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映画「バケモノの子」転生と異世界との融合との違い
2016/09/19 17:02 | Comments(0) | 創作について
細田守監督のバケモノの子を視聴した。
☆5つ評価中、☆3つといった感じ。面白くなかったわけでもないけれども、さほど感動するわけでもないといったところ。
闇に取り込まれたライバルを倒すために旅立ちを決めた際に、お世話になった二人に「ありがとう」といって、泣いて抱き合うシーンは少し感動した。



ストーリーとしては、
離婚した母親が亡くなり、親戚に引き取られそうになった主人公レンは、反抗して街に家出すると、不思議なバケモノの世界に迷い込み、そこで弟子を探していたクマテツの下で修業することになる。

数年をバケモノの世界で暮らしたレンは、ある日人間の世界に戻り、そこで闇を抱えた高校生の文学少女をDQNから救い、一緒に人間の人間の世界の勉強をして仲良くなっていく。

そのうち、クマテツのライバルの子が闇に取り込まれ、人間世界を巻き込んで戦い、勝つ。その際、渋谷で大立ち回りをするが、奇跡的に、人的被害はゼロだった。



映像がきれいで、東京の街並みや、車とか建物のリアリティ、大勢の人、雑踏の滑らかな動きとか、よかった。

けれども、ストーリーとして、面白かったかというと、まぁ、普通である。


やっぱり、なんというか、不良に囲まれた少女を救って仲良くなって勉強して「大きな敵」の中「心」を正しく保って戦いのサポートをしてくれる、という。

なんか、男の子が好きな女の子をよく表現しているなと思う。
いやまぁ、みんな誰しもそんなのが好きなので、良いと思うが、リアリティという面で今一つだなぁと思ったりする。まぁ、女の子としても、自分の危機に現れて、なんか複雑な事情を抱えてそうで、まっすぐ自分の生きる道を探して頑張っているような男の子に出会ったら、きっとときめいてしまうだろう。いや、俺が女の子でもきっとそうだろう。そういう意味で、決して、リアリティがないわけじゃあないのだけれども、そもそも、そういった事態があるかってことだ。

いや、あってもいいし、むしろ、物語なのだから、その平々凡々とした僕ら多くの生活の一部を切り取ったところで面白くないのは明らかだし、少しくらい特異なことが起こってもいいだろう。
けれども、なんというか、そういう「主人公」に思いを託す的な見方しかできない作品って、いい年の大人がみるとなんだかやるせなくむなしくなるものだなぁと思った(じゃあみるな!)。

いや、むしろ、子供たちにとって、そういった空から少女が……! 的な作品をみせてもいいものだろうかとすら思う。いやいや、それは決して、ぐちょぐちょでドロドロな群像劇が適切というわけではないが、何だか、夢や希望や理想ばっかり広がっても必ずしもうまくいくとは限らないことであり、その壁にぶつかったとき、「こんなはずじゃなかった」という失望感にさいなまれないだろうか、という余計なお世話な話である。

無職転生

無職転生という小説は、無職素人童貞のクズニートが異世界に転生してハーレムを築く話である、と書くと悪意のある粗筋になるが、そんなことなく僕はこの作品が好きだ。
何というか、同じ前向きとかポジティブとかそういう表現においても、どこか「失敗した」記憶や実感が残っていて、逆にその思考を元にして困難を乗り越え、ときに失敗しながら成長し冒険していく物語であって、ストーリー展開に目が離せなかった。

それって単にお前が卑屈でダメな奴だから単純な前向きな熱い作品が苦手なだけじゃないか、というのは、きっとそうだろうね~と同意する。と、いうか、逆に、そういう作品は、むしろ「現実」がその体現なのだから、物語として、創作物として、必要ではないのだ。

だって、自己啓発本とか読んでいれば、そもそも前向きで明るくて人生頑張っていこうじゃないか、って思えるじゃあないか。わざわざ物語で、小説で、映画で、ドラマで、敢えて触れる必要性が分からない。


だから、恋愛そのものを取り扱う作品も、昔から好まなかった。いやそもそも、そんなリア充的な経験がないからなのかもしれないが、むしろその「ありえなさ」を楽しむために喪女的な人がはまる(たとえば、韓流ドラマが流行ったってのはそういうことじゃないのだろうか)というのも一面であるのだろうけれど、俺はそれよりだったら、現実で色々試行錯誤して試してもいいんじゃないかと思う。

恋愛系の創作とはリア充のものか

何だか適当に考えていると、話しがどんどん脱線していくが、そもそも恋愛ものって、リア充のものではないだろうか。
ここで、「リア充」の定義や、喪男とか喪女とか、とくに「イメージ」だけで話をしていくとただのチラシの裏でしかないが、自分の中ではある程度イメージができているから、まぁ書き進めていくとしよう。

うーむ、しかし、恋愛要素ってのは別に悪いことではない。ロマンティック・ラブという概念は、現代人にとって一つ夢理想であり続けるものである。
それが、結婚制度によってゆがめられ……いや、これ、今書きたいことでも、メモしておくことでもないな。

多分、今の自分として、男女の関係というレベルの思考が必要になっていないことが原因だろう。

むしろ、もう一つ大きい次元として、人としての生き方ってなんだ、って話だ。

先ほどの、バケモノの子の最後のナレーション的解説では、「主人公は、きっとこれから大きな困難が訪れようとも突破して強く生きていくだろう、何せ胸の中に強い剣を宿しているのだから」的なものだったが、いやむしろ、その先の人生ってなんだよ、ということが僕の疑問である。

ゲームオブスローンズ

同時期に見ているから、特に関連はなくても比較してしまうのだが、やはりこの海外ドラマは面白い。フィフスシーズン(第五章)まで、今貸し出しされている作品は全部見終わったが、いやはや、まさか、あの人が反逆にあって殺されてしまうとは……。

まぁ、これから見る人は、第一章から見たとすれば何のことか分からないだろうし、既にみた人はネタバレなんて関係ないだろうから、印象に残ったシーンを書けば、

・ある国の王が、戦争の勝利のため、自らの娘を火あぶりにかけて生贄にするシーン。その前に、娘は、父からも母からも自らの病気により疎んじられていたと思い込んでいた。それが、あるきっかけで瓦解する。「お前は、私の娘だ」と抱きしめるシーンは、非常に感動的だった。その後、何やかんやがあり、火あぶりである。

「父上! 母上! どこですか! こんなことやめさせてください! ――いやぁあああ! 助けて! 父上、ちちうえ!! ああああああ」

という悲鳴、ちょっと頭から離れない。
一歩引いて、ドラマとして考えたとき、子役の人、ほんとまだ十代前半ぐらいだろうに、すげぇ演技だ(いや、吹き替えで見たから、声優の人がすごいのかもしれないが)。

いや、まじですか、そこで、その選択しますか。という、驚き。様々な人の決断ってのがあるなって思う。そして、そんな大仰な儀式をしたんだから、きっと戦争では華々しい戦果があるのだろうと思うだろう、俺は思った、ところが、蹴散らされ味方はちりじり。しかも敵の領主が、いやなやつで、サドスティックな奴で、突き抜けた異常さが逆に癖になってしまうぐらいなのだが、そいつが勝利するのだ。


・他の部族との争いで頭角を現した若い男が、選挙によりある領地の総帥となった。そこに、ホワイトウォーカーという、怪物、いわばゾンビみたいな軍団が攻めてくる。そこで、今まで敵対していた部族との和平を行い、ともに戦うことを約束しあう。
 おお、これで、ついにバケモノの軍団と一致団結して戦うって展開になるんだな、とワクワクした。その次の場面では、敵対した部族に家族を殺されたり、憎しみをもった人たちの反逆にあい、裏切られ、殺されてしまう。

まじめな人が得をするとは限らない

いい人が必ず成功したり、幸せになったりする作品ではないから、きっと万人におすすめはできないだろう。
何だか虚しさだけが残るという感想を抱く人もいると思う。
でも、何だか、大した経験も大した考えもあるわけではないが、そうした物語の方が、僕は何だか「現実的」だと思うのだ。

逆に、その努力したり頑張っていたら、必ずうまくいくような作品ばかりで育ってきた人は、「そうならなかったとき」どう思うのだろうか。
「人生うまくいかないこともあるさ♪」的な表現はよく聞くことだが、本当に本当に頑張って、真面目に、正しく、強く生きてきて、それが完全にひっくり返ってしまったり、裏切られたりしたことまで想像できているだろうか。

スピリチュアル的には、「そういうことを考える時点でダメですよ♪」となるわけだし、潜在意識とか無意識とか、自己意識とか、それらに働きかけられる意味や現象を、僕も全て否定する気はない。

だけど、どこかしら、「世界は残酷だ」ということを、僕らは分かっているようで、分かっていないのではないだろうか。

とか、知った風な言葉なんて、誰も必要としていない。
「え、そんなこと、みんな誰でもわかっているよ。そのうえでみんな大変なこともある中でがんばってるんだよ? 君だけじゃないよ? 30代にもなって幼稚だね~」
と言われることも分かっている。が、本当に皆わかっているのだろうか。否、分かる「必要がない」だけだろう。むしろ、有害であり、きっと遠ざけるべきなのだ。

それよりむしろ、「僕」が、きっとわかっていないのだ。そんな、「世界は残酷だ」とか言いながら、ずっと、これまでも、そのことをどこか認められない自分がいるのではないだろうか。



と、随分話が混線したので、とりあえずここまでにしよう。どれが創作の言葉で、どれが実感の言葉なのか、自分でもてんで分からなくなった。


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ジョルジュバタイユの内的体験
2016/09/16 00:14 | Comments(3) | 思考及び書くこと
無意識、夢の中で、「生きるのであれば、こんな生活変えてやる!」と言った(想像)。

未来、未来がないのだ。だから今が幸せだろうが、不満や不安でしかないのだ、と言った。


――ならば、未来を、創ればいい。


ジョルジュ・バタイユの内的体験を読んで

別に、新しく買った本ではない。かなり前に購入し、読み始め、「うわ、なんだこれ、分かりづらい、難しい、やめよう」と、本棚に埋まっていた。

で、恒例の本棚整理の日に、当然、売却対象候補になった。

しかし、意外やに、今の現時点においても、かなり高評価であり、アマゾンのUSEDも下落していない(1円になっていない)。

難解なのが面白いというわけではない、ただ、何か人を惹きつける何かはあるのだろう、そう思って、残しておいた。


最近になって、ちょっと開いてみた。特に、理由はなかった。ただ、息をするとか、鼻水をかむとか、そんな程度に、手に取った。

なんか、ちょっと「わかる」って感じになった。

もし私が思いきって「神を見た」と言うとしよう。すると、私の見るものは質を変えてしまうだろう。想像もできない未知のものの代わりに死んだ客体が、神学者の持ち物が顔を出すことになる。そして未知のものはそうした客体に従属させられてしまうだろう。なぜなら、神ということになれば、恍惚が啓いてくれるおぼろな未知のものは、私を隷属させるべく隷属させられてしまうからだ。

例えば、上のような表現が、なんとなく、わかるのだ。

この本、そもそも、何について書かれたものなのか、実は未だに分からない。

ただ、「内的体験」というタイトルの通り、人間の内面の存在を表現する試みなのだろうと推測する。
それはおそらく、心理学的なものではなく、まさに、瞑想したような状態、法悦の、恍惚の、感動の状態を表そうとしたものなのだろう。


解説のあとがきにあるように、きっと、全部の文章、一文一文を理解する必要がないのだと思う。
つまり、神をも恐れず言いのければ、僕のブログのようなものなのだと。(天罰がくだるぞ!)



もっというと、自己啓発的な奴とは違い、きっと、結論だけ読んでも、何も分からないだろう。
いやむしろ、結論めいたものが書かれているのかどうかすら怪しい(フランス思想書の研究者たちに石を投げられる!)。

ただ、表現として、面白そうだと、今は思う。

昔は思えなかった。これは、読書力があがったとか、そういう問題ではないと思う。
おそらく、「思考」がかわったのだ。そして、「文字」に対しての考え方が変わったのだ。


無気力さの取り扱い

「何もしたくねぇ」
と、本気で思う。
最近特にその傾向が高い。

その、何もしたくないというのが意味するのが、非常に曖昧模糊であり、ただ単に、何かに集中できないような状況であるともいえる。「こんなことして、なんになるのか」とか。これら、なんでも「意味」を求めようとする呪い、というか悪癖というか。ただ、意味を捨て、家畜のように生きることは、おそらく、一度呪いにかかったものは、することができないだろう。それが、このブログタイトルへの決意である、「徹底して考える」という点にあらわれているのだろう。(推測、の文末表現になるのは、過去の自分は他人、という考えによるものだが、それより、単に記憶の曖昧さに起因する)

しかし、よくよく、休んで時間をつくってみれば、
・ゲームオブスローンズは面白い。ストーリー、セリフまわし、映像、たまに入るエロシズム、よく入るグロスティック。良い作品である。DVD1巻が、2時間で、5章の4巻目までみたから、少なく見積もっても、48時間費やしていることになる。え、まじか、そりゃすげぇな。数字にすると驚く。

・進撃の巨人は面白い。今20巻だが、面白さが衰えない。

・アイアムアヒーローは面白い。今20巻だが、面白さが衰えない。スピンオフ作品? オメーはダメだ(いや、そんなダメじゃないかもしれない。でも、1話だけ読んでみて、あまり読もうとは思わなかった)。

・モノガタリを創るのは面白い。


そう、意外やに、やりたいことは、あるのだ。
ただ、無気力の野郎は、本当に身近になっている。いや、これは冗談ではなく、本当にお友達になった方がいいのかもしれない。本当に無気力だと、自殺する元気もないと言うしなハハハ。


未来がないなら創ればよい

「僕」
という存在に、未来はないのかもしれない。

でも、モノガタリは、創ることはできる。

自己を投影した主人公は、きっと面白くないだろう。

ただ、想像しうる、人間存在や、自然、科学、事象、因果、宇宙、物理法則、社会、集団、思想、価値観……それら諸々について創造することにより、本来的自己の「何か」片鱗をみることができるのかもしれない。


先日、書いたかどうか忘れてしまったから、もう一度書いておくと、

「生きる意味を考える」

というと、「キモーイ」と言われるが、

「自分の価値観の軸をつくり磨いていく」

といえば、なんか「できる男」みたいでかっこいいと思われるかもしれない。


そう、所詮、「表現」でしかない。


表現という世界

最近、新しい書物にあたるのが億劫になったのは、歳をとったから、というよりも、
「表現性」の問題に気づいたことによることが、大きいかもしれない。


いくら回りくどく、小難しく、難解なテクニカルタームを用いたとしても、「平易な言葉で理解できる範囲に展開すること」ができなければ、所詮それは「理解」ではなく「暗記」である。

いやもちろん、暗記が悪いことではなく、むしろ、暗記というか、記憶の積み上げが、人格を形作っている、という現在の僕の立場である。

先般、「残酷な世界で生き延びる方法」(タイトルが違うかも)において、「こころ」とは、他者のこころをシミュレートする機能である、という表現があったけれども、というよりも、こころ=人=人格=自己=とは、「記憶である」と言った方が、僕は今のところすっきりする。


だから、固有名詞の記憶というのは重要なのだけれど(たとえそれが、因果を知らない暗記であったとしても)、記憶力の程度は、その人の頭の良さによるし、反復がなければ忘却は避けられないし、老いは必ずやってくる。


であれば、僕が思うに、重要なのは、「概念記憶」だと思うのだ。

概念記憶

概念記憶とは、そうさな、固有名詞を一切用いずに、事象を説明できること(アウトプットできる記憶)、である。

何だろう、ここで、かっこいい例えが言えたらいいけれども、いえなくて、例えば、「重力」といったとき、英語でグラビティとか他の言語による表現などたくさんあるのだろうけれども、

重さをもった物同士が引き付けあう力

とアウトプットすれば、それは概念記憶といえる。
いや単に、高いところから物を落とすと、下に向かって落ちる現象を引き起こす力、といってもいいし、いろんな表現がある。

上に書いた表現、それって「万有引力」では? という疑問もあるが、厳密な違いの記憶が今はない。ただ、調べれば、なんとなく思い出すだろう。

とにかく、概念記憶とは、限りなく平易な言葉で表現するために必要な記憶(情報構成能力)のことである。



で、ここで僕が気になるのは、その「限りなく平易な言葉」ってなんだよ、となる。

これが、養老さんの仰る、「バカの壁」の話につながる。

つまり、人のインプット能力(記憶の多寡)によるコミュニケーションの限界性である。
(「つまり」とかいって、全然要約できていない。)

ええと、なので、「限りなく平易な言葉」が、人によって異なるというわけだ。


またしても、バカげた例えをすれば、「異なる」といっても通じない人がいるかもしれない。「違う」と言ってあげなきゃいけないかもしれない。

でも、でも、だ。違うと異なるの、違いを、残念ながら、以前調べた気もするが、今は覚えていない。が、そのほとんどの人が、特に差異を気にせず用いている表現、それを記憶して、なんになるというのか、という疑念、それが、「通常記憶よりも概念記憶の方が重要なんじゃないか」と、先に書きたかったことである。


では、そういった、概念記憶は、どうやってつくっていけばいいのか。

体験・経験・感動

心に刻まれること。
潜在的な意識に刻み込まれ、無意識下で行動の源泉となるもの。

それが、概念記憶を作り出す。


だから、先の、ジョルジュ・バタイユの、内的体験の、その「体験」とは何かを表現する試み、今僕はとても興味がある。


この「興味」。

これは大事だ。

これは、言い換えれば、「未来」だ。

良い作品の、続きを「読みたい」。これは「欲求」という。欲求も非常に重要だ。


そして、僕は、そんな良い作品を創りたいと、今はそう思う。
これは、もしかして、無味乾燥な僕の人生に、少しばかり潤いを、「未来」を、もたらしてくれるのではないだろうか。




――と、前向きに書いておいて、興味深いのは、明日の自分の感想だ。


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残酷な世界で生きる方法
2016/09/14 22:00 | Comments(0) | 思考及び書くこと
タイトルは、先日買ってみようと記事に書いた本のタイトルの引用。

結論は、ロングテールのなかのさらにニッチな分野でトップを目ざしそれでだめならさらにニッチの分野に着目していく。

そして、ローカルコミュニティ戦略について。人は承認をもらうことが幸せだ。リナックスは無料OSだが、バグを改修するプログラマーたちには称賛という褒美が与えられ、生き甲斐となる。

私とは、心とは何かという問いには、他者の気持ちをシュミレートする機能だと答える。

明解で分かりやすい作品だと思った。


いまいちな点



心とは何か、に対し、他者のことを思いやり、社会性を営むための機能だ、としたとき、そもそも私とは何かとは、何者でもない、ということになる。

これは、梵我一如や、禅による世界との一体化という、方策である。
それは正しいと思う。自我に執着すると、せかいが小さくなってしまうというのは、ひ肉的だが正しいだろう。

ところが、その一方で、ニッチな部分を探して、その言わば小さなコミュニティで承認をえながら幸せを感じていく戦略。


これ、違和感があるのは自分だけだろうか。


なんか、違うよな、というのは、結局、お金持ちが必ずしも幸せじゃない、とかいうなら、他者の承認とかも果たして、それほど重要なものなのか、と。

貨幣のルールのなかで、実は、お金じゃなくて承認を得たい、と、これがひとつ矛盾に思える。

私とは何者でもない、としたときに、他者の存在に心を使うというのが、次に不明だ。



おちつこう



整理できていない。言葉が、頭がカオスである。

とにかく、ひとつ言えるのは、500円ぐらいの価値はあったと思うが、まぁ、次の本だな整理の際には残らないだろうな、ということだ。なぜか。

救済になる、福音になるほどの感動はなかったことによる。 
なぜか。

自分の現実的な行動に、影響を与えられなそうだ、ということだ。


先日の、へとへとになりながら準備したプレゼンは、結果的に、よかったと褒められた。もちろん、反対意見や批判なんかもあった。ただ、今回としては成功だったといえる。

まぁそれはよかった。また今度、もう少し頑張ろうかと思った。


お金は、散財しているから、減ってきている。が、生活するには困っていない。

はたからみれば、いな、僕自身でさえ、幸せ絶頂最高ハッピーマグナムグレート究極人生生活ではないか、と、思う。


うそか?

いや、無駄な、修飾語は省いたとしても、よい方向に向かっている、とはいっていいだろう。

が、何でこう、精神力が減退するのか。




未来への信仰心



先が、ないのだ。


というのは、トラウマ的なものとか、難しいことはおいておいて、100年後を考えたとき、まっくらだ。当たり前だ、100年たつと、死んでいる。

何をくだらないことを、と、誰も理解してくれないから、もう言うことはないのだが、重要なことなのだ。

分かりやすく、10年後だとして、そのとき、僕は、どうなっていたら楽しく幸せに生きているのか。

まったく、イメージがつかない。
それは、夢があればいい。ミュージシャンになるとか、政治家になるとか、実現性がとぼしくても、こうなったら幸せだろうというイメージがあれば、例え直接的成功が厳しくても、代替欲求充足が可能だ。野球選手になれなければ、スポーツトレーナになるとか、子供を育てて夢をたくすとか。



まあ、10年後、というから、こんな例えだが、その次元で困ってるわけでもない。

50年後。死ぬとき。どうあれば、我が人生に悔い無し、といえるのか。


そういう意味だと、明日死んでも、特に、悔いはない。

なんだかんだ、平凡であり、悲劇的であり、ドラマチックであり、よい人生だったと思う、それは今でもだ。


満足しているのだ。


ただ、未来を問うたとき、僕は、なんだか不思議な、不快な気分に陥るのだ。




いますぐ死ねばいい



そんな感じでいっていくと、まぁかけられる言葉は、じゃあ死ねば、となる。もしくは、黙って友人たちが離れていくか。

貧しいひとたちには、呪いをかけられそうだ。

しかし、貧しいひとは幸いである。

それは、裕福になるという夢がもてるからだ。


いやいや、くだらないことを書いておけば、別に自分はそれほど裕福ではない。もっとお金持ちはたくさんいる、どころなさわぎじゃなくてたくさんだ。ただ、地球規模でいけば、僕はとても恵まれている。



この比較性の無意味さ。
政治ゲームという、他者の承認、評判を高めていく幸せゲームの無意味さ。

無意味というか、意味はあるのかもしれないが、僕は、どうも、価値が、見いだせない。

どっかの、15歳ぐらいのギャング集団が、仲間をリンチして殺した。
そんなくそったれな集団でも、集団内の承認を求めて政治ゲームが行われているのである。



めんどくさいやつ



うるさいな。わかってるよ。ちょっと高級な寿司を食べたり(一皿250円とかだ!)、お酒飲んだり、お風呂入ったり、ぐっすり寝たり。

それは、生理的に気持ちよいものだ。

でも、それを際限なく続けていくのが人生ってことでいいの?


もしくは、誰かから、すごいね、頑張ってるね、助かるよ、ありがとう! と、言われ続けるのが人生?


それはとてもとても幸せなことだ、楽しいことだ。


でも、だから、どうしたっていうのだ。




むむ、ここで時間切れか。

ここで終わってしまうと、本当にダメ人間になってしまうから、なにか、


なにか、前向きなこと書かなきゃ。


うぉー! なにも思い付かない。


うーむ、もしかして、あれか、何もしたくないことをしたい、ってことなんだろうか。


でも、今後の休日はつまっているし、再び仕事も帰りが遅い。

思いきって、先日のように、友人と会うのもやめさせてもらって、何もしない時間をつくったほうがいいなかもしれないな。

しかし、予定を解除すると、結局うだうだ、頭のいたさに耐えながら、昼過ぎまで惰眠をしつつ、夜は夜でなにするわけでもなく無駄な時間を過ごして……みたいになりそうで、怖い。それよりなら、誰彼と一緒に過ごした方がいいきがする。

まったく、失礼なこときわまりないやつだ。


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気付くと見慣れた天井であった
2016/09/12 00:24 | Comments(0) | イライラ対処
長距離を旅し、知らない土地で泊まって過ごすと、日常の喧騒を忘れられる。

本当にそうか、いや、時間を過ごすことだけに力を注ぐ。スマートホンでニュースを見たり、本を読んだり、勉強をしたりとかそんなことは無く、仲間との会話や寝床の確保など生きるための行動が主になる。

とても、よい時間の使い方だと思う。

そして、帰宅。
荷ほどきをし、気付くと、意識を失っていた。

夢の中

ある居酒屋で飲んでいると、自分のオーディオ(イヤホンの音漏れ、が現実的だが、流石夢だ、普通に自宅においてある据え置きスピーカーが自分の席の近くに置いてある)から、音がうるさいと、店員から伝えられた。聞くと、ある客から、苦情があったという。

僕は、隣の客を捕まえていった。「この程度の音で、そんな、苦情をいってくるなんて、心が狭いですよね。むしろ、クソおやじどもの甲高い笑い声とかの方がうるさいですよね。――あ、もしかしてあなた方もそう思ってました?」
隣の客は、「いや、そんなことないですよ」と応じてくれた。

そして、一言二言会話し、お互い楽しくなった僕らは、二軒目に一緒に行くことにした。その間での僕の言葉。

「で、さ。僕はいろいろ不満を言ってきたけど、でも、明るく生きるには必要なんですよ。いやだって、生きる、ということを前提にしたら、それは、幸せで楽しくあるべきじゃないですか」
酒のせいか、呂律がまわっていない。でも、相手も頷きながら聞いてくれている。
「でもね、僕は、その【生きる】ってことすら、前提に考えてはいないんです」
僕の言葉に、少しの間が生じる。
「でも僕は、生きるとしたら、こんな生活は、大きく変えてやろうと、思うんだ」

今の生活に不満があるのか

と、夢の話である。最後の言葉が、非常に、重要だった気がするが、忘れてしまって、なんとか、主旨だけ夢の記憶を掘り返してみた。
言葉自体は忘れてしまったが、「今の生活を変える」というニュアンスのことを言っていた気がする。その言葉が、まさに、「意識下」にあるときには出てこないようなことだったので、夢、無意識の言葉というのを書き留めておこうとおもったのだ。


いやぁ、疲れからか、ブルーマンデー症候群なのか分からないが、――というのは、テレビを置いていないから、曜日感覚があまりなく、平日と休日の境目があまり感じられなくなっている。だから、ブルーマンデー症候群、サザエさん症候群って奴の気分なのかは不明だ。ブルーマンデー症候群の治療は、テレビを置かない、見ないことなのかもしれない――帰宅後、非常に、消耗した気分になって、気付いたら眠りについていた。変な体勢で寝たせいで身体が痛いが……。


なんだろうか、書くことは、ある。
ゲームオブスローンズの4章を見終わって、やっぱりこの作品は面白くて、そのうちいくつかの名言・名場面(単純に自分が良かったと思ったところ)をメモしておこうと思いながら、書く時間がなく、時間が経ったら忘れてしまった。うーん、最近、メモをさぼっている。その、「感動」した瞬間においては、絶対記憶したと、忘れまいと思うのだが、見事に、忘れる。

「メモしないとすべて忘れてしまう」
ということを、よく記銘した方がいいかもしれない。

そういえば、小林泰三という方の、「記憶破断者」というのが、そういうモチーフの作品だった気がする。あれ、ちがったか、「アリスゲーム(?)」だったか、そう、ほら、もう混濁している。

で、そういうの、本当は、よく正しく知識している人に、教えこうて、覚えていく、もしくは想起するのだけれども、いまや、インターネットを使えば、すぐに手に入る情報である。

そう、にもかかわらず、「ジンモーニ」というカクテルは、意外やに、検索にヒットしない。

スプモーニという、カンパリ+トニックウォーター+グレープフルーツジュースというレシピがあり、その「カンパリ」の部分を、ジンにしたから、ジンモーニというのだろう。

たまに、ネットに載っていないローカルな情報があって、そういう情報をもっている人が、楽しい人、なのかもしれない。いやなに、その「情報」とは、「知識」としての情報である必要はなくて、結局、「経験」という、唯一無二の情報があれば、それだけで魅力的である。

このことに気づいたのは、まぁもう十代というより、二十代になってからな気もするが、うーん、いやそれが故に、「自分は経験がない」という劣等感にさいなまれていた、気もする、というよりも、その点は、今も思う。
というのは、ナンパで100人ぐらい成功させたとか(いやそれも記憶混濁。100人にこえをかけて、10人くらい成功だったとか、そういう話だったかも)、昔の車は壊れやすくて旅行中に壊れたのを直しながら進んだとか、そういった武勇伝的なものであったりしつつ、とにかく、そういうのは、その人だけの「情報」で、決してネットに落っこちてたりしない。(まぁ、SNSとかブログ、という情報媒体があって、それはそれでインターネットとして興味深いものである)

なんの話だ? ネットの功罪? そうではない。
小見出しに戻ると、「今の生活に不満があるのか」と書いてある。なるほど、そうだった。

無意識下の言葉

不満があるか、と言われたとき、意識下では「ない」と答える。不満など、ありえないのだ。
むしろ、「何をしたいのか分からない」状況であったとき、「どうあるべきか」というものがもちえないときに、不満などありはしない。

しかし、いざ、無意識の中に入り込んでみると、僕は、「不満」があるのである。


しかし、その不満とは、なんだ、というのは分からない。けれども、無意識の僕が、不満がある、というのであれば、分かった、それを尊重してやろう。


……としていたら、もう、12時か。早いものだ。

仕方がない、キーワードだけメモして、今日は寝るとしようか。

キーワード。(……ん、なんだ、何もでてこないぞ)


・ゲームオブスローンズ、第四章のドーン人のプリンス・オベリンのなんとかっこよかったことか、という点。
・実は、王殺しの黒幕があの人だったこと

・資格の勉強1か月ぐらい全くしていないこと。これは、後悔というよりも、なんとあっという間に時間が過ぎるのだろうという驚き。
・………


おや、やはり、何も、出てこなくなった。
うーん、やっぱり、今度から、先にキーワードを書いてから書き始めようか。上の「経験」の話とか、しだすと、もっとほかに書きたいことが出てくるのだけれども、それって、最初に書こうと思った話からズレていっている。

そして、この場所は、「居場所」であって「癒し」だから、好き勝手に書くことは問題ない、とはいえ、それでも、いつもいつも毎日毎日毎回毎回同じことばかり書いていては、面白くない。
それは、読者へ、という気持ちもあるかもしれないが、それ以上に、自分が読んだときに、いらだつことになるだろう(? いや、ならない気もする。あーこの時期は、余裕がなくて思考がどうどう巡りしていて、時間を無駄にしていたんだなぁ、とかしみじみ……)。


あ、とか書いていたら、一つ思い出した。さっきの夢の話しだ、そう、「時間のなさ」、歳をとったことによる、焦燥感的なものだ。

「今の自分を変えてやる」とかかっこいいこと(夢で)言っておいて、でも、もう30代なんだぜ? そろそろ、自分の決めた道を突っ走ってかっこいい渋い大人になってやろうぜ、とか、そんなこと、思った……んだっけ、ここら辺がよく分からない。時間が経つと、「創造の言葉と実感の言葉」の記事で書いたけれども、自分の言葉が「どれ?」なのか分からなくなる。

そう、さっきの「経験」の話のところでかこうと思ったのは、その「語る言葉」についてである。
つまり、もうキーワードだけ書けば、「いくら経験をしても、それを【正しく】語る言葉がなければ、それは【経験】として積み上げられないのだ」ということ。
そして、そのことは、「記憶」が非常に重要なファクターとなってきて……

阿頼耶識とは、記憶の貯蔵庫である、が、記憶こそが人格を唯一統制しているものである、という僕の前に書いたことと一致していて、「おぉ、そういう表現の仕方もあるのか、唯識派の人たちにシンパシー覚えるぜ」とか、そんなこと思ったとか、プレゼン、最初はよかったけど後半が微妙になってしまったとか、もう、そうだ、結構、いろんなことが、ここ数日にあった。

それらを、結局、「経験」として書き留められていないから、よく覚えていないのだ。
でも、短い記事は、後から読んだときに「いらっと」するのが目に見えている(これは実証済みですらある)ので、投稿するのに躊躇したりもして……。

うむむ、本当に、もう少し、頭を整理して、【素早く】書く、ということを身に着けた方がいいかもしれない。いやはや、タイピングの速度は必要十分なので、このことは、「インプットすべきことの整理の高速化」という表現になるのだろうが……。





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腹痛と自殺の原因
2016/09/08 21:08 | Comments(0) | イライラ対処
ものすごい腹痛が続く。
毎日、何かしら、お腹が痛くなっていたから、さほど気にしてなかったが、一時間以上続いていて、立ってるのも辛い。

病院は、、明日いこうか。どのみち、膝にできたしこりのため、病院に行こうとは思っていた、が、こりゃ皮膚科じゃなく消化器科がさきか。

うぐぐ……で、あれだ、自殺未遂者は五十三万だという。自殺遂行者は、三万きったが、潜在的にはそれほどいるのだと驚いた。

原因は、家庭問題、経済問題、健康問題とあるが。


このうち、絶望に近いのは、健康問題だけだ。


この、腹痛、に、耐えていると、ほんと、身体的な痛みは、言語を絶する。

なんて、こう、、思考とは、無意味な、ものなのか、と、痛感する、痛いだけにね、あはは。


この、痛み、は、共感、しづらいものだ、


やば、いしきを、うしないそう


とか、いいつつ、やっぱり、思考の野郎は、救急車よぶとか、途中駅でおりるのは、どうかとか、この期に及んで、いろいろ、提案するわけだが、


結局、何も、えらばない


というのは、それ自体、耐える、という、選択とも知らずに





追記

その後、消化器科の病院に行ってきた。
痛みが発生する場所を、触診でみてもらったら、「ああ、やっぱり胃ですね」といわれた。超音波検査とかして頂いたが、特段、異常はみられなかった、ということだ。(超音波検査の前は、べたべたした液体をぬられて、何だか面白かった!)
まぁ、まだお若いので、大丈夫だと思います。ただ、正確なことについては、内視鏡とかやってみなければ分かりません。とりあえず、胃酸過多が疑われるので、ガスター系(ファモチジン)を処方頂いた。


追記その2
病院に行った安心感からか、壮絶な痛みが発生することはなくなった。
ストレス、もあったのだろうか。取りあえず、夜寝る直前にものを食べるのは、胃に負担をかけるから、やめた方がいいだろう。朝が結構いたいんだよな。

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