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情報伝達(コミュニケーションとは何か)
2012/11/28 23:23 | Comments(0) | 対人関係
自分で何でも解決しようと思うことがよくない。


でも、そうしたおかげで、幅広く人脈を増やせた。


20代のうちは、がむしゃらでもいいかもしれない。しかし、30代40代を考えられないと、驚くほど簡単に、不要な人間になる。


他者の、生きたい、知りたい、仲間になりたいという欲求を、満たせる人間にならないといけない。歳をとるにつれ、欲求をみたす範囲は広がっていかなければ、歳相応とはみられない。


これは不安ベースの思考。歳をとるということは、選択肢が少なくなるということ。大人は、構築した人格が、時代にあわなくなったとしても、変わることができない。もうそのまま。だから、若い世代に老害と呼ばれたりもする。

でも、その若い世代も、大多数は要らない人間になる。せいぜい、家族からは稼ぎ手としての意味は与えられるかもしれない。
そんな家族からも、金だけおいていけ、といわれる始末だ。


これは特殊な例ではない。ただ、人間の言語は、高度に、他者に行動を喚起させることができる。
建て前と本音があるといわれる。そうではない。他者を動かすことができるかどうかの違いである。


言語という手段を失ったとき、残るのは暴力である。


相手に何かして欲しいと思ったとき、方法は、やはり本能に即して3つある。

生きたいという本能を刺激する。すなわち、危機感を与える方法。

知りたいという本能を刺激する。すなわち、好奇心を与える。

仲間になりたいという本能を刺激する。すなわち、感謝の心を伝える。



人それぞれ、どんな欲求を満たしたいか、優先したいかは異なる。仲間になりたいという欲求が強い人には、生きたい欲求とのあわせ技で、仲間でいるには何らかの貢献が必要なことをほのめかすなど。



僕はどうだろう。
知りたいという欲求が強く、後は同じぐらいかもしれない。
しかし、知りたいというのは、貢献心が強いからかもしれないし、仲間外れにされたら生きていけないという不安が強いのかもしれない。


何が一番か決めることに意味はない。

ただ、コミュニケーションとは、他者と自分との欲求をできるだけ満たす営みといってよい。
そしてそれは、ゼロサムゲームではないのだと、信じられるかどうかで、その人の器は決まる。

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