出された、そのこと自体に価値があってはいけないのか。赤ん坊は、何もできない。いや泣くことはできるが、それだけだ。ただそれだけだが、元気いっぱいに泣くというのは、無価値なのか。「幼刺嘆齢」(オーシャンマナブ)をグラーヴェにしてきたスライムが、「生まれたこと自体を無価値というのか」とかって言われて爆殺されたが、まぁその、価値は多様である。で、結論は? と言われると、「特にねぇ! なんか文句あっか!!」となる)PR