今日の一言「ネットもテレビも怖いな」
2ch系の記事って、もう2chとは言わないんだろうか? 5ch?
よく分からないが、ネットの意見ってテレビとはズレてると、前々から言われていたけど、実際何が正しいのか。
というよりも、「正しい」ということは、自然科学ぐらいしかないのではとも思う。
世論に正しいも何もなく、ただそこに存在するだけ。学校生活における「空気」みたいなもんだろう。
共通する点は、どちらも不祥事を起こして、正式な手続き(選挙など)で退陣して、また選びなおされたということである。
民衆……何考えてたの……??
まぁ、兵庫県知事の場合は、直接選挙で不信任になったわけではないから、事情が違うわけだが、民衆の味方代議士(議員)が決めた内容が覆ったということである。
民意とは……?
その点が分からなくなってすごく怖いなと思った。
例えば、死刑制度とか、憲法改正とか、この前とりあげたLGBTQの問題とか。
色々あるわけだが、そのどれもが、なんか「正義」とは程遠い部分で議論されている気がする。
なんというか、僕は、いわゆる「正義」があればそれでいいと思っている。
重視するポイントは、「公平」性である。
公平というと、なんでも平等にすべきとか、そういう考え方の人もいるが、そもそも、人間は生まれながらにして「不平等」である。機会の均等性はあるべきだ。だが、そもそもイケメンとブサメンで、どちらも整形して「フツメン」になるべきとか、そんなSFは嫌だろう。
もう一つ大事と思ってるポイントは、「平和」である。世界平和。みんな仲良くした方がよいと思ってる、本気で。
うだうだ言ってないで、早く憲法改正しないと他国から攻められて属国にされてしまうのかもしれない。それを防ぐためにスパイが暗躍して憲法改正の動きを止めようとしているのかもしれない。でも正直分からない。憲法改正することと、防衛力高めることとに関連性があるのか? 上にあげた話題はどれも、自分が本気で大事に思ってることではないので、無知をさらけ出してしまうが、正直、このレベルの思考しかしてない人は日本社会にいっぱいいると思う。というか、自分なんかより偉い人や、頭の良い人たちすごくじっくり考えてても、意見に相違があるということは、所詮は「絶対に正しい」ということはどっちを取ったとしてもないのだろう。
しかしそれよりも大事なことがある。
自分自身だ。
いくら世界平和のためだからといって、今すぐ死ねと言われたら抵抗したい。
仮に、自分が死ぬことが本当に漫画の世界みたいに、自分は症状が悪化しないウイルスで、人に感染したら致死するというのに感染したからといって、自分が死ぬことで世界平和になるとしたって、「いやだ死にたくない!」と言いたい。
まぁでもそんな状況になったら、殺されるんだろうなぁ哀しいことに。
10代のころは、早く死にたいというか、死んでもかまわないと思っていた気がするが、それでも、陰謀とか巻き込まれて、無実の罪を着せられて死ぬのは嫌だと思ってた。そういうのは嫌だよね。憎たらしい奴と刺し違えてやるとかは思ってた気がする。
今は、もはや、その憎たらしい奴の顔はいまでも思い浮かぶものの、殺すほどの気概もなくなった。どうでもいい……。
だから、「殺人を犯す」ほど人を憎いというのが、いじめられたりとか、ひどい環境にあれば分からなくもないものの、人を殺すというのは、中々ハードルが高いものだと思っていた。
しかし、最近闇バイトとかいう事件なども見ていると、「あれぇ……人の命、軽いの?」という気持ちにもなる。
同じ人間と思えないんだが、まぁでも、匿名系のネット記事のコメントとか読んでると、「あー、こんな人間もいるんだな。怖いな人間」って思ってたから、まぁでもそうなんだろうな。いろんな人間がいる。できるだけ人と関わりたくないな。
いくら「真実」があったとしても、その真実が真実であることを確かめるすべがないのだ。
どう判断するか、考えるかは、個々人で決めなければいけない。
嘘を嘘と見抜ける人じゃないと生きていけない、とかいうけども、ただ、それって無理じゃないかという気がしてくる。情報がたくさんあったからといって、正しい決断ができるわけじゃないのだ。
とりあえず、正しいこととは何か。
お金を銀行に100万円預けるとしよう。
そのお金は、10年後でも、同じ、100万円として引き出すことができる、ということだ。
しかし、10年後は、ジュースが1本200円だったのが、1万円になってるかもしれない。
100万円の価値は、50分の1になってしまったということだ。
はたして、100万円を10年後のために、銀行に預けたことが正しかったのだろうか?
100万円使って、1か月ぐらい、高級料理を食べ歩いて豪遊した方がよかったのではないか?
いや、10年後の100万円があったから、のどか湧いたときに、ジュースを飲むことができた。よかった、幸せだ、と思うかもしれない。
ぜんぜん、未来が分からない。
そういうとき、人生を共に生きていく伴侶がいると、確かに精神面が安定するかもしれない。
するかもしれないし、しないかもしれない(かっこ笑い)。
これも全く分からないことである。男はすぐ死ぬから、結婚した方がよい、と聞く言説がある。
うわぁ、やばい、どうしよう……と、20年ぐらい前なら思ったかもしれない。
いまは、なんか、全部の言説に「なるほど、そういう場合もあるかもしれませんね」としか思わない。
全部が嘘、とは思わない。ただ、「絶対にそうなる」ということはこの世にもはや存在しないということが、逆説的に「絶対だ」。
絶対ということがないということがないなんてことは絶対にないのである。意味不明であるが、「絶対ということがないなんて絶対にない」という二重否定。「絶対ない」なら、絶対があることになるからである。
そういう意味で、自分で選ぶしかない。
ちなみに、結婚も良いことがあると思うが、先日下のWEB漫画読んでて、結婚したくないなと思った。(笑)
https://chinakichi.nbblog.jp/
信じるんじゃなくて、決めるしかない。
決めるときに、100%正しく決めることはできない。
最大の情報を集めて、最大に考えて判断するしかない。
その最大というのは、物理的な最大という意味ではなくて、自分がその時に取りうる最大という意味である。
もっと時間をかけたら、もっと他の方法なら取りえた「ベター」があったとしても、その時に知りえなかったのであれば仕方がない、と考えるべきである。
でも、じゃあその「ベター」かどうかの判断はどこでするのか。
「納得」
でしかない。自分が、「ああ、あのときはそこまでで精一杯だったな」と思えたらそれでよしとすべきだ。
後悔したところで仕方がない。
でもそうやっていったら、どんどん自分に都合よくならないか? 自分に甘くなる一方ではないか? 独善的にならないか?
なるだろう。
だから、そうならない努力を最大にすべきである。
まえがき
一般論って何なのか。2ch系の記事って、もう2chとは言わないんだろうか? 5ch?
よく分からないが、ネットの意見ってテレビとはズレてると、前々から言われていたけど、実際何が正しいのか。
というよりも、「正しい」ということは、自然科学ぐらいしかないのではとも思う。
世論に正しいも何もなく、ただそこに存在するだけ。学校生活における「空気」みたいなもんだろう。
アメリカ大統領とか兵庫県知事とか
現代で戦争を起こした大国についても驚いたが、アメリカ大統領選で某氏がかったこととか、兵庫県知事がかったこととか、すごく驚いた。共通する点は、どちらも不祥事を起こして、正式な手続き(選挙など)で退陣して、また選びなおされたということである。
民衆……何考えてたの……??
まぁ、兵庫県知事の場合は、直接選挙で不信任になったわけではないから、事情が違うわけだが、民衆の味方代議士(議員)が決めた内容が覆ったということである。
民意とは……?
自分にはあまり関係ないからよいが
上の事例は、すぐさま、直接的に自分にとって問題が降りかかってくるわけではないから、まぁ「驚いたなぁ」ぐらいで済むんだけど、実際、自分も関係するような政策とか決めないといけない、判断しないといけない、といったときに、どうやって情報収集したらいいんだろうか。その点が分からなくなってすごく怖いなと思った。
例えば、死刑制度とか、憲法改正とか、この前とりあげたLGBTQの問題とか。
色々あるわけだが、そのどれもが、なんか「正義」とは程遠い部分で議論されている気がする。
なんというか、僕は、いわゆる「正義」があればそれでいいと思っている。
重視するポイントは、「公平」性である。
公平というと、なんでも平等にすべきとか、そういう考え方の人もいるが、そもそも、人間は生まれながらにして「不平等」である。機会の均等性はあるべきだ。だが、そもそもイケメンとブサメンで、どちらも整形して「フツメン」になるべきとか、そんなSFは嫌だろう。
もう一つ大事と思ってるポイントは、「平和」である。世界平和。みんな仲良くした方がよいと思ってる、本気で。
うだうだ言ってないで、早く憲法改正しないと他国から攻められて属国にされてしまうのかもしれない。それを防ぐためにスパイが暗躍して憲法改正の動きを止めようとしているのかもしれない。でも正直分からない。憲法改正することと、防衛力高めることとに関連性があるのか? 上にあげた話題はどれも、自分が本気で大事に思ってることではないので、無知をさらけ出してしまうが、正直、このレベルの思考しかしてない人は日本社会にいっぱいいると思う。というか、自分なんかより偉い人や、頭の良い人たちすごくじっくり考えてても、意見に相違があるということは、所詮は「絶対に正しい」ということはどっちを取ったとしてもないのだろう。
しかしそれよりも大事なことがある。
自分自身だ。
いくら世界平和のためだからといって、今すぐ死ねと言われたら抵抗したい。
仮に、自分が死ぬことが本当に漫画の世界みたいに、自分は症状が悪化しないウイルスで、人に感染したら致死するというのに感染したからといって、自分が死ぬことで世界平和になるとしたって、「いやだ死にたくない!」と言いたい。
まぁでもそんな状況になったら、殺されるんだろうなぁ哀しいことに。
10代のころは、早く死にたいというか、死んでもかまわないと思っていた気がするが、それでも、陰謀とか巻き込まれて、無実の罪を着せられて死ぬのは嫌だと思ってた。そういうのは嫌だよね。憎たらしい奴と刺し違えてやるとかは思ってた気がする。
今は、もはや、その憎たらしい奴の顔はいまでも思い浮かぶものの、殺すほどの気概もなくなった。どうでもいい……。
だから、「殺人を犯す」ほど人を憎いというのが、いじめられたりとか、ひどい環境にあれば分からなくもないものの、人を殺すというのは、中々ハードルが高いものだと思っていた。
しかし、最近闇バイトとかいう事件なども見ていると、「あれぇ……人の命、軽いの?」という気持ちにもなる。
同じ人間と思えないんだが、まぁでも、匿名系のネット記事のコメントとか読んでると、「あー、こんな人間もいるんだな。怖いな人間」って思ってたから、まぁでもそうなんだろうな。いろんな人間がいる。できるだけ人と関わりたくないな。
真実を知ったところで
問題は、仮に真実を知ったところで、行動できることとしては、なんかそういう「デモ」に参加するか、結局、選挙にいって一票を投じるぐらいしかないのである。いくら「真実」があったとしても、その真実が真実であることを確かめるすべがないのだ。
どう判断するか、考えるかは、個々人で決めなければいけない。
嘘を嘘と見抜ける人じゃないと生きていけない、とかいうけども、ただ、それって無理じゃないかという気がしてくる。情報がたくさんあったからといって、正しい決断ができるわけじゃないのだ。
とりあえず、正しいこととは何か。
お金を銀行に100万円預けるとしよう。
そのお金は、10年後でも、同じ、100万円として引き出すことができる、ということだ。
しかし、10年後は、ジュースが1本200円だったのが、1万円になってるかもしれない。
100万円の価値は、50分の1になってしまったということだ。
はたして、100万円を10年後のために、銀行に預けたことが正しかったのだろうか?
100万円使って、1か月ぐらい、高級料理を食べ歩いて豪遊した方がよかったのではないか?
いや、10年後の100万円があったから、のどか湧いたときに、ジュースを飲むことができた。よかった、幸せだ、と思うかもしれない。
ぜんぜん、未来が分からない。
結婚のメリット
めちゃくちゃ、不透明な時代である。VUCAとか言われたりする。そういうとき、人生を共に生きていく伴侶がいると、確かに精神面が安定するかもしれない。
するかもしれないし、しないかもしれない(かっこ笑い)。
これも全く分からないことである。男はすぐ死ぬから、結婚した方がよい、と聞く言説がある。
うわぁ、やばい、どうしよう……と、20年ぐらい前なら思ったかもしれない。
いまは、なんか、全部の言説に「なるほど、そういう場合もあるかもしれませんね」としか思わない。
全部が嘘、とは思わない。ただ、「絶対にそうなる」ということはこの世にもはや存在しないということが、逆説的に「絶対だ」。
絶対ということがないということがないなんてことは絶対にないのである。意味不明であるが、「絶対ということがないなんて絶対にない」という二重否定。「絶対ない」なら、絶対があることになるからである。
そういう意味で、自分で選ぶしかない。
ちなみに、結婚も良いことがあると思うが、先日下のWEB漫画読んでて、結婚したくないなと思った。(笑)
https://chinakichi.nbblog.jp/
タイトルに戻ると
何を信じればよいのか。信じるんじゃなくて、決めるしかない。
決めるときに、100%正しく決めることはできない。
最大の情報を集めて、最大に考えて判断するしかない。
その最大というのは、物理的な最大という意味ではなくて、自分がその時に取りうる最大という意味である。
もっと時間をかけたら、もっと他の方法なら取りえた「ベター」があったとしても、その時に知りえなかったのであれば仕方がない、と考えるべきである。
でも、じゃあその「ベター」かどうかの判断はどこでするのか。
「納得」
でしかない。自分が、「ああ、あのときはそこまでで精一杯だったな」と思えたらそれでよしとすべきだ。
後悔したところで仕方がない。
でもそうやっていったら、どんどん自分に都合よくならないか? 自分に甘くなる一方ではないか? 独善的にならないか?
なるだろう。
だから、そうならない努力を最大にすべきである。
あとがき
(かっこ書きである。生きることはかくのごとき難しい。ただ、「後悔」がないようにすべきだと思って生きてきた。そしてそれは間違いではなかったと経験上は思う。後悔した方がよかったなぁと後悔したことはない(かっこ笑い)。歴史の勉強は好きだった。歴史を学ぶほどに、「現代ってましだな」って思ってた。当時の人たちって、ほんと地獄のような人生ばかり送ってたんだろうな、って思ってた。しかし、実際どうなんだろう。今この現代が、未来で振り返った時に、未来人は、「当時の人間たちは、よくそんな社会で生きてたんだなぁ」としみじみするんだろうか。まぁそうあって欲しいなとほんと思うよ。未来人たちが、2000年代はほんと素晴らしい時代だったんだなと涙するような未来は哀しいと思う。けど、そういう1000年単位程度の話ならそうだが、10億年で地球は生命が住めない世界になるという。50億年もすると、太陽にのみこまれそうになるということだが、その前に10億年ぐらいで、そもそも灼熱の星になるということだ。1000年後ぐらいはまだ、人類が生きてるかもしれない。1万年後は謎だ。ホモ・サピエンスが生まれたのが1万年前ぐらいだったっけ。もっと前だった気もするが。数万年経って、人類の今が、最高潮の時で、あとは零落していくだけなのかもしれない。社会について考えれば考えるほど明るい話題がないなぁと思うこの頃である)PR
今日の一言「メモしないと確実に忘れると思った方がよい」
最近パソコンに詳しくなった、電源周りをいじる経験ができた、と書いた気がする。ハードウェアは、物理的に破壊してしまう可能性があるから、怖いね。
どこからを友人と呼ぶのか、みたいな、そんなことを研究したいと思ったこともあったような気がする。結局そこまで興味をもてずにやめた。
でも、人間関係ということには、すごく興味をもった気がする。「集団」というもの。社会学という学問に興味をもった理由がそこらへんにあった気がする。
どっちかというと、今は宇宙とか物理とかに興味があるけどね。
で、友人という表現をするとき、ボクは、リアルもネットも特に区別していない。
どちらかというと、ネットで知り合った友人の方に、すごく影響を受けてきたと思う。
というか、リアルの友人は、「影響を受けたくない」と思っていた気がする。
アイデンティティが不確かな多感な時代……思春期的な時は、集団に埋まってしまう恐怖のようなものもあった気がする。目立ちたいというのとは違うし、どちらかというと誰にも見られたくないという「プライベート」を守りたいという気持ちが強かった気がする。
今はこんなブログを書くように、どんどん自己開示したいという気持ちもあるような気がする。
ただ、その気持ちを、リアルに発信したいか、というと、別にそうじゃない気がする。
まぁでも大事なことでもある。来歴というのがないと、その文章というのはなんか感情移入というか、面白く読めないのだ。
自分のブログも、事実ベースで書いたとりあえず言いたいことばっかり書いている記事は面白くなかったりする。
でもたまに、面白い文章というのもある。
それは果たして、他者が読んでも面白いのだろうか? そこらへん分からないから、たまにコメントくださる方とかいるととても感謝している。
別に、誤読してもらうこととか、そんな目くじら立てたりしない。そう感じたんだな、そう感じるような文章内容・構成だったんだな、と思うし、それはそれで面白い。
やっぱり、自分の文章だから、そこに書いている裏の意図的なのが読み取れたりするから、そういう場合は面白い。裏の意図がない文章は面白くないと感じるのだろうか。
過去に、戻りたいという時間は、正直無い。
こう言える人は幸せなのだろうと思う。
だから、僕は幸せなのだ。
幸せなのだ、と書くと、なんか不幸を引き寄せる気がして怖いけれども(かっこ笑い)。
しかし、人生というのは、命というのは、いずれ、終わりは迎えるのである。これは絶対。
かりに、コールドスリープが実用化したとしても、地球は、10億年後? 1億年後? とりあえず海がなくなる。水がなくなる。微生物すら死滅する死の星となる。
これはまぁ、わからないけど、きっと確かなんだろう。2億5千万年前のペルム紀の大量絶滅が本当にあったことなのだから、今後の未来、地球環境が大きく変わることはそんなに疑わしいことではないと思う。
だから、宇宙を知ることは大事なんだと思う。いずれ、地球は脱出しなければ人類は滅亡するのだ。
1億とか、10億とかは、地球環境的な「絶対」であって、そもそも、いまだに戦争や紛争をなくせない人類が、1000年後も無事かは全くわからない。
下手したら100年も怪しいかもしれないわけだ。
でも、なんか漫画であったけど、ぎりぎり追い詰められて、最後の最後にならないと、呉越同舟なんてありえないのである。極端な例だけど、わりと追い詰められないと、敵と手を取り合うというのは難しいのである。だから、そういう物語は逆に面白いけれど、説得力がある描き方しないとしらける。
Youtubeで特殊清掃の動画をみたんだ。いわゆるごみ屋敷とか、孤独死とか、そういったドキュメンタリー。
ごみ屋敷=男性というイメージがあったが、女性でも多いらしい。
結構ほんとか、電子機器とかいろんなものに囲まれているので、捨てたい。
もしくは、もっと広い家に引っ越したい。けど、一人暮らししている分には、20m2ぐらいの大きさで十分なのではないかと思う。
自分の生活で、まず大事なのは、パソコンがあれば、こうして文章を書いて頭の整理もできるので、大丈夫。
パソコンといっても、スピーカーと、ディスプレイも必要。それだけでも場所をとる。
椅子も必要。デスクも当然必要。
つまり、パソコン、という環境を維持(もちろんノートPCという選択もあるが、そうではないとしたとき)するにも多くの物品が必要なのである。
冷蔵庫もあったほうがいいし、洗濯も自分でやった方がいい。電子レンジも必要だなー。最近冷凍食品がうまいと思う。
食器類はもっと減らしてもいい気がする。ガスコンロは、最近、T-falの電子ポッドを買ったので、別にコンロなくてもお湯が沸かせるからいらない気がする。ほんとにまったく使わないなら、ガスコンロの上に足つき台をおいて物置にするという手もある。
健康と住環境はできる限り維持したい。
健康診断で体重はかったら、4kgぐらい増えてた。これは大変だと思って、食生活に気を付けたら、△3kgぐらいにはなった。でも、筋力が落ちて、太りやすい体質に変わっているのだろう。
孤独はよくないかららしい。
なるほどやばいな……と思わなくもないが、でも、ちょっとやっぱり腑に落ちないというか納得できないのは、「助け合う」という点である。
なんか、自分のメリットのために結婚とか、コミュニティに属した方がよい、というけれども、いやちょっとまった。
それ違うと思う。
「助け合う」
というのは、自分も与える、ということである。当たり前だ。
結婚したらリスクを軽減できるというのは、それはそうだが、それによるリスクも上がる。
結婚して1か月後にその相手がリストラされて、介護が必要になったとなったとき、自分が支える必要がある。
逆の場合はラッキー、って思う?
いや、それはそれで申し訳ないだろう……。
というわけで、孤独を防げるから結婚がよいというのは、まったく意味が分からないのである。
それよりは、養子もらった方がよいんじゃないだろうか。でも、生物学的なつながりがない子供を養うというのは、それはなんだろう……そうとう高尚な精神をもった人じゃないとできないんじゃないだろうか。
ゆえに、結婚しようという気は今のところ全く起きないのである。
もちろん、自分のすべてをなげうってでも守りたいという相手ができたら別だが……。
しかし、上の、「すべてをなげうって守りたい」という気持ちというのは、男性特有のものらしい。男女の気質というのは、別にそこにすべて帰結されるわけでもないのだろうけれども。女性はむしろ守られたいという気持ちがある、ということを言いたいわけでもないが。
まぁでも、ちっちゃくてかわいいものを守りたい、という気持ちは、別に男女関係なく普遍的にあってもよい気はするし、そういう相手に出会える可能性もゼロではなかろう。
一人でいてもぜんぜん苦痛ではない。むしろ、人といると疲れる……。
いや、疲れないことが、多くなった間違いなく大人になった成長した、そう思える。が。
それでも、一人の時間が欲しい時が多い。
割合的な問題だろう。9:1ぐらいで、一人でいてもよい(かっこ笑い)。
なので、さすがに、10:0になったら、孤立というやつで、やばいのかもしれない。精神的にもおかしくなるのかもしれない。
でも、仕事している以上は、一日の大半を人と過ごしているので、まぁ、一人で仕事している時間もあるから、5:5ぐらいの割合な気がする。
だから休日とかの一人の時間が大事、って思うのかもね。
これが仕事やめたらどうなるのか。
仕事も定年を迎えたとする。定年が65歳になったようだから、まだまだ先な気がするが。
ゲームや、本は好きだ。
何が好きかというと、物語が好きだからだ。
でも、物語が好きというのは、人が好きなのではなかろうか?
でも、圧倒的存在が人類を滅ぼす作品も嫌いではない。でも、最終的なハッピーエンドは人類の勝利だ。やっぱり人が好きなのか。
好きなのに、孤独というのは大丈夫なのか?
65歳でゲームやれるのか?
物語を楽しめるのか?
幸いにして、勉強も好きだ。勉強というか、科学?
宇宙とか良いよね。
それは何なのか。自分という些末な存在を、偉大な存在(宇宙)に位置付けるという作業、といえるかもしれない。抽象化。
なんかコメントでお題いただいたら作ってみたいと思うのでお願いします(笑)。
画像生成AIも、自分で触ってみると、できることと、難しい部分とが分かってきて、そういうの楽しいね。なんかこうやって手を動かしていろいろやるのがやっぱり自分は好きな気がする。
評論家も楽しいんだろうけど、モノ創りというのがやっぱり楽しい性格気質なんだと思う。
高校や、大学で知り合った友人と会うことももはやないだろう。
近所づきあいもしているとは全く思えない。
どこに住んでるのかも分からない。災害が少ない場所がいいけれども、そういう場所の住宅価値があがってしまっていて、危険な場所に住んでいるかもしれない。
でも、現金じゃなくても、資産は保持できるわけだから、身一つあればなんとかなるかもしれない。
75歳かぁ……。
今、30代だが、20年後とか30年後を考えたとき……。
たとえば、15歳の自分は、今の自分の状況を想像できていただろうか。
まったくできてなかったねー。
いやはや……いま考えてもよく頑張ってたと思う。えらい。若いころの自分。
とあるプロ野球選手が、大学時代寮で厳しい練習だったということで、5億積まれても戻りたいとは思えない、といっていた。
同じ気持ちだ。
5億……ならうーん……ちょっと考えるけど(笑)。
1億あげるから、10代のころに戻って1年過ごしてこい、と言われたら、正直いやだな。
いまの経験や思考や、能力をそのままもって、体力などは当時に戻ったとしても、いやだ。
冒頭に書いたが、どこの時代にも戻りたくない。
昨日は昨日で、仕事で23時ぐらいまでかかったし。
解決したが、解決しない可能性もあったことが非常にストレスだった。そういうことを、もう一度味わいたくない。
ああ、いやだ、いやだ……。
いやなことを思い出してしまった。
一方で、未来が明るいか、と思うと、それこそ、75歳になったら、もう色々衰えているだろうから、それはどうなの、って気もする。
75歳でしょう……? うーーーん。想像できぬ。
でも、75歳の人たち、生きてるから、きっと何とかはなるんだろうな。
今の75歳の人たちの話を聞きたい気もするが、ただ、それって、正直、参考になるかならないかわからないぐらいでしかない。
ボクが15歳のときの30歳の人の話と、ボクが今思っていることと、まったく違うと思うから。
結論なってみないとわからん。
先のことを心配しても、仕方がない。今を大事にしよう。
何をしようが、時間は過ぎる。不可逆に。タイムリープとかワープものの物語には憧れるが、残念ながら、今生としては体験できることはなかろう。
今日、こうして、文章を書いている、その選択は、間違いではなかったと、未来の自分が思ってくれればそれでよいと思う。
まえがき
途中まで書いてたのを誤操作で消してしまった。最近パソコンに詳しくなった、電源周りをいじる経験ができた、と書いた気がする。ハードウェアは、物理的に破壊してしまう可能性があるから、怖いね。
物質的世界を生きる
ある友人が……と書くと、リアルの友人のことを想像するが、基本的に、あんまりリアルの友人がいない……と書くと、なんか、その見栄はっている気すらする、あんまりどころか、いないんじゃないか。どこからを友人と呼ぶのか、みたいな、そんなことを研究したいと思ったこともあったような気がする。結局そこまで興味をもてずにやめた。
でも、人間関係ということには、すごく興味をもった気がする。「集団」というもの。社会学という学問に興味をもった理由がそこらへんにあった気がする。
どっちかというと、今は宇宙とか物理とかに興味があるけどね。
で、友人という表現をするとき、ボクは、リアルもネットも特に区別していない。
どちらかというと、ネットで知り合った友人の方に、すごく影響を受けてきたと思う。
というか、リアルの友人は、「影響を受けたくない」と思っていた気がする。
アイデンティティが不確かな多感な時代……思春期的な時は、集団に埋まってしまう恐怖のようなものもあった気がする。目立ちたいというのとは違うし、どちらかというと誰にも見られたくないという「プライベート」を守りたいという気持ちが強かった気がする。
今はこんなブログを書くように、どんどん自己開示したいという気持ちもあるような気がする。
ただ、その気持ちを、リアルに発信したいか、というと、別にそうじゃない気がする。
筆をとってみると色々書いてしまう
なんだ、そんなことを書こうと思ったんじゃなかった気がする。まぁでも大事なことでもある。来歴というのがないと、その文章というのはなんか感情移入というか、面白く読めないのだ。
自分のブログも、事実ベースで書いたとりあえず言いたいことばっかり書いている記事は面白くなかったりする。
でもたまに、面白い文章というのもある。
それは果たして、他者が読んでも面白いのだろうか? そこらへん分からないから、たまにコメントくださる方とかいるととても感謝している。
別に、誤読してもらうこととか、そんな目くじら立てたりしない。そう感じたんだな、そう感じるような文章内容・構成だったんだな、と思うし、それはそれで面白い。
やっぱり、自分の文章だから、そこに書いている裏の意図的なのが読み取れたりするから、そういう場合は面白い。裏の意図がない文章は面白くないと感じるのだろうか。
50代になったとき
最近、特に書いておくべきだろうと思って書いているが、今は特に不満はない。過去に、戻りたいという時間は、正直無い。
こう言える人は幸せなのだろうと思う。
だから、僕は幸せなのだ。
幸せなのだ、と書くと、なんか不幸を引き寄せる気がして怖いけれども(かっこ笑い)。
しかし、人生というのは、命というのは、いずれ、終わりは迎えるのである。これは絶対。
かりに、コールドスリープが実用化したとしても、地球は、10億年後? 1億年後? とりあえず海がなくなる。水がなくなる。微生物すら死滅する死の星となる。
これはまぁ、わからないけど、きっと確かなんだろう。2億5千万年前のペルム紀の大量絶滅が本当にあったことなのだから、今後の未来、地球環境が大きく変わることはそんなに疑わしいことではないと思う。
だから、宇宙を知ることは大事なんだと思う。いずれ、地球は脱出しなければ人類は滅亡するのだ。
1億とか、10億とかは、地球環境的な「絶対」であって、そもそも、いまだに戦争や紛争をなくせない人類が、1000年後も無事かは全くわからない。
下手したら100年も怪しいかもしれないわけだ。
でも、なんか漫画であったけど、ぎりぎり追い詰められて、最後の最後にならないと、呉越同舟なんてありえないのである。極端な例だけど、わりと追い詰められないと、敵と手を取り合うというのは難しいのである。だから、そういう物語は逆に面白いけれど、説得力がある描き方しないとしらける。
好きなことをして生きる
まず、天涯孤独になることを考えてみる……ということで思考をおよぼしたとき、そうだ、最初に書こうと思ったこと思い出したや。Youtubeで特殊清掃の動画をみたんだ。いわゆるごみ屋敷とか、孤独死とか、そういったドキュメンタリー。
ごみ屋敷=男性というイメージがあったが、女性でも多いらしい。
結構ほんとか、電子機器とかいろんなものに囲まれているので、捨てたい。
もしくは、もっと広い家に引っ越したい。けど、一人暮らししている分には、20m2ぐらいの大きさで十分なのではないかと思う。
自分の生活で、まず大事なのは、パソコンがあれば、こうして文章を書いて頭の整理もできるので、大丈夫。
パソコンといっても、スピーカーと、ディスプレイも必要。それだけでも場所をとる。
椅子も必要。デスクも当然必要。
つまり、パソコン、という環境を維持(もちろんノートPCという選択もあるが、そうではないとしたとき)するにも多くの物品が必要なのである。
冷蔵庫もあったほうがいいし、洗濯も自分でやった方がいい。電子レンジも必要だなー。最近冷凍食品がうまいと思う。
食器類はもっと減らしてもいい気がする。ガスコンロは、最近、T-falの電子ポッドを買ったので、別にコンロなくてもお湯が沸かせるからいらない気がする。ほんとにまったく使わないなら、ガスコンロの上に足つき台をおいて物置にするという手もある。
健康と住環境はできる限り維持したい。
健康診断で体重はかったら、4kgぐらい増えてた。これは大変だと思って、食生活に気を付けたら、△3kgぐらいにはなった。でも、筋力が落ちて、太りやすい体質に変わっているのだろう。
孤独に生きる
孤立はだめだが、孤独はよいとか、言葉遊びみたいなことをやりたいのではない。40代の生き方みたいな本を読んだが、結婚してない人はいますぐ結婚すべき、ということらしい。孤独はよくないかららしい。
なるほどやばいな……と思わなくもないが、でも、ちょっとやっぱり腑に落ちないというか納得できないのは、「助け合う」という点である。
なんか、自分のメリットのために結婚とか、コミュニティに属した方がよい、というけれども、いやちょっとまった。
それ違うと思う。
「助け合う」
というのは、自分も与える、ということである。当たり前だ。
結婚したらリスクを軽減できるというのは、それはそうだが、それによるリスクも上がる。
結婚して1か月後にその相手がリストラされて、介護が必要になったとなったとき、自分が支える必要がある。
逆の場合はラッキー、って思う?
いや、それはそれで申し訳ないだろう……。
というわけで、孤独を防げるから結婚がよいというのは、まったく意味が分からないのである。
それよりは、養子もらった方がよいんじゃないだろうか。でも、生物学的なつながりがない子供を養うというのは、それはなんだろう……そうとう高尚な精神をもった人じゃないとできないんじゃないだろうか。
ゆえに、結婚しようという気は今のところ全く起きないのである。
もちろん、自分のすべてをなげうってでも守りたいという相手ができたら別だが……。
しかし、上の、「すべてをなげうって守りたい」という気持ちというのは、男性特有のものらしい。男女の気質というのは、別にそこにすべて帰結されるわけでもないのだろうけれども。女性はむしろ守られたいという気持ちがある、ということを言いたいわけでもないが。
まぁでも、ちっちゃくてかわいいものを守りたい、という気持ちは、別に男女関係なく普遍的にあってもよい気はするし、そういう相手に出会える可能性もゼロではなかろう。
一人がきらいじゃないのである
ところが、自分のことを考えてみると、正直言って、孤独耐性がやっぱり高いのである。一人でいてもぜんぜん苦痛ではない。むしろ、人といると疲れる……。
いや、疲れないことが、多くなった間違いなく大人になった成長した、そう思える。が。
それでも、一人の時間が欲しい時が多い。
割合的な問題だろう。9:1ぐらいで、一人でいてもよい(かっこ笑い)。
なので、さすがに、10:0になったら、孤立というやつで、やばいのかもしれない。精神的にもおかしくなるのかもしれない。
でも、仕事している以上は、一日の大半を人と過ごしているので、まぁ、一人で仕事している時間もあるから、5:5ぐらいの割合な気がする。
だから休日とかの一人の時間が大事、って思うのかもね。
これが仕事やめたらどうなるのか。
定年後を考える
両親や親せきもいなくなったと考える。仕事も定年を迎えたとする。定年が65歳になったようだから、まだまだ先な気がするが。
ゲームや、本は好きだ。
何が好きかというと、物語が好きだからだ。
でも、物語が好きというのは、人が好きなのではなかろうか?
でも、圧倒的存在が人類を滅ぼす作品も嫌いではない。でも、最終的なハッピーエンドは人類の勝利だ。やっぱり人が好きなのか。
好きなのに、孤独というのは大丈夫なのか?
65歳でゲームやれるのか?
物語を楽しめるのか?
幸いにして、勉強も好きだ。勉強というか、科学?
宇宙とか良いよね。
それは何なのか。自分という些末な存在を、偉大な存在(宇宙)に位置付けるという作業、といえるかもしれない。抽象化。
Stable Diffusion
ステーブルディフュージョンという画像生成AIもここ最近(といっても数年前?)からはじめて、面白い。パソコンの性能があがったこともあって、XLモデルという新しいモデルで生成をためしてみた。レザージャケット・パンツの女の子。おへそは見せて、みたいなプロンプト。結構いい感じである。なんかコメントでお題いただいたら作ってみたいと思うのでお願いします(笑)。
画像生成AIも、自分で触ってみると、できることと、難しい部分とが分かってきて、そういうの楽しいね。なんかこうやって手を動かしていろいろやるのがやっぱり自分は好きな気がする。
評論家も楽しいんだろうけど、モノ創りというのがやっぱり楽しい性格気質なんだと思う。
生きる意味を考える
75歳になったとき、家族に囲まれて楽しい老後を過ごしている未来は、正直、ボクにはもうない。高校や、大学で知り合った友人と会うことももはやないだろう。
近所づきあいもしているとは全く思えない。
どこに住んでるのかも分からない。災害が少ない場所がいいけれども、そういう場所の住宅価値があがってしまっていて、危険な場所に住んでいるかもしれない。
でも、現金じゃなくても、資産は保持できるわけだから、身一つあればなんとかなるかもしれない。
75歳かぁ……。
今、30代だが、20年後とか30年後を考えたとき……。
たとえば、15歳の自分は、今の自分の状況を想像できていただろうか。
まったくできてなかったねー。
いやはや……いま考えてもよく頑張ってたと思う。えらい。若いころの自分。
とあるプロ野球選手が、大学時代寮で厳しい練習だったということで、5億積まれても戻りたいとは思えない、といっていた。
同じ気持ちだ。
5億……ならうーん……ちょっと考えるけど(笑)。
1億あげるから、10代のころに戻って1年過ごしてこい、と言われたら、正直いやだな。
いまの経験や思考や、能力をそのままもって、体力などは当時に戻ったとしても、いやだ。
冒頭に書いたが、どこの時代にも戻りたくない。
昨日は昨日で、仕事で23時ぐらいまでかかったし。
解決したが、解決しない可能性もあったことが非常にストレスだった。そういうことを、もう一度味わいたくない。
ああ、いやだ、いやだ……。
いやなことを思い出してしまった。
一方で、未来が明るいか、と思うと、それこそ、75歳になったら、もう色々衰えているだろうから、それはどうなの、って気もする。
75歳でしょう……? うーーーん。想像できぬ。
でも、75歳の人たち、生きてるから、きっと何とかはなるんだろうな。
今の75歳の人たちの話を聞きたい気もするが、ただ、それって、正直、参考になるかならないかわからないぐらいでしかない。
ボクが15歳のときの30歳の人の話と、ボクが今思っていることと、まったく違うと思うから。
結論なってみないとわからん。
先のことを心配しても、仕方がない。今を大事にしよう。
今を大事に
今日が、自分の中で一番若い日だ。何をしようが、時間は過ぎる。不可逆に。タイムリープとかワープものの物語には憧れるが、残念ながら、今生としては体験できることはなかろう。
今日、こうして、文章を書いている、その選択は、間違いではなかったと、未来の自分が思ってくれればそれでよいと思う。
あとがき
(かっこ書きである。今の年代で書ける文章は、今しか書けない。だから、日記は大事だ。以前熟読していた、シロクマさんの記事として、シロクマさんが30代のときの記事とか読めるけど、そんなすごいこと書けないな、って思う。でも人と比べても仕方ない。正直、自分の20代のブログ記事の方がすごいこと書いてるな、って思うものもあったりする。年代とか関係なく、面白いものは面白いのだ。ただ、最近思うのは、世界平和とか協調とか、大事だってことだ。それがあまりにも空虚な世の中で哀しくなるが、でも、そうあるべきだと本当に思う。平和を守るためにも力が必要だし、矛盾だらけの世の中だ。ホワイト企業の魔王軍を描いたWEB漫画を愛読してるが、あれ、ホワイト企業でいられるのは、魔王様がめちゃくちゃ強いというのが一つ根拠となっている。めちゃくちゃ強くて、それでいて人格者だから成り立っているのだ。ただ人格者なだけではだめだと思う。いや人格者で、その周りに強い部下がたくさんいればよいのだろうが、強い部下を集めるためにも、その人自身が強くなければならない。家康に仕えた本田忠勝みたいな例もあると思うけど。民主主義にコストがかかるというのは本当にそうだ。実際、優秀で人格者な君主の独裁の方が豊かで幸せな世界が作られると思われる。ただ、システム的に、人間という存在的に、独裁はリスクが高いことが歴史でわかっている。だから、コストがかかっても民主主義がベターなのだ。ベストではなく、ベター。ここが、大人的なグレーな、あいまいで中途半端で気持ち悪いところであるが、そこを乗り越えないと、人類の発展はない。自国優先の政策はもちろん大事だと思うが、その結果戦争とか招いてしまうような、そして、招いた国は絶対に自分の非を認めず、相手国がゆずらなかったから戦争になったという論理展開になって、相手は相手でひけなくなって、落としどころがなくて、殺しあう。たいていの問題って、戦争なり紛争なり、個人間の喧嘩レベルでもみんなそうだ。人間の愚かさに本当に呆れてがっかりする。がっかりした神様が人間を滅ぼそうとする物語が生まれるのも分かる。なんで争いが生まれるのか。「不足」が原因だというのもあるが、それだけではない。人間が社会的で、「関係性」的な存在だからだ。損したり虐げられていると思ってしまうと、敵対してしまう。だからむしろ、自分は自分として切り離して、孤独に生きる方が平和なんじゃないかと思う。だから孤独万歳って無理やりこじつけてしめておこう。でも、孤独が悪いこと、という風潮に、まぁそれは孤独死とか、いろいろ問題があるから事実と受け止めつつ、あまりそれに流されない方がよいというのは、ここまでいろんな社会情勢の変化を含めて、数十年生きてきた自分が思うこと。テレビも、新聞も、巷のうわさも、井戸端会議も、ネットも、ヤフコメも、絶対的に正しいと思わないこと。というか、一面では正しいけど、それが絶対に再現できるかというとそうではない。科学は再現性が重要だが、そのために、めちゃくちゃ条件がつく。条件だらけで面倒で、面白くない。だから大変だけど、だからこそ価値がある。簡単に手に入る情報、耳障りのよい情報に浸りすぎないことである。浸ってもよいけど、必要に応じて抜け出せる準備というか、心構えはもっておくべきだ。と書いている、この文章自体も、疑うべきである。つまり、何も信じないことが正しい。ということは、「信じないことが正しい」ということも信じない方がよいということだ。トートロジー。同語反復というのは非常に面白い概念で、好きだ。そこらへんのことを学びたければ、仏教の「空」とか概念を学ぶといい。それらは、奈須きのこさんの作品を導入にするとよいかもしれない。アニメだけだとわかりにくいから、小説がよい。でも小説を読むのはそれはそれで思考が大変だから、アニメから入るのもよい。とりとめないから、そろそろ終わろうおなか減った)まえがき
政治のことは、書かないほうがよい。なので、どの政党を支持するとかはそういうことは一切書かない。
政党マッチング診断
ただ、面白いのがあったのでやってみた。政党との相性診断
https://news.yahoo.co.jp/senkyo/match/party
10問こたえると、次の国政選挙で、どの政党の政策と自分の考えが近いかが分かるという。
結果などは書かない。しかし、タイトルのとおり思ったことがあるので書いておく。
ある政策は賛成だがある政策は反対
へー。意外に自分はそうだったんだ、という気がした。しかし、よくよく各政策についての立場をみていくと、
例えば1つ目については「賛成」だが、5つ目については真逆「反対」ということもあった。
何を言いたいかというと、現代政治の難しさを思った、ということだ。
とりあえずマッチする政党を支持して、思いの通りその政党が政権をとったとして、マニフェストを達成していったとしても、「いや、その政策は致命的に反対だったのに……」ということになりかねないということである。
それでも、選挙の仕組みとして、政党に投票するしかない。
そうしないと、政治は動かない。
難しいなと改めて思ったということである。
同性婚について
具体的な政治的なスタンスなどは繰り返しになるが、書かない。けども、一つ具体的な例として、同性婚を法律で認めるべきかという議題がある。それをもとに考えてみよう。(ちなみに、この議題は、そこまで自分にとって関心が強いわけではない、と書いておく。なので、強い批判を受けたところでそこまで気にならないことからこの議題を例にあげている)
これに関しては、自分はまず「反対」としておく。
理由は、法律で認めることによる様々な優遇措置による費用が増えると考えられることだ。
LGBTQに対して、特に偏見などはない。
むしろ百合は好きだ(とかいうとそういう問題じゃないとか批判浴びる)。
ただし、人間という生物と、社会的な存在を考えたときに、生殖によって子供をつくることができるというのは、どうしても男女というペアが必要だと思う。思う、というか、これはひとまず事実だ。
その男女によって子供がつくられるということによって、社会は再生産されていき、それは国という集団を維持するために必要である(とされている)から、様々な政治的な(法的な)優遇措置がある、と考えている。
だから、同性婚の場合は、子供をつくることができないことから、法的に認める必要はない、という立場である。
いやそうじゃない、という批判もたくさんあるだろう。
マイノリティが暮らしやすい社会は、みんなに暮らしやすい社会になるのだから、認めるべきだといった意見もあるだろう。
もし、それが本当にそう(同性婚を法的に認めることによってみんなが暮らしやすい社会になること)であれば、法的に認めてもいいと思う。ただ、それを証明することは困難だ。
法的に認めても、何ら優遇措置はない、のであれば、それはそれで認めていいと思う。
でも、これは逆説的に、そんなことはないのだと思う。何かしらの優遇措置があるから、同性婚を法的に認めたほうが良い、という議論が発生したはずだ。
LGBTQに対する偏見をなくすべきだ、という議論だけであれば、自分は大いに「賛成」である。
税金として徴収したお金を投入すべきか、という視点で、基本的に自分は政策の良しあしを判断している。
というか、感情的な云々出なく、政策に関しては、全国民がそうすべきだと思う。思うし、さすがに義務教育を受けた人たちはそれぐらいの意識はあると思う。
でも、正直、じゃあ、どういったことにお金を使うべきか、というのは、結局「感情」(とか自分の置かれている環境とか)が優勢になってしまう。
だから難しい。
社会的にどうか
なので、もうちょっと思考を進めて、自分がどうこう、ではなくて、社会全体としてどうあったほうが、「暮らしやすい」のか、という点で判断する必要があるように思う。たとえば、上の、同性婚の話で、「子供が云々」とは別の次元で、同性婚を認めることで、養子縁組とかが取りやすくなって、孤児が減って社会的に安定しやすくなる、とかそういうことならよいんじゃないかとも思う。
いやいやお前は同性婚問題の理解が不十分だ。この問題は、遺産相続のときに、パートナーに相続できない仕組みだからダメなんだ。贈与はできるが、その場合贈与税になって、相続税のほうが優遇措置があるのだ。
ということかもしれない。
ふむ……。そういうことなら、その点だけが問題なら認めてもよいのかもしれない。
でも、制度をかえるということは、それ相応のコストがかかる点も忘れてはならない。いまや、行政の実務にも「システム」は大きくかかわっているので、システムの変更とかで改修費用や、事務負担なども増えたりすることもあるだろう多分。
そこまでする必要がある話なのかどうか。いやもちろん、すぐさま言っておかなければいけないのが、当事者にとっては喫緊で非常に重大な問題であるということだ。
ただ、上で書いた通り、「社会全体としてどうあったら暮らしやすいのか」という点で考えるべき、という前提での話である。
正直、個人的には、タバコの受動喫煙、特に、路上喫煙している奴らを非常に嫌悪しているため、タバコ自体を完全廃止するという政策のほうが、自分にとって重要な議題である(かっこ笑い)。NHKもなくなっても特に構わないと思っているが、別に某政党に投票しようとまでは思わない。
それは「社会全体としてどうあった方が暮らしやすいのか」というのとは違うと思うので、そこまで声を大にしようとは思わない、ということである。
あとがき
(かっこ書きである。改めて、選挙で投票するということの難しさを思った。ちなみに、最初に書いたマッチングは、「1位」とかも、複数あがってくる。自分も、複数あがってきたので、結局じゃあどこに投票すべきかはより混迷した。細かく政策をみていったら、上のような、結局a政策はよいけど、b政策は考え方が自分とは違うな、とかたくさんあったのだ。だからいくつかは妥協しつつ、近い政策をとなえてるところに投票するしかないのだろう。でもそれって、すごく難しいよね。そんなこと毎回やってる暇があるとは思えないし。だから投票率も低いんだろうなぁ。別に政治的無関心な人が多いからだけじゃない気がした。あと、同性婚に関して書いてしまったが、特に何も調べたわけではなく、思ったことを書いただけなので、間違ってることもあるかもしれない。賛成、反対、双方の妥当な意見というのがあるのだろうから、それらは是非聞いてみたいと思う。ただ、「少数派の人がかわいそうだから」とか、そういう感情的な部分ではなくて、金銭的な面というか、公平性という面というか、「政治として」の面での意見が聞きたい。はっきりいってしまうと、今回は「反対」として意見を書いてみたが、実際はそこまで自分に切実ではないので、「中立」なのである。なので、どっちかの意見にひきずりこみたいという方がいたら、ぜひ聞かせてほしい(笑)。創作物の表現規制を強化する、という政策を唱えているところがあったら、絶対反対したいから、そういう政治家や政党には絶対投票しないようにしたい)まえがき
2023年6月に、PS5とFF16を買ったらしい。自ブログリンク
途中、中断(プレイを辞めてしまった)時期もあったが、ようやくストーリーのクリアをしたので、せっかくなので感想など書いておこうと思う。
ネタバレ気にしないで思ったこと書いていくため、未プレイの方は注意。
(カテゴリはあえて作るのもあれだったので、FF14カテゴリに入れた。FF14の内容はこの記事には一切なし)
総合評価
評価、と書くと上から目線だけど、感想として、5段階で表現するとこんな感じ↓↓。序盤 ★★
中盤 ★★★★
終盤 ★★★
総合評価 ★★★(そこそこ面白かった!)
序盤は、自分の期待したストーリーというか雰囲気ではなくて、少年期終わった時点でプレイをやめてしまった。
いやでも、せっかく買ったんだし……(PS5自体も買ったので、数万円の体験価値がなければ)と思って、プレイを再開。
あまり乗り気ではなかったものの、久しぶりにプレイしていくうちに、後述する「バイロン叔父さん」登場するシーンで、感動で涙が出た。
終盤にかけて、段々物語にのめり込んでいく。(途中何度か、気になってしまったり、冗長と感じてしまうところも複数あった。後述したい。)
しかし、最後のラスボス戦のあたり(章でいうと「オリジン」)で、急激に気持ちが冷めてしまった。理由と思われる点も後述したい。残念ながら、そのせいで、最後の、米津玄師の「月を見ていた」が流れて、最高潮に感動するはずが、それを逃してしまった。非常に残念に思った。
(曲は単純に良い)
クライヴ
良い意味で可もなく不可もなく……あまり書きたいことはない。主人公ポジションとして良いと思った。なんか別の人の感想で、「心の優しい青年なのに、戦闘で「くたばれぇ!」とか激しいこと言うから違和感あった」というのを後で見て、確かに(笑)とは思った。
ジル
かわいいね。クライヴと同じく良い意味で可もなく不可もなく……あまり書きたいことはない。ストーリー上仕方ないと思うし、これは悪いと思ってるわけじゃないけど、ラスボス戦は一緒にいかないのかぁーって思った。
クライヴ・ジョシュア・ジルで協力してラスボスと戦って倒すという方が盛り上がった気はするなぁ。繰り返すけど、そうできないストーリー上の設定というか流れがあるから、これは仕方なかったと納得している。
ミド
超かわいい。今作圧倒的に後述のバイロン叔父が好きだけど、女性キャラでは、ミドか、ヨーテさんが好きかな。ミドも色々着せかえれたらよかったな。着せ替えで思ったけど、アレテストーンで途中で着せ替えできることを中盤ぐらいで気づいたけど、2種類しかなかったので、もっとコスチュームあったらいいなーって思った。DLCとかであるのかな。
ジョシュア
ジョシュアもよいけど、従者のヨーテが美人さんだし、立ち振る舞いとか含めて良かった。ジョシュアは、なんですぐクライヴと接触しないで、「マルガラス」として逃げ続けてたのか最後まで不明だった。
サブクエやってたら判明したんだろうか。こういう、ちょっとした「気がかり」がいくつもあって、「完全にのめり込む」という体験にならなかったのが、残念なところだった。
ディオン
ルサージュ卿。バハムート。好き。
国の中で異端で、でも民を愛して優秀で強い……という、なんか悲劇な目に遭うとしか思えない設定で、ジョシュアと会談した後すぐ死んじゃうと思ったけど、その後たくさん活躍してすごく良かった。ディオン周りは気になるところもなくて、すごく良かった。
あと、戦闘の召喚獣セットは、バハムートを使えるようになってからずっと使ってた。
メガフレア(○ボタンでLv4まで溜められる奴)で、敵の攻撃を回避すると、フレアレベルが溜められるので、ボス戦など、連続攻撃してくるときに
○ → R1(回避) → R1 → R1
と、Lv4まで溜めて、メガフレアを発動。
ボスが遠く離れて、近接攻撃をあてられないときも多いので、追尾(?)で自動攻撃してくれるのがすごく楽しかった。
あと、最後の決戦いくまえのムービーで、シドの娘ミドから抱き着かれて、戸惑ってるのがすごくかわいかった(笑)
男色だからというのもあるのかもしれないけど、そこまで親しくない女の子からのスキンシップだったから遠慮したという感じなんだろうなと思った。
バイロン叔父さん
大好き。この方が登場したおかげで、最後までプレイできたといって過言ではない。冒頭書いたが、バイロン叔父さん登場シーンは最高だった。
このシーンを体験できたから、とりあえず金額的な(数万円(笑))もとはとれたと思った。
ガブ
最初モブかと思ったら、超頼れる相棒だった。フーゴ
敵キャラで2番目に好きかな。愛に生きた漢。
わりと民から治世も評価されてたみたいだし、シドの隠れ家を襲ったりもしたけど、ヘイトは高まらなかった。ベネディクタの死を都合よく利用された感じだし。
フーゴと和解して共闘するストーリーとかだったら、もっと熱かったろうなー。そんなストーリーにできる道筋は全く浮かばないけど、だからこそ、そういった説得力ありつつ意外な展開が多くあったら、世間的にももっと評価は高かったと思う。
フーゴ自体ではないんだけど、タイタン戦は、正直自分には長すぎた。
だれた……。
ストーリーフォーカスなら若干短かったのかもしれないけど、ガルーダ戦をストーリーフォーカスでやったら、あまりにもつまらなくて(ムービーみつつ、たまに□かR1押すだけ)、タイタンはアクションでやった。
でも長い。
第二形態は迫力あってびっくりもしたけど、時間としては半分で充分に思った。
バルナバス
オーディン。敵キャラで一番好き。かっこいい。召喚獣の姿としての、あの兜の角の形は、あんまりかっこよいと思わないんだけど、もともとオーディンのイメージはあれだから仕方がない(笑)
圧倒的強者感があった。
人物としては狂信者みたいな感じで、人間としては広がりを感じられないことが物足りないという方もいそうと思ったが、「不気味に異次元に強い」という感じがあって良かった。
逆に、ストーリー上違和感として、クライヴが、どうしてバルナバスに勝てたのか分からなかった。
これは結構、色んな面で感じたところで、ラスボスのアルテマとの闘いでも思ったところ。
圧倒的な力の差があって、一度どころか2回も負けたクライヴ。
でも、そこまで時間をおかずに、ストーリー上で、バトルで勝ってしまうクライヴ。
今回のFF16で気になった大きな点として、「何で強大な敵に勝てたのか」が納得いかなかったから。
良い例が思いつかないけど、ドラゴンボール?の元気玉?で、みんなの思いを集めたことで勝てたとか、進撃の巨人でリヴァイが獣の巨人を倒せたのは、エルウィンを筆頭に調査兵団の新兵たちも含めて突撃させて全滅させて、そこで油断させて側面から討ち取った、とか。
理由。
何故なのか。
犠牲となったこと。
それまでに講じた策。
それがないと、いくらキラキラしたバトルを描いたって、ムービーが綺麗だって、なんか冷めてしまう。
あー、どうせ、ストーリー上そろそろ勝つんでしょ?
って気がして、実際そうなった、という感じ。そうなると、バトルシステム以前に面白くないのである。
アルテマ
オリジンの章が、うーーん。正直、だれた。これから最終決戦だ! って時に、立て続けでこれまでの説明(アルテマの目的)が入る。
申し訳ないけど、それらは、もっと早くにやっておいて、最終決戦は、単にバトルぐらいでよかったと思う。
しかも、その明らかになる目的も、想像の域をでなかったのもある。
実は一つ(個体)にして全(複数)である、とか、うん……いまさら、別にそんなに驚かない。
強大な魔法を使おうとしている、ということは言われていて、それが「レイズ」だったというのも、「そっかー」ぐらいにしかならなかった。
あと、アルテマ氏が、理(ことわり)や、人そのものを作った神であって、それゆえの驕りがあったというのは分かるけれども、アルテマのこれまでの目的に対しての行動が稚拙、というか、何もしてないように感じられて、強者感や不気味さがいまいちだった。小物感があったともいう。
クライヴに、現れては何度も、「お前は器なのだ」とかいうけど、それで説得できるとか、自我を捨てるとか思ってたのだろうか。思ってたんだろうなぁ……。
クリア後の状態
2週目をやろうと思えなくなったのが、クリア後のセーブデータで入った時に、最終決戦前の状態になったから。これも仕方ないんだけど、なんか、時間が巻き戻った感じなので、冷めてしまった。
できれば、クリア後の世界で、NPCとか話しかけたら、「クライヴお疲れ!」とかなったり、マップの変な空(アルケーの空)が綺麗に晴れたりしてたら良かったんだけど……。
まぁ、エンディングの流れからして無理なのは分かるんだけどね。
戦闘
全体的に「長い」と思うことが多かった。ボス戦自体の長さもそうだし、ダンジョンとかの戦闘回数とかも。
あと、レベルアップは楽しかったけど、あんまし強くなったことが感じられなかった。
カローンの取引所で、経験値アップのアクセサリ買えることはかなり後半になって知って、損した気がした(笑)
ただ、バハムートを得てからと、「スロー」のアクセサリを付けてから、結構楽しかった。
回避してメガフレア撃つのが爽快感あった。
テイクダウンさせたら、ギガフレアで高ダメージを与えていくというスタイルを自分で考えた。
もっと効率がよい戦い方があるんだろうけど、色々召喚獣やアビリティを組み合わせて戦えるというシステムは良かったと思う。
通常攻撃は、うーん、マジックバーストってそんなに攻撃力かわってたのかな? あんまし効果が分からなかった。面倒だから、スキル溜まるまでは単に□連打になってしまい、そこはちょと飽きた。
そのせいで、戦闘が長いって感じたのかな。
シヴァとかオーディンは使わなかった。
ストーリー終盤なので、そこから新しい戦い方を覚える必要性を思えなかった。2週目用なんだろうな。
ストーリー
アナベラ裏切って国を売ったのと、エルウィン殺したことが許せなくて、序盤は一回プレイをやめてしまった。続きをやりたいと思えなくなった。
少年期のストーリー自体は、徐々に面白くなっていってたところだったので、フェニックスゲート事件で、いきなり青年期になってをやる気がしなくなった。
回想構成(過去に戻る)は、ストーリーの組み立てで結構難しい。
序盤の方が面白かったという人が多いようなので、気にならなかった人の方が多かったのだろうけど、個人的には回想シーンなくてもよかったというか、ふつうに、順番に幼少期からスタートでよかったんじゃないかと思った。
後半、ちゃんとアナベラも報いを受けるけど、ある意味綺麗な終わり方だったので、そこも不満が残った。言葉を選ばず書けば、むごたらしく死んでほしかった。
自分で死を選べるとかなまぬるい気がした。
まぁ、女性をそんな痛めつけるなんて、昨今の風潮からしたら無理なんだろうなぁ。
もしくは、上で書いた、アルテマに物足りなさを感じたので、逆に最終ボスがアナベラだったりしたらちょっと面白かったりして。そこに行きつくストーリーなんて全然思い浮かばないけど、それゆえに逆に説得力もって描けたら面白くなる気がする。
グロエロ要素
特に気にならなかった。17歳以上対象らしいから、もうちょっと踏み込んだ描写があるかと思ったけど、R指定ではないらしいからこんなものなのか。ただ、なんかグロもエロも中途半端だったから、だったらなくしてもうちょっと全年齢向けにしてもよかったんでは、とは思った。グラフィック
きれい。これは文句なしと思う。
ただ、よく言われてる通り、暗いところは暗すぎて何もみえなかった。
かといって明るくすると、こんど召喚獣バトルとかできらきらして目が痛いという微妙なバランス。
アレテストーンに入るときに、真っ白になるんだけど、あれも目が痛くて、いつも目を閉じてた。絶対身体(目)に悪いと思う。
あとがき(感想まとめ)
(かっこ書きである。買って損したとかではなく、一言で言えば、普通に面白かった、という感想。やってよかったとも思った。ただ、至上最強のRPGか、というと、んー、まぁ普通、、かなという感じ。よかったけど、2週目(つよくてニューゲーム)とか、レベルコンプしたり、DLC買おうとまでは思わないぐらいな感じ。おすすめのサブクエあったらそれは是非やりたい。テーマがクリスタルの加護を打ち砕くという感じだったから、FF17はもう出ないのかなー。そういえば、自分、FF5、FF7、FF8、FF14しかクリアしたことない。RPGクリアしたのは、FF14を除くと、数年ぶり?? かもしれない。少なくても、ここ5年、もしかしたら10年はクリアしたゲームないのでは? 色んな他のRPGをやったことある人はまた違った感想になるのかもしれないけど、久々にRPGやってみたライトユーザー感想としてはこんな感じかなー。)前書き
4年前の同時期の記事を見てい見ると、老齢基礎年金の記事を書いていた。2か月で13万ぐらいが、偶数月に支払われるということだ。で、Windows標準で入ってたのを最近気づいた「Copilot」(コパイロット)というので調べてみた。
8月生まれの場合、老齢基礎年金は、何月から支払われますか?
8月生まれの場合、老齢基礎年金の支給開始は9月からとなります。具体的には、誕生日の前日の翌月から支給が開始されるため、8月生まれの方は9月から支給が始まります
でも僕は知っている。偶数月に支払われるということだ。だから追加質問をした。
支払いは偶数月ではないのでしょうか?
はい、年金の支払いは偶数月に行われます。具体的には、2月、4月、6月、8月、10月、12月の6回です。したがって、8月生まれの場合、年金の支給開始は9月からですが、最初の支払いは10月になります。
とのことであった。
なので、最初の質問だけで鵜呑みにすると、9月に口座に振り込まれていると勘違いするだろう。
AI頼みというのは、ある程度知識も必要ということだと思う。
でも、僕の元の記事(4年前)が勘違いしていることもあった。
10月に支払われるのは、9月分の1か月分ということですか?
と聞くと、
いいえ、10月に支払われるのは、9月と10月の2か月分です。年金は偶数月に2か月分まとめて支払われるため、8月生まれの場合、最初の支払いは10月に9月と10月分が一緒に支払われます。
とのことだった。あ、そうだったのね。元の記事を参考にした方(いないと思うが)すみませんでした。
上の回答も、AIを本当に信じていいのかというのはあるけど、つじつまはあってるから信じらっると思う。
企業に就職して最初の給料も、4月中に1回支払われるもんね。
お金の話
毎月10万円ずつの投資信託を始めた。120万円が新NISA(2024年)の積み立て枠になったので、ひとまずその枠まで投資する予定。
投資を始める際に、もう10年前? 詳しい友人(リアルではない)に色々聞いて、友人がすすめてたのを買ったら、すごく大当たりした。数十万円増えた。
もっと買っておけばよかったと思う(かっこ笑い)。
一方、自分で選んだ奴は、サイクルで上がったり下がったりするタイプの株式で、あまりお勧めされなかった。
一時期、それも、友人のいうとおりに、数十万円のマイナスになった。
ひええ。となった。
でも別に売ったりするつもりのものではなく、配当金をもらっていこうという趣旨で買ったので特に気にしなかった。
今は、株式が好調なので、数十万円のプラスになっている。
年に3000円ぐらいの配当がつくやつなので、8年ぐらい持ち続けてるから、2万4000円ぐらいは単純に「利子」みたいにもらえたはず。で、株式自体で数十万円の+評価がついている状態。
銀行に預けていても、利子なんてほんとうに塵程度しか発生しないため、預貯金しかしていないというのは、本当にもったいないことだと思う。
全否定はしてはいけない
なのだけど、安全にお金を預かってもらっている、という意味では、銀行の預貯金もダメではないと思う。元本割れはしないわけだし、ペイオフで1000万円は保証されているわけである。
とかいっても、核戦争とかなったら、制度も何もあったもんじゃなくなると思う。
なので、本当に「リスク」っていったら、別に預貯金も安全じゃない。
そこまでの話じゃなくても、物価高に預貯金は弱いと思う。インフレーション(ってカタカナ書くとあれだけど、インフレとはつまり、お金の価値が下がることだと理解している)になると、元本割れせずに1000円あっても、ジュース一本が200円になったら、5本しか買えなくなる。でも、投資していて1000円が2000円になっていたら、10本買えるかもしれない。なんかくだらない喩えな気がする。
とはいえ投資しない奴はバカだ、というのも言い過ぎだとは思うわけである。
結局、ジュース5本だけで十分だったとしたら、安全に1000円を守れたということでそれで充分なのだ。
どう使うか何に使うかいくら使うか
住居が心配といえば心配。今のところは賃貸であるが、そのうち、身寄りがなくなってしまったら、借りれないんじゃないかと思う。保証人が必要だからね。
そのあたりは、正直、いっくら仲の良い友人がいたとしても、頼れるものじゃないと思うんだよね。
なので、コミュニティが必要とかいうけど、あんまりそういう言説も信用できない。
結婚の話とかあるけど、「孤独死」とかあるけど、なんで結婚するとそういう問題がすべて解決すると思われるのか、ということである。
逆に言うと、リスクでもあるわけだ。
結婚というのを、「世話してもらえる」って思ってないかということである。違うでしょ? つまり、相手が何らかの障害や働けなくなったり、病気になったり、死亡したりと、色々問題があったときに、自分の責任も生じるわけである。
それと、一人でいることとは、本質的にリスクは変わらないのではないか。
結婚が良いものになる可能性はもちろん否定しないが、コミュニティ不足という観点から結婚が必要というのはよく分からない。
まぁ、保証人が不要の賃貸とかもあるが、「割高」なんだと思う。
でもそれは逆に、お金があれば解決する問題ともいえる。
幸せはお金では買えないかもしれないが、「安定」や「時間」はお金があれば買えるのである。
お金は自由のための道具
人生には限りがある。有限だ。
「時間」は減っていく。
人生の目的は、僕が中学生の時に思いついたことだが、いまだにその考えを捨てられていないが、「楽しむこと」だと思っている。
楽しむというのは、幸せという言葉でもいいし、満足でも、充足でも、何でもいい。
そういうことが人生の目的である。
果たして「楽しむ」とは何か? という思考はもちろん必要になるが、まず、「人生とは何か」ということに対しての定義として、いままでブレたことはない。
人生は、「苦しむためにある」というのは仏陀的かもしれないが、別に仏陀もそうは言っていない。人生は苦しみである、とは言っていると思うが、苦しむために人生があるという意味ではなかろう。
仏陀のいう涅槃も、こじつけかもしれないが、「満足」と定義すれば、同じであるともいえなくもない、と勝手に思う。
では、楽しむために何が必要か。
やはり「自由」ではないだろうか。
自由とは、自分の意思で、行動を決められることである。
果たして。人と一緒にいるということは、これと相矛盾する。
しかしながら、人と一緒にいることで充足できることもある。人と一緒にいないと充足できないこともある。
そして、行動するには、お金が必要だ。
お金がないと、自由が手に入らない。自由がないと、楽しめない。でも、自由があっても、何をしたら楽しいのだろうか。楽しいを作るのは、自分自身だ。
あとがき
(かっこ書きである。なんか、面白くないことを書いてしまった。表面的なことしか書けてない。もっと深いこと書きたい。思考が表層的過ぎる。お金の話とかになるとどうにもそうなってしまう。面白くない。面白い話をしたい。やっぱり、人は何故生きるのか、的な話の方が、断然自分としては面白い。Youtubeの動画が最近充実していると思う。宇宙系の話が本当に面白いと思う。シリウスって、太陽よりもおっきい。んで、太陽って、地球の109倍らしい。109倍っていってもよく分からないから、Youtubeとかだと図示してくれるんだけど、一目で、100倍ってすげええってなる。映像ってすごい。ただ、そういいうのも、見ただけで終わると、なんか、スッと流れてしまうというか。へー。で終わる。やっぱり、日記書きたくなるというのは、僕の性格なのだろうか。性質? とにかく、109倍すごかった。木星も地球よりおきいいんだけど、太陽ってすごくおっきいんだね。小学生並み感想。でもよく考えると、太陽系って、太陽を中心にぐるぐるするわけだから、太陽の方がばかでっかいのは当たり前なんだよな。でも、木星って、地球よりすごく大きいイメージあったから、太陽の比較がすごく驚いたな)いろいろな星の大きさを比較してこの地球がどの程度のものなのかがよくわかるムービーhttps://gigazine.net/news/20091218_star_size/
広大な宇宙【サイズ比較】
https://www.youtube.com/watch?v=V0NqfqivkOo