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ブランドとゲームの関係
2016/08/07 11:17 | Comments(0) | イライラ対処
財布の購入を検とうしている。ヴァレクストラのデザインと、機能性がよいと思った。しかし、日本ではあまりブランドとしては、知名度が低い。一方、デザインtp的には、ポーターの財布が、気に入ったのがあった。ポーターは吉田かばんという日本メーカーのブランドだ。が、30代でポーターは恥ずかしいとか、そういった意見もある。ヴぉってがヴぇネタ、ブルガリ、ヴィトン、コーチとか、まぁ、いろいろブランドがある。ハミルトンの時計はどうだ、とか。なんだか、ゲームみたいだな、思った。
フェアあ

消費者ゲーム


duどうでもよいが、この、やはり入力が、カーソルがあっちこっちいったり、ものすごいストレス。我慢するとして、あれだ、そう、ゲーム。他の人よりもよいものをもって、自己顕示sするゲームである。こういブランドをもっている人間、30万円の時計をしている人間、そういう人間性が、ビジネスには重要だという。でもさ、それ、おじいちゃんおばあちゃんになっても続けるの?

sそれって、大事なことなの?
m

s
まあ、いざ経済は、そうした需要によって成り立っているんだから、そういった価値観も重要なのだろう。と、いうか、そうしたブランドで人を判断する人って、どれほどいるのだろう、とは思う。ネットとかでは、よくみかける、がg実際のところどうなのか。しかしその実際は、人は、思ったことを口でいわないだけで、あ、あの人、大人なのにポール・スミスの財布使ってるよ、恥ずかしいわ(笑)、とか思っているのかもしれない。いやもちろん、清潔感は大事だ。ボロボロの服で、臭いもきついとか、それはまずいだろう。ユニクロやしまむらの服だって、こまめに新調していたほうが、清潔感があっていい場合だってあると思う。まあ結局、身分相応のものをもてばいい、と、くそのくにもたたないくだらない言葉に落ち着くことになる。年収300万なのに、レクサスにのってたら恥ずかしいから、せめてマークXぐらいにしておくとか。うーん、興味のwnわかないことを書いていると、気分が滅入ってくるな。

ただ、重要なことではあるのだ。価値観という問題、これは避けて通れない。そして、やはり、身なりによって、t、j他者の反応は、確かにかわるのだ、ということ。いくら、言葉をこねくりまわして、正論風にしたとしても、札束で頬をなぐられたら、ころりと意見がかわったりするものである。

普遍的な思考


僕が求めるのは、大切な人がなくなったり、会社が倒産したり、相思相愛の恋人ができたり、sm
b仕事で出世して感謝されたり、そうした、様々な事象が起きたとしても、変わらない、コアな、中心となる考え方の構築である。いきる軸である。生きる目的である。存在証明である。根本価値である。普遍的思考である。なぜ、こうまでして、統一性をもとめるのだろうか、これは、人間の本能である。生命とは、自己保存のプログラムである。効率的に種を増やすための手段である。そこには、統一性、一貫性が求められる。それはひとつ理由だが、もうひとつ、生きたいという本能の裏返し、死にたくない、というものでもある。死にたくない、でも死んじゃう、じゃあ、何のために生きてたのか、と、単純なこと。この単純な構造だからこそ、考えても仕方がない、という結論になる人は多い。それはそれで、重要な生存方策である。でもさ、せっかくなら、考えてみたくないか? い生きるために生きて、繁殖して、死んで。それはそれで楽しいものだろう。でも、その事jnh自体に意味を感じられるのか、むなしいと思うか、それによって変わってくると思う。生きる意味なんてない、仕事だって究極の暇潰しだ、といって、生きている人もいるだろう。それって、とっても素晴らしいことだ、でも俺は、なんだか、コミットできない。この世は終わりなき日常なんだ、と、言って、諦めてしまう方法もある。俺も、その方がいいと思ったことがあった。でも、やっぱり、この呪いにかかってしまった人は、なかなかに抜け出すことはできないのである。ゆえに、この文章を読んだとしても、呪いにかかるものでもない。これは、かなり幼少期に形成されるものだろう。だから、やっぱり、っこのブログは、万人にひらかれたものではない。でも、思考は、万人にひらかれたもの。前提が違うのだ。tkr他者と付き合っていて、基本的に誰とでも仲良くなれるが、ある一定の部分から、かいり、を強く感じるようになる。なんか、人間としての前提が違うような。
とかなんとか、書いていると、あ
ああ
サイコパスとか、解離性の病気とかじゃないか、みたいになるが、そういう問題でもないのだ。いやあ、入力がおかしいため、ところどころ変な文字が自動的にはいるし、改行もまともにできないからrかなり危ない人のように思える(笑)

実際、そう見えるんだろうなあ。
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j基本的に、思考の中身を、文章化するような人はいない。基本的に、ノンバーバルの部分の表現によって、他者の言いたいことを判断する。誰かを殺したいほど憎いと思ったとしても、人は笑顔でいることができる。その憎しみを、その人の言語能力レベルで表現したとき、それはときに非常に恐ろしいものだ。殺す殺す殺す殺す子留守ころすこるそう!!!!みたいに、なっているかもしれない(笑)

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mt

クオリア


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mもう、本当に、変な文字がはいるのはいいが、改行ができないのは、本当にイライラする。なんだこりゃ。じゃたやめたってなるのだが、もう少し続けさせてほしい。あかを、他者と、同じ赤と認識をしているとは限らないという、クオリアの問題をとりあげるまでもなく、同じ文章表現において、同じ感じかたをしているとは限らない。その言葉の感じかたは、その人の来歴による。僕は他者の言葉を分解してから再構築して理解するが、特に考えずに自分の感覚で理解する人も多いように思える。そういう人は、自分の感覚と子となる人を、忌避する傾向が強い。理解できないからだ。もしくは、時間がかかるから。っtwて、こんなことかいていて、なにになrんだ? 入力の関係でいらいらもするし、もうやめようか。k
sn、tnm

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プラス思考が人をダメにする
2016/08/07 00:34 | Comments(0) | イライラ対処

プラス思考の方が、女にもてないし、仕事の成果もでないし、うつ状態になりやすいという。
nなzなぜkなぜなぜかあフェア時l時;それしても、キーボードがうまく作動してくれない。なぜなのか。ぱ
パソコンがクラッシュし、修理へ。半年もたっていないため、一時間近くの電話のすえ、無償修理に。ただし郵送料、梱包代金で、約6000円の出費となった。というわけで、スマートホンに、ポータブルキーボードをつないで、投稿中、だが、ときおり、入力がダブルでされて、おかしなことになる。あと、前に書いた気がするが、僕の入力スピードに、明らかに反応がついてこれていないため、ストレスにもなる。修理は、一週間以上かかるという。もう、予算1万円くらいで、通常サイズの無線キーボードでも買おうかな。明日でかける用事もあるし、電気屋みてくるか。そう、ところで、ポジティブ思考である。やっぱり、なんでも感でもポジティブがいいわけではないとうことだ。



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やっぱり変な入力感


改行もうまくはいらないし、変な感じだ。変な感じといえば、ふと目にはいった、みやだいしんじの、終わりなき日常という単語である。イデオロギーの対立から、親や校内暴力が流行った70年代80年代をへて、リア充とオタクという対立へと変遷していくという。疎外、かつては、ゲマインシャフト、血縁集団の中でのしがらみからの自由が望まれた。sそこからげぜるしゃふとへとうつっていく。ゲマインと、ゲ是ル逆かも、もう、変換がおかしいし、虫がとんでるし、やる気をなくす。とにかく、思ったのは、単語の記憶はともかく、やっぱり、インプットがなければ、思考もできない、ということだ。終わりなき日常、という概念は、僕の中にインプットされているが、その単語がなければ、思考が先にすすまなかったりする。重要なのは、これは、別に、もてるためにやっているのではないということだ。人が疎外される構図gがわかったとしても、それを自らにどういかすか、その点に頭wをまわさなければ、結局g愚痴と同じ。
ところどころ、変な入力になる、これはタイプミスじゃない。うん、やっぱり、キーボードさがしにいくか。まぁ、キーボードのせいか、このブログとの相性なのか分からないが。FC2ではこんなことならなかった。まぁ、その、なんだ、結局、終わりなき日常への処方せん、は、恋愛だdとかいわれる。まじかよ、もてないぜ、って疎外されたからこそ、悩んでいるのに、結局、包括的承認をえるには、異性、女の子しかないってのかよ、そりゃないぜ、みやだいさん、みたいな。そういえば、これよんで、あるしゅの絶望して、彼女つくったり、としたのかもしれない。結論として、彼女ができたから、彼女ができなかったころの自分や、その他の人たちとしては、もう、僕の言葉は届かなくなるだろう。結局、彼女ができるだけの、素質があっただけなのだ、僕はやっぱりキモオタだから、救われることなんてないんだ、と。昔の僕はそう思っただろうし、実際思っていたけれども、だからこそ、t
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つたわらなさ、ってのがよく分かるけれども、先の見えない中、希望がない中、成功する保証もないなか、ただがむしゃらに行動するということの恐ろしさ、精神のすり減り、絶望感というのは、たまったもんじゃない、そしてそのことを、僕はわかっている。だから僕は、若い人たちに、がんばったら彼女できるよ、自分に自信をもって!とかいわない、いえない。そういう単純な図式ではない。その当時、2009ねんごろと思うが、すごい閉塞感、tという表現をしていたと思うが、閉塞感dwを感じていた。感を感じている、というのは、日本語としておかしいということだが、やっぱり、っ感覚としてはしっくりくる。閉塞感という状態を感じている、という意味だからだ。そのころに比べたらいまはましだ。が、ただ、若さ、という点で、避けられない問題が大きい。とはいえ、その当時だって、むしろ、20代後半に差し掛かっている、というt点で恐怖だったわけだし、さしたる問題ではないだろう。


学習


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2>とにかく、僕は、今日、4時感くらい、学習と運動に費やしたけれども、なにか生産的なことを続けていないと、精神的にダメージをうけるのかもしれない、と思う。なんか、がんばっていないと、自己か何かから、突き刺されるのである。とはいえ、11時ごろ目が覚めて、何もするきになれず、ボケッと、数時間過ごしてしまった、ものの、それは、ゆったりリラックスどころか、ダメージを助長してしまっていた。掃除機かけたり、s

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洗濯したり、アイロンかけたり、走ったり、勉強したり。なにかしていると、少しダメージがやわらいだきがした。ところが、そうはいいつつも、本当に、何もできなくなることがある。疲れはてる、しかし、休むことをみとめられない、いや実際、ボケッとしてしまうのだが、それを、内面から、ちくちく突き刺されるのだ。頑張っている、と、自分でみとめられているうちは、とりあえずバランスがとられている、しかし、その頑張りが成果でなかったり、認められなかったりすると、崩壊する。そう、その頑張り、というのは、かなり危うい状況でバランスがとれているものなのだ。s
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s先日の記事で、成果のための努力は無駄である、と書いた。が、結局、そうやって生きてきてしまったのである。ゆえに、今日少し頑張れて、気持ちがもちなおした、としても、それは極めて危うい状況にすぎないことを、よくきにとめるべきだ。とはいえ、ボーッとしているよりは、よほどましだったと、思わざるを得ないのだが。さて、今日はもう遅い、寝よう。きっと、明日は明日で、違った言葉がでてくるのだろう。なんとか、knこれまでの言葉や、あした書かれるであろう言葉が、僕の目指す目的に少しだけでも近づいているということを、期待せずには、いられない。j

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堕落泣き言と思考との関係
2016/08/05 23:56 | Comments(0) | 思考及び書くこと
この時間の帰りであれば、牛丼屋に入り、生ビールを頼む。最近は、ジンが美味しいが、まぁ、ビールはビールで、なんだかごちゃごちゃしてていいかも。
昨日は焼酎、焼酎は味がないから水みたいだ。
ジンは、なんだか、おしゃれだから、ぐちゃぐちゃなときに飲むのはもったない気がする。

それにしても、やっぱり、仕事はきりがない。
それはそうだ、例えば、弁護士とかすぐれた職業の人のなかでも優劣はあって、どこまで依頼人のために尽くすか、ってのはお金的問題でもある。



仕事の目的、それが、家族を養うため、であったとき、確かに、必死に働くかもしれないが、それは、くびになる焦燥感だったら、とても悲しいと思う。

じゃあ、共通する課題をこなす仲間、所属意識か、自己実現か。



僕は目だった挫折はない、と自分で思ってたけど、初恋がみのらなかったときから、根本からボキッとおれていたのかもしれないと、思考とは何かを実践で示してくれたあの人のことを思いだし思った。

もういつのまにか、僕も彼と、同じぐらいの年になったのかもしれない。


泣き言と思考の違い



泣き言は、その言葉を発すること事態が目的。思考は、その先の目的を見いだす作業。


僕は、泣き言や堕落を目的とはしていないが、この違いはもはや文言にはあらわれない。
気持ちのもちよう、である。
たとえば、世界で一番苦しいんだと、思っていいのだと、僕はアドバイスする。いっぽうで、僕自信は、比較思考によって、そう簡単にできない。

遅い時間になって、帰っても誰もいないし、唯一の楽しみのパソコンもクラッシュして応答がない、となれば、自宅ですら居場所ではないということになるのか。

居場所



居場所、ほしいよね。先日、つまんねー記事だ、アップロードやめようか、と書いた、新しいカフェに行ったよって記事。

こう、いまの感覚で読むと、普通に面白かったよ。そう、感覚。

居場所、楽しみ、目的、居場所、感覚、思考、……


離婚したというのが、直接的な原因とは思わないが、結局、いきることについてのストッパーというか、目的の喪失の一因ではあると思う。
まぁ、かなり直前までは、あまりその効果はなかったのだけど、それが、たとえ心がなくて、
制度上のものだったとしても、なにか、とっかかり、くらいの意味はあったのだと思う。


悲しいかというと、そういうのはないんだけど、でも、迷子感はつよい。



って書いてると、強がり、ってきっと思われる。離婚をひきづっているのに、それを認められず、プライドを守ろうとしている哀れな男なのだと。

そうかもしれないし、そう感じられるのはあたりまえだ。
けれども、僕は違うと思っている、問題はそこではない、という根拠は、その離婚事実の前後の記事を読んでみればいい。

だいたい問題視していることは同じなのが分かる。

そういう意味で、ログは重要だ、が、その、強がりではないということの証明が、果たして、誰に向けてのものなのか。

意味否定装置



高性能な機能。

相対化とか、目的の設定など、僕が優れていることはあるが、それって、役にたたない。世にも奇妙なものがたりで、才能の飴を食べて、素晴らしい才能、たとえばリフティングとかに目覚めるのだけど、結局サッカーの試合には役に立たず、クビになってお金はかせげなかったとか。

世にも奇妙な物語は、怖くてみれなかったけど、テーマがホント面白い。
キノの旅もいいね。

ああいう作品かきたいね。長くなくてもいい、短くても、たくさん書けたらいいんだが、多分高速にネタきれになるだろう。

小説書くにも、作曲するにも、パソコンがない。


することがない、暇だ。
否、したいことがない。


明日は休み



久々に明日は予定がない。

ただ、昼までねてしまいそうだ、そして自己嫌悪に陥って、夜更かしして、あっというまに月曜日、というダメパターンの予感が多大にある。


努力の無意味性



努力は大切だ、けれども、苦しんだ努力は、この時代役にたたないんじゃなかろうか。

あんまり成績はふるわなかったけど、それでも全国の偏差値的には中の上くらいだった、としても、いまは苦しくても、頑張ったらむくわれる的に、必死になって頑張って、結果を出しても、その結果を大事におもえなかったら、悲劇的だ。
必死になって貢いで彼女にした女の子が、実はすげー性格悪くて気持ち悪かったりしたら、俺の努力はなんだったんだ、的な。


だから、思うに、経過、プロセスが一番大事なんじゃないかと。

結果が、大事じゃないわけじゃない。当たり前だ、そんな三面記事的なレベルのことは、もう僕は考えもしない。
結果が大事なのは当たり前でありながら、その結果が一時的であったとき、その次はなにか、ということだ。

昔から、高校入試なんて通過点に過ぎない、とかいわれていただろう。その先が大事なのだと。


しかし、その先というのが、大学でも、ましてや、就職ですらない。

結婚でも、子供でもない。

それらはすべて結果。

結果の連続した繋がりが、それこそが人生なんじゃないかと、俺は思う、思った。


断裂性



結果を出してきたし、答えも出してきた、成果をつくった、そして努力もした、禁欲もした。

けれども、そのそれぞれが、一貫性がなく、その時々で、方向性の再設定が必要になっていたのではなかったか。


自分というものの連続性という点の思考が、というより、実感が足りなかったのではないか。


その疑問によれば、なるほど、そうかもしれないと、納得できる。

確かに、僕は、そのときどきで、自分をかえられると思ってきた、というより、様々かえてきた。
大きなところでは、行動第一主義、感覚主義への方向転換。

自分の価値観の大きな変革といえる。


ただ、それらは、かなり、自己、に対して負担だったのではないだろうか。


だからどうした



それが事実だとして、では、そのままの自分でいられたか、というのは、また無謀である。

別に、変えたくて変えたのではなく、環境的に変えざるをえなかったのだ。

そもそも、自己中心的な人は別だが、たいていの人は、環境におうじた考え方や行動をとる。それが普通だ。ただ、僕は少しばかり、ドラスティック過ぎたのかもしれない。

だからといって、過去を考えて、自慰していても仕方があるまい。
つまり、この断裂性に実感があるならば、是非、今後は、自己を中心として、世界環境との整合性をはかっていけばいいのだ。


と、いうわけで、やはり、もうしばらく、この思考ブログは続けていく必要があるだろう。

気持ち悪さ


とりあえす今日は新しいがいねん、連続性と断裂性ということこメモとしてここで終わり。

あとは、適当に思ったことだが、やっぱり、こういった文章、気持ち悪いって感じられるんだろうな、って。

包丁を首筋にあててみれば、生きることへの悲しいまでの渇望に気付くことができる……なんて、え、この人こんなこと考えてやってるの? うわ、ひくわ……ってなるのは目に見えている、かっこわらい。





まぁ、全員がそうじゃない。ゲイ、をばらされて自殺した大学生がいた。
悩みを抱えて苦しんでいる人たちなんて大勢いる、が。

その中で、こういった表現を思い付くのは、そして、文章化までしやがるやつは、まぁあんまりいないだろう。




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パソコンクラッシュと他者に興味をもつこと
2016/08/04 12:00 | Comments(0) | イライラ対処
昨日は不愉快極まりなかった。たいていは、対人関係において生じることが多い不快感だが、場合によって、自分で生成することもできるのだと、いま思うと感心である。

さて、ところで、デートとは、相手を知るよい機会であって、決して自分のことばかりはなしてはならない。
という当たり前の記事を目にして、僕はふと思った。

このブログ群、自分のことしか書いてないじゃないかやっぱり、もっと他者に目を向けるべきだ、自己が云々なんて考えているなんて、気持ち悪いことこのうえない、と。  


むしろ、自分を開示することに積極的になったことは、ないのかもしれない。

ということは、本当は、心のそこでは、自分のことを理解してほしいと思っていたのに、その欲求がみたされてこなかったため、不満を醸成させていって、こじれたのか、と。


すぐ、疑問になるのは、その、しってほしい、開示したいという自分って、なんなのか、ってことだ。

こうやって書いていること、それ自分だとして、じゃあこれって、いったい何なのか、って思う。

考える人……彫刻か。

それはそれでよいとして、では何を考えているのか、自分について。ああ、やっぱり、自分大好き人間なのか、いや、それはちょっと違うと思うんだが……。

飲み会



なんだか最近、よく飲み会に参加している気がする。焼酎、結構のんだ。よく飲んだ。

まぁ、大人は、お酒を飲んで日々を生きるものだよ、ほんとか?


他者との会話、相手を知ること、い

いつも、お開きのときは、相手のタイミングにあわせていたが、今回は、自然な感じで切り出すことができた。これもまた経験と勉強である。

パソコンのクラッシュ



突如、帰ってきてパソコンをつけて、ネットサーフィンしながらエクセルで少し作業をしていたら、そうさ不能になり、電源がきれた。

フリーズぐらいよくあること、と思ったが、マシーンチェックエクセプション、とブルースクリーンになり、起動しなくなった。

再起動、強制終了を試すもだめ。

ウイルス感染も疑いLAN線もすぐに抜く。が、どーやら、ハードディスク……僕のは、SSDだが、そっち側の問題のようである。

今朝、緊張しつつ電源を再度いれるが、だめ。ぷりぺあ、おーとまちっく、りぺあー、とは出て、何かチェックはしていそうだが、マザーボード、CPU のマークがでたまま、動かなくなった。



パソコン買い換えたのは2月ごろ、である。早すぎる故障。早めに問い合わせする必要があるだろう。やはり、保守は必要か……、出張修理オプションを節約してつけなかったから、くそでかいやつを運び込まなければならない。
こういうとき、車があると便利だ。もう、レンタカー借りるしかない。


困ること




しかし、実は、最近ゲームしたり、といっても黒い砂漠をつけっぱなしで放置プレイをしていただけだが、ネットサーフィンとか、遊びに使っていることがほとんどだった。

勉強のためにつくった機能もあるんだが、それは形骸化し口実になっていたようだ。

ので、高い買い物なので、修理は早めにするとして、保証あるよな……ちょっと心配だが、それほど困ることもない。

というより、資格取得と、思考深化のため、もっと真剣になれ、というお叱り、誰からのかは分からないが、発破をかけられたのだと、自然と思った。

誰かから、という表現はちょっと違うな、資格取得と思考深化に時間をつぎ込もうと、自然に解釈、そう思ったのだ。

さいわい、この場所の更新はスマホから可能。
サイトの更新が残念ながらできなくなるが、……あ、バックアップが、ハードディスクの故障とすると、消えてしまった可能性がある。これは困ったな……


サーバー上にバックアップとれる機能を実装しておいてよかった。早めにこれも対応しよう。








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生きる意味を考えることとはその二
2016/08/03 18:00 | Comments(0) | イライラ対処
思考は、理想自己との一致のために行う作業である。

理想自己とは、その瞬間、そうとしかありえない、言葉、行動、状況、反応のことである。

生きる意味とは、その理想自己と現実が一致したときに、分かるものである。


この三点目が、今回掘り下げて書くべきことだろう。

自分のなかでは、違和感がある、それは何故か。
理想自己と生きる意味との関係性である。

自分がこうあるべきで実際そうであり、それ以外を実感レベルで考えられない状態、真実そのものが、理想自己である。
そのため、理想自己は、到達する目標ですらないことを先日書いた。
そこまではいい。

次に、その理想自己に到達するための思考とは何か、ということと、そもそも、生きる意味をみつけることとこ関係性がわからない、ということだ。


理想自己への到達の矛盾



理想自己は、目的でも目標でもないと書いた。
すると、その理想自己となるための、その状況に至ること、そのことが、そのまま矛盾となるのだ。

つまり、理想自己とは、理想的な概念ではあるものの、目の前にぶらさげられたニンジンのようなものなのではないか。

この表現は難しい、ただ、ここでは仮に、理想自己には、なる、ものであると表現する。
現実と自己との擦り合わせである。

こう書くと、現実にただ追従し流されるだけ、長いものにまかれるだけ、とも感じられる。そうではない、それでは、自己など存在しない。

すぐさま、自己は不要ではないか、との議題があげられるものの、これは棄却する。
自己は、捨て去ることができないものである。特に私はそうである。その理由は、経験によるもののため、根拠は薄い。

とにかく、10歳ぐらいから、友達と、小学校の休み時間にトランプしたり遊んだこと、母親がつくってくれたドーナッツの美味しさなど……自己が生じ始めた時期に、人間関係で嫌な思いをし、死んでしまいたいと思ったことがある。

その感覚は当然、いま呼び起こすことはできないものの、その後、紙のノートに日記ともいえない、いわゆる思考そのものの過程、これをログ、の僕は勝手に読んでいるが、そのログを書き続けていったことに繋がるのだと思っている。

それらは、懐古主義であり、トラウマが現在に影響していても、単に甘えに過ぎない、ぐらいに思っていたが、そこから辿らなければ、やはり自己を知ることはできない。

知る必要があるのか、という疑念、これらは、とことん排除していく必要がある。とにかく、自己は、過去からいままで、結局消えることはなかったし、それが現実と共鳴することもなかったのだ。

死にたいって思ったことある?


この疑問、なんで仕事してるかわかんない、ぐらいに言っていた友人に、思いきって聞いてみた。

オブラートに、生きてる意味わかんねーってなったことある、っとか、笑顔で。
え、それはないよ、と即答だった。おぉ、やっぱり、そういうもんか。


なんやかんや、みんな、自己と現実が一致しているのである。解離性障害みたいになんてならないのだ、……ほんとか?

みな、人生とは、なんらか、不満を感じながら生きていくものだ、とか、よく聞くはなしだが、その不満とは、所詮、自己を脅かすレベルのものではないというのか。

そしたら、自分は何故こんなにも、こんがらがってしまったのか。

過去の自己を無視して、更地に新しい建物をたてようとした、が、結局土台がしっかりしないから、崩落した。

いまは、特に、立ち止まって考えるべきだ。


ルーチン作業


薫習、といって、日々の修行をこなしていると、身に付けるものにお香の匂いがしみつくのだという。
正しいことを繰り返し行うことが、重要だといわれる。

正しいかは分からないが、僕はずっと、考えること、書くことはずっと続けてきた。

ある意味習慣なのだから、簡単にやめることもできないだろう。なら、これを利用するっきゃない。


思考パニック


いま、真面目に答えを出そうと考えてたら、様々な過去がフラッシュバックして、危うく発狂、とかくと、オーバーな気がするが、具合悪くなりかけた。

書くことは、やっぱり、楽しんでてきとーに書いてるぐらいがいいのか、でも、それだと、他者に感動を与えるようなことはできない。

うーん……なんやかんや、一時間たったのか。

どんだけ時間を使えば、前に進めるのか、いや、そもそも、いま僕は、前ってどっちかが分からなくなっている。


なんで人はみな、楽しそうに生きている?

なぜ人はみな、苦しみを乗り越えて笑ってられる?

なぜ、避けられない死の恐怖を感じない?



そして、なぜ僕はこんなふうに考えざるえない?

なぜ僕は、自己を、どこか遠くにあるものだと感じる?




なぜだ?

なぜ?


頭が真っ白になる、というより、様々な絵の具でぐちゃまぜになって、結果真っ黒になつていくような、そんな感覚に、もう常に書いていないと自分が保てない。


いやはや、まいっちまうね、こりゃ、


そうやってすぐ、悲劇の主人公気分か、きめぇ、早くしんじまえよ。
とかも声が聞こえるし、うるさいうるさい、黙ってろ。

そしたらこのタイミングで、お久しぶりです!メアド変えたから登録よろしくねってメールが。

差出人不明、間違いなく迷惑メール、でも、弱っちまってると、返信してしまいそうだ、わらい。

ああ、ほんとに具合が悪い、今日はここまで。
カテゴリ、思考にしたけど、日常に変えよう。
失敗した。








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