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久しぶりの文章
2011/10/02 18:48 | Comments(0) | 当ブログについて
公開するという、ブログに書くべきではないのかもしれない。
ただ、思考というよりも、単に感情的なものを、文字として打ち込む。
それは、鉛筆を握って紙に書きなぐるのとは違うだろう。そして、この、キーボードにとめどなく流れる感情というものを打ち込むということを、僕はずっとやってきたことだった。

それが、絶えた。

言葉の意味、責任、そんなものを知ったからではなく、自分の矮小さ……と書けばかっこはいいかもしれないが、単に、自分というものに、少し詳しくなったということなのだった。


忙しさや、イベントをただこなすだけで、時間は感覚をこえて早くなった。
「自分」というものを、振り返るということはなく、ただ、「行動」、それだけを目標とした。

おそらく、大学時代に書いた……、2007年と更新年はなっている、自分の文章を読んだ。

非常に共感できるものだった、しかしながら、もう今の自分は、彼の気持ちをくみとってやることができなくなっていた。
すなわち、「彼」を、彼の言葉であえていうならば、「エンターテイメント」としているのだった。


すなわち、大きな要因は複数あるとしても、いえることは、「自分」というものへの執着が、僕を拘束していたのだった……と、過去形にかくことができるほどに、自分が成長したなどと思っては「いけない」。


僕は、大切な人にこういって、不快に、というより、怒らせたことがある。「すべては環境に起因する」と。


「自分の行動」
というものに強くコミットしている人にとって、「なるようになる」という考えは、容認しがたいものに思える。
すべてのものは因果をもって、「自らの意志」というものも、存在しないのである、唯物的な思考……それが無気力主義だということは、よく分かることなのだ。



僕は、文章を書かなくなった。

これは、書く必要がなくなったということと、同義ではないと思う、思いたい。

これが、「逃避」なのだと、自分からの声に耳をかたむけることも必要だと思うのだ。



おそろしいことに、対人的なコミュニケーションにおいて、自らの言葉を発するごとに、その問題が小さく思えるのは、よくあることだ。
しかしそれは本当にそうなのか、という思い、その思いにさえ、気づかせないようにする「効力」(敢えてポジティブな言葉を用いよう)があることも、僕は生きていく中で気づいた。


ある人が、いや、僕の「メンター」(この言葉を僕はよく知らないが、流行のようなので用いよう)が使っている、「アウトプット派」と「インプット派」という言葉は、僕もまだ理解しきれているとはいえないが、重要な概念と思えるのだ。

ここで、詳細な意味を掘り下げるということではなく、利用してみれば、「アウトプット」と「インプット」が一致している人は、さほど多くないだろうという推測ができる。裏の意図というものを、常にコミュニケーションにおいては、含有しているのだ。

さて……、

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自己紹介
2000/04/01 00:00 | Comments(0) | 当ブログについて
 30代になって、今後どうやって生きるのか、何のために生きるのかを、真剣に、徹底して考えなければいけないと思い、ブログを始めました。
 とはいえ、日記自体は中高生の時期から書き始め、今や大量の駄文が存在しています。過去の記事については、その中からポイントや結節点になるものを抜粋して投稿しているものもあります。
 どの記事も、迷いながら、考えながら書いているものが殆どです。そのため、何か明確な、真実めいた答えのようなものは、見出すことはできないでしょう。誰にでも普遍的な真実とか、すぐさま効果がでる幸せの法則だとか、そういった処世術やノウハウといったものを求められる方へは、ご期待に沿えないと思います。
 最近、離婚を経験しました。「離婚についてどう感じたのか」といったことを期待した方へも、肩透かしになってしまっている気がします。いずれ、必要を感じたら書くかもしれません。ただ、その出来事は、衝撃的で精神が揺さぶられたことは間違いないですが、今考えるべきことではないと思っています。むしろ、考えるべきだということを気づかせてくれた、きっかけであったのだと。

 それでも、まさに悩んでいたり、様々なことを考えていたりする人にとっては、何らかの指針や参考のようなものになるだろうと思います。そんな少しの期待をもって、今後も書き連ねていきます。

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