おはようございます、と、朝に書く記事は、ではどんなカテゴリになるのかと。
やっぱり、想像が付かず、考えてる時間に思考が雲散霧消していく。
であれば、浮かんだことを取り合えずメモしてもいいじゃないか、これがゼロ秒思考メモである。
あ、そうか、じゃあ、その思考メモというカテゴリ作ってしまえばいいか。うーん、ただそうなると、日常、生活、カテゴリみたいに、分類する気持ちが働きにくくて、楽な方に流れそうだ。
認知革命の章が終わりそう。七万年前、虚構の言語の出現。
三万年前、ネアンデルタール人絶滅。フローレス人も五万年前くらいに絶滅したとすれば、サピエンス種オンリーとなる。
その後、食糧生産革命が、自分の記憶だと、一万二千年前ごろ。
神殿とか、集団の結束って、農業始めたことが原因だと思っていたから、その前から認知革命が起こって、150人以上が協力できる下地ができた、というのは、完全に新しい知識になった。それだけで買ってよかった。いや、まだ50ページぐらいで、下巻は開いてすらないが。
突発的に本を買えるだけの資産があるのはいい。
最近欲しいのは、概念形成を助けてくれる作品全般だ。
映像作品はそれはそれで素晴らしいが、本という媒体は、繰り返し、自分のペースで理解を進められるのがよい。
ものすごい遅読の実践。
一方、ビジネス本とか、軽い奴は200ページとかあっても15分くらいで読めてしまう。
大体目次読めば内容が推測でき、実際ちょっと読めばそれが正解か判断できる。
そもそも、ビジネス本とかは、答えが先にあって、その説明があとに続く文章構成だから、二三行読めばことたりるのだ。
正直、面白い漫画とか読んだ方がまし、に思えるが、まったくその系統を読んだことない人は、新しい発見もあるだろうから、否定するものではない。
ただ、ありふれるコラムとかニュースとか、新しい概念形成には、もう役に立たないと切り捨てるのは、僕はいまは、アリだと思ってる。
概念とはなんだろうか。それは、事実や事象を抽象的にまとめて名前をつけたものだ。
僕は、いま、結婚というもの、人というもの、人間というもの、生きるというもの、友人というもの、学ぶということ、創作ということ、それら、人生の根幹をなす概念を問いかけている。
普通、生活する上では、当たり前のものだ。
それに、マジで研究するなら、学者にでもなった方がいい。ただ、興味が煩雑で幅広すぎてだめだろう。
地震があって、ああ、これは終末のそれなのか、とふと思った。
そうすると、今まで生きてきた、昨日もぐだぐだ書いていたことが、ああ、なんと恵まれたことであったのか、と思った。
日常が終わり、ただ生きることだけに時間を使うだけの日々。
創作も、ゲームもない。本もない。資本主義もない。
ただ、瓦礫をかきわけ、食べるものと飲むものだけを探し求め、飢えと乾きに苦しみ、秩序が崩壊した世界をあてもなく生きるのだ。
うわめんどくさい。
それだったら、満員電車で、上司やお客さんに叱られ嫌みを言われ気分の悪い思いをしながら、帰ってジントニックを飲むぐらいでましじゃなかろうか。
いやましじゃねーよ。この世界は地獄だよ。
として、今日も今日とて自殺する人もいる。
多分、物理世界に、自己とのギャップが生じたことのない人は、自殺しようとする人の感覚は分からないだろう。
ああ分からんねそんな奴。そんな軟弱興味もない。そんな奴がいたら、ぶん殴ってもぜってぇ助けてやる。
とか言いそうなキャラクターが浮かんだ。
そのキャラクターに感動して惹かれるキャラも同時に浮かび、そして、それをうぜぇ、と思うキャラも浮かんだ。
うん、もう少し、自分の物語を考える上で、人物設定、キャラクターを考えるという試みもいいかもしれない。
あるかたが、小説つくるときにやったやり方として、まず、10人だか20人だかのキャラクターのプロフィールを詳細につくった、ということを仰っていて、うわすごいな、と思った。
僕はどちらかというと、現象とか、できごと、イベント、ストーリーの方が書きたいことが浮かぶから、あまりキャラクターを綿密に考えてはいない気がする。
そこが、僕の作品が決定的に面白くない原因なんだろう。やっぱり、物語って、人だよね。
ということになってくると、やはり、人間嫌いとかいう表現は、そもそも感情エラーなのだという証明にもなるわけだ。
はぁ、なんか朝から疲れた。
書きたいことはまだある気がするけど、眠いし頭痛とお腹が痛いからかここで唐突の終わり。
やっぱり、想像が付かず、考えてる時間に思考が雲散霧消していく。
であれば、浮かんだことを取り合えずメモしてもいいじゃないか、これがゼロ秒思考メモである。
あ、そうか、じゃあ、その思考メモというカテゴリ作ってしまえばいいか。うーん、ただそうなると、日常、生活、カテゴリみたいに、分類する気持ちが働きにくくて、楽な方に流れそうだ。
食糧生産革命
認知革命の章が終わりそう。七万年前、虚構の言語の出現。
三万年前、ネアンデルタール人絶滅。フローレス人も五万年前くらいに絶滅したとすれば、サピエンス種オンリーとなる。
その後、食糧生産革命が、自分の記憶だと、一万二千年前ごろ。
神殿とか、集団の結束って、農業始めたことが原因だと思っていたから、その前から認知革命が起こって、150人以上が協力できる下地ができた、というのは、完全に新しい知識になった。それだけで買ってよかった。いや、まだ50ページぐらいで、下巻は開いてすらないが。
資産
突発的に本を買えるだけの資産があるのはいい。
最近欲しいのは、概念形成を助けてくれる作品全般だ。
映像作品はそれはそれで素晴らしいが、本という媒体は、繰り返し、自分のペースで理解を進められるのがよい。
ものすごい遅読の実践。
一方、ビジネス本とか、軽い奴は200ページとかあっても15分くらいで読めてしまう。
大体目次読めば内容が推測でき、実際ちょっと読めばそれが正解か判断できる。
そもそも、ビジネス本とかは、答えが先にあって、その説明があとに続く文章構成だから、二三行読めばことたりるのだ。
正直、面白い漫画とか読んだ方がまし、に思えるが、まったくその系統を読んだことない人は、新しい発見もあるだろうから、否定するものではない。
ただ、ありふれるコラムとかニュースとか、新しい概念形成には、もう役に立たないと切り捨てるのは、僕はいまは、アリだと思ってる。
概念形成
概念とはなんだろうか。それは、事実や事象を抽象的にまとめて名前をつけたものだ。
僕は、いま、結婚というもの、人というもの、人間というもの、生きるというもの、友人というもの、学ぶということ、創作ということ、それら、人生の根幹をなす概念を問いかけている。
普通、生活する上では、当たり前のものだ。
それに、マジで研究するなら、学者にでもなった方がいい。ただ、興味が煩雑で幅広すぎてだめだろう。
カタストロフ
地震があって、ああ、これは終末のそれなのか、とふと思った。
そうすると、今まで生きてきた、昨日もぐだぐだ書いていたことが、ああ、なんと恵まれたことであったのか、と思った。
日常が終わり、ただ生きることだけに時間を使うだけの日々。
創作も、ゲームもない。本もない。資本主義もない。
ただ、瓦礫をかきわけ、食べるものと飲むものだけを探し求め、飢えと乾きに苦しみ、秩序が崩壊した世界をあてもなく生きるのだ。
うわめんどくさい。
それだったら、満員電車で、上司やお客さんに叱られ嫌みを言われ気分の悪い思いをしながら、帰ってジントニックを飲むぐらいでましじゃなかろうか。
いやましじゃねーよ。この世界は地獄だよ。
として、今日も今日とて自殺する人もいる。
多分、物理世界に、自己とのギャップが生じたことのない人は、自殺しようとする人の感覚は分からないだろう。
創作キャラクター
ああ分からんねそんな奴。そんな軟弱興味もない。そんな奴がいたら、ぶん殴ってもぜってぇ助けてやる。
とか言いそうなキャラクターが浮かんだ。
そのキャラクターに感動して惹かれるキャラも同時に浮かび、そして、それをうぜぇ、と思うキャラも浮かんだ。
うん、もう少し、自分の物語を考える上で、人物設定、キャラクターを考えるという試みもいいかもしれない。
あるかたが、小説つくるときにやったやり方として、まず、10人だか20人だかのキャラクターのプロフィールを詳細につくった、ということを仰っていて、うわすごいな、と思った。
僕はどちらかというと、現象とか、できごと、イベント、ストーリーの方が書きたいことが浮かぶから、あまりキャラクターを綿密に考えてはいない気がする。
そこが、僕の作品が決定的に面白くない原因なんだろう。やっぱり、物語って、人だよね。
ということになってくると、やはり、人間嫌いとかいう表現は、そもそも感情エラーなのだという証明にもなるわけだ。
はぁ、なんか朝から疲れた。
書きたいことはまだある気がするけど、眠いし頭痛とお腹が痛いからかここで唐突の終わり。
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