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極端な選択の提示による調整
2011/02/09 22:04 | Comments(0) | TrackBack() | 思考及び書くこと
毎日22時近くまでサービス残業し、もう帰るのかと言われると大変であるが、家が隣であれば大したことないだろう。

一時間の片道は思考整理にあてられるが、食事はとりたいところだ。

不愉快なのは能力のなさであり、その問題がすべての行動を制限する。時期的なものもあり、ここで相当ハードと言いたいが、新規事業や転職をしたとすればこの程度だろう。陰湿なイジメがないのでとても幸せである。


というのが先日述べた比較思考であるが、これは単に不快感情を増幅するだけであるが、まさにそれこそが目的であったりする。


中途半端な不快ならば変換処理するし、それで処理オチするならば、最大限増幅するだけだ。

イライラはピークに、それは増幅過程であれば、他者に感じ取られる。ピークまで一気にかけのぼらせるのが肝要だ。
その際取り返しのつかない、自殺や暴行…否、自傷も含めた損害は中途半端であるので、やるとしたら自らの息の根を完全に止める必要がある。

この目標提示により、現状がまだ余裕であると判断できる。




思うに、エジプトで死んだ民衆よりは余裕である。

結局のところ、努力は結果でしか判断のされようがない。
通常思考の中で、人は自分が絶対と認識する。ゆえに比較思考が重要なのだ。

風邪をひいたのに頑張った、それはむしろ風邪をひいたミスが問題視されるだけである。
癌にでもならなければ心配はされない。それに癌も治る医療技術のおかげで大したことがない。


繰り返すが努力に意味はない。自分で頑張ったと思ったならば末期である。確実に明るさを失っていく。

明るくあるならば絶対に努力してはならない。


頑張ることが目的なのか考えてみればよい。自傷して悦に入るオナニー猿に過ぎない。
努力した成果と、楽した成果を比較したとき、努力した成果を認めたがるのが人である。私もそうするだろう、ところが、その苦楽の評価を誰がするのかが問題なのである。


そういうわけで、電車で座るようになった自分にがっかりするだけなのだ。

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