大した問題もないのに、きぶんが塞ぎ混んでいる。
毎日深夜帰宅のせいか、最近時おり入る土日出勤のせいか。明日も知人との約束があるが、気乗りがしなくなってきた。
こんなこと書いてるblogなんてあるだろうか、恐らく無駄だからないだろう、ただそれより、こんなに気分が滅入ってくると、おそらく、書くことすらできないはずだ。
この説明によると、まだ書いたり話せたりしてるうちは余裕ってことか。
むしろ、書くことによる不満や焦燥や、気力のナサが助長されているのか、まあまあ、そんな分析はあとでいい。とりあえず、現在の気分を、正確に記述しておくべきだ。
とりあえず、久々にゲームセンターにでも行ってみるか。
何か、気分がかわるかもしれない。
のみにけーしょん、友人や女の子達との遊び、それらは気分が変わるも知れないが、疲れていると、それら自体が、とてつもなくエネルギー消費となる。
メール等のやりとりもそうだ。
いや、作品の感想のやりとりとかは楽しい。何が違うのか。
それは、現実世界との接点だろう。それは、現実的な他者の忌避なのか、というよりも、もうお腹一杯といった感じだ。
といった心境で本屋をまわっていると、あらやしきの発見という本をみつけて読んでみる。
あらやしき、とは、そういえば、空の境界という那須きのこの作品で、根元に到達しようとする魔術師として出てきたなぁとか。
あらやしきは、記憶の貯蔵庫であるという。
フロイトとかの、無意識とは違う、と強調されていたが、僕は、深層心理みたいなものなのかな、と思ったりした。
よい行為も悪い行為も関係なく、沈殿していくのだという。
いやぁ、しかし、そういう、面白い作品にたどりつくまでが、結構大変なんだよね。そういう意味で、同じ趣味、というか、同じ感覚を共有した人との付き合いは大事。
いい作品とか、いい経験とか教えてくれるからね。
ところで、足のしこりが、やはり治らない痛いな。鼻血も突然でるし。
そうそう、もう一つ、他依起という考え方で、自分を小さくしていくことが、世界を大きくすることだ、といったこと。僕の表現になるとつまんなくなるから、ちゃんと読んだ方がいいがまぁ、自己に執着するのが、やはりよくないことだな、と思わせてくれた。
何故生きてるのか、生きているから生きているのだ、と、どうご反復を自信をもっていいなさいということだった。
で、アマゾンレビューでは、私のような凡夫には、そのような境地は説教臭くてかなわん、別の人の本の、科学でも宗教でも、死後の世界などわからないという言葉の方が響いた、という
その感想もまた面白かった。
俺が最近ダメなのは、記憶力の低下だろう、そしてそれは、認識力の低下であり、興味の低下だ。
例えば、ゼロの概念と、無との違いは重要だが、シューニャと、空のことをサンスクリット語で記憶していても、結局概念きおくとしては同じである。
概念記憶、本当は、ジンと、グレープフルーツジュースと、トニックウォーターを混ぜたカクテルを、ジンモーニという、とそれを覚えていても、精々、居酒屋やバーでメニューを見たときに、味を思い出しやすいぐらいにしかやくにたたない。ああもちろん、自分でつくるときにも役に立つ。
ただ、逆に、ジンモーニの単語が分からなくても、ジンとグレープフルーツとトニックと、と、それだけ覚えていれば飲みたい味はつくりだせる。
概念記憶とは、固有名詞とは違って、例えば、違うとか、例えばとか、思考とか、目的とか。
概念記憶の多さというか、種類で、人間の個性がつくられているのかな。
あらやしき、ってのも、その、蓄積された記憶を概念化している役目、はたらきをしているのなら、まさにそれが、人そのものといえるのかもしれない。
と、先の本を15分くらいしか読めていないから、取り合えず購入して、ちゃんと読んでみようかな。
毎日深夜帰宅のせいか、最近時おり入る土日出勤のせいか。明日も知人との約束があるが、気乗りがしなくなってきた。
こんなこと書いてるblogなんてあるだろうか、恐らく無駄だからないだろう、ただそれより、こんなに気分が滅入ってくると、おそらく、書くことすらできないはずだ。
この説明によると、まだ書いたり話せたりしてるうちは余裕ってことか。
むしろ、書くことによる不満や焦燥や、気力のナサが助長されているのか、まあまあ、そんな分析はあとでいい。とりあえず、現在の気分を、正確に記述しておくべきだ。
とりあえず、久々にゲームセンターにでも行ってみるか。
何か、気分がかわるかもしれない。
のみにけーしょん、友人や女の子達との遊び、それらは気分が変わるも知れないが、疲れていると、それら自体が、とてつもなくエネルギー消費となる。
メール等のやりとりもそうだ。
いや、作品の感想のやりとりとかは楽しい。何が違うのか。
それは、現実世界との接点だろう。それは、現実的な他者の忌避なのか、というよりも、もうお腹一杯といった感じだ。
あらやしき
といった心境で本屋をまわっていると、あらやしきの発見という本をみつけて読んでみる。
あらやしき、とは、そういえば、空の境界という那須きのこの作品で、根元に到達しようとする魔術師として出てきたなぁとか。
あらやしきは、記憶の貯蔵庫であるという。
フロイトとかの、無意識とは違う、と強調されていたが、僕は、深層心理みたいなものなのかな、と思ったりした。
よい行為も悪い行為も関係なく、沈殿していくのだという。
いやぁ、しかし、そういう、面白い作品にたどりつくまでが、結構大変なんだよね。そういう意味で、同じ趣味、というか、同じ感覚を共有した人との付き合いは大事。
いい作品とか、いい経験とか教えてくれるからね。
ところで、足のしこりが、やはり治らない痛いな。鼻血も突然でるし。
そうそう、もう一つ、他依起という考え方で、自分を小さくしていくことが、世界を大きくすることだ、といったこと。僕の表現になるとつまんなくなるから、ちゃんと読んだ方がいいがまぁ、自己に執着するのが、やはりよくないことだな、と思わせてくれた。
何故生きてるのか、生きているから生きているのだ、と、どうご反復を自信をもっていいなさいということだった。
で、アマゾンレビューでは、私のような凡夫には、そのような境地は説教臭くてかなわん、別の人の本の、科学でも宗教でも、死後の世界などわからないという言葉の方が響いた、という
その感想もまた面白かった。
固有名詞の必要性
俺が最近ダメなのは、記憶力の低下だろう、そしてそれは、認識力の低下であり、興味の低下だ。
例えば、ゼロの概念と、無との違いは重要だが、シューニャと、空のことをサンスクリット語で記憶していても、結局概念きおくとしては同じである。
概念記憶、本当は、ジンと、グレープフルーツジュースと、トニックウォーターを混ぜたカクテルを、ジンモーニという、とそれを覚えていても、精々、居酒屋やバーでメニューを見たときに、味を思い出しやすいぐらいにしかやくにたたない。ああもちろん、自分でつくるときにも役に立つ。
ただ、逆に、ジンモーニの単語が分からなくても、ジンとグレープフルーツとトニックと、と、それだけ覚えていれば飲みたい味はつくりだせる。
概念記憶とは、固有名詞とは違って、例えば、違うとか、例えばとか、思考とか、目的とか。
概念記憶の多さというか、種類で、人間の個性がつくられているのかな。
あらやしき、ってのも、その、蓄積された記憶を概念化している役目、はたらきをしているのなら、まさにそれが、人そのものといえるのかもしれない。
と、先の本を15分くらいしか読めていないから、取り合えず購入して、ちゃんと読んでみようかな。
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