今日の一言「言葉の本質を考え、探れ」
創造性とは何か
創造性という言葉が嫌いである。
言っていることが反転しているようだが、そうではない。
事実、嫌いなのだ。
就職活動などのとき、ハイパーメリトクラシー(超能力主義)とか、コミュニケーション力とか、創造力とか、人間力とか、よく分からない言葉 がオンパレードしていた。クリエイティブってのも嫌いだ。何だそりゃ。
何かといえば、「よく分からないもの」が嫌いなのである。
テスト、は分かりやすいと思う。「答え」がある。
しかし、僕は、「よく分からない」から面白いものもたくさんあると思う。
反転したことを書いているようだが、そうではない。
何かといえば、「評価」と癒着するから嫌いになるのだ。
創造性は大切で、創造することは僕は好きである。
ただ、その「創造力」といったものは、人間それぞれ、バラバラのイメージをもつのである。
「人間力」といったところで、それは、60代の人が考える、対面コミュニケーション重視のものと、10代の人が考えるものは全く違うだろう。
要は、抽象的な言葉を使っている自覚がないにもかかわらず、それが大事とか簡単に思っちゃうような人たちが嫌いである。
いや、そういった人たち相手でも、たまたま、僕の考える、僕の感じる価値観と近しいものがあれば、お付き合いは可能である。
しかし、そうした人は、ちょっとでも「自分と違う」ことがあれば、簡単に相手の人格を否定する。そういう人よりかは、「相対価値」の何たるかを知っている人のほうが、例えその人と趣味が全然合わなくて、食事の好みも生活リズムも全然違ったとしても、恐らく居心地は悪くないのである。――すぐさま書いておかねばならないのは、他者(家族含む)と一緒に暮らすというのは、簡単なことではない。
創造性とは何か2
創造性とは何か。
そんなもの、答えなどない。というのが答えだ。
答えがないにもかかわらず、「創造的な人材を欲します!」とか言っちゃってるのに腹が立ったというわけである。嫌いだった、というわけである。
ただ、創造性は、新しいことを学ぶとか、過去を調べて現在に活かすとか、人の話を肯定的に聞くとか、そういった、誰にでもその「姿勢」として示すことができることとしては、とても重要なものだ。
自分の考えに固執し、独善的な人はお断りです、ということであれば、それはむしろその通りだ。そういった内実を、「創造性」という言葉を、キャッチーに使っているというのであれば、何ら問題なかろうと思う。
パワハラフレーズとして、
・やる気あんの?
・なんでできないの?
・意味ないことしてるね
・無駄だね
・まだできないの?
とか。上の中で、ダメなのはどれだろう。全部というのでもいいが、よく考えてみたい。一番よくないのは、「やる気あんの?」だと思う。
「なんでできないの?」
は、言い方にもよるだろうが、大事なアプローチだろうと思う。原因を追求して、解決方法を探るのは適切なアプローチだ。
一方で、「やる気あんの?」は、「やる気」なんていう抽象表現を、さもあるかのように誤認していることが断罪すべき点である。
いや、明らかに不真面目な態度を取っていて、「むかついた」という感情は分からないでもない。
ただ、それは、最初のほうに書いたが、「感情的」なことである。
行動や活動が伴わない言葉は無意味だ、と書いたはずである。
やる気があれば問題が解決するわけでもなかろう。
もちろん、あった方がいいのは当たり前だが、むしろ、「できていない」事実に目を向けたほうが有意義なのである。
(かっこ書きである。前回は、だらだらしてないで、目的をはっきりさせてそれに向かわなければダメだ、と書いた。何故なら、人は創造的であらねばならないから、と。そんな流れの中で、いきなり、創造力なんて嫌いだ、とのたまうのが今度の記事である。人格分裂してないだろうか、この作者。しかし、よくよく、我慢して読んでみれば、なるほど、言葉の内実性を表現したかったんだろうと読み取れる。抽象的な表現で世界を、社会を、人を恐れる必要はないという、励ましの記事だったのか。いや、しかし、どうだろう。次の記事はどんな方向に流れていくのか。次は2日、3日後である)
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