まえがき
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版 単行本 – 2019/7/12この本、アマゾンじゃなくて、書店で見つけて立ち読みして、そのまま買ったんだった気がする。その購入した本屋さんはもう、つぶれてなくなったんじゃなかったかなぁ。それとも、別のところで買ったんだっけ。別の所だとしたら、仕事帰りに、何か用事……出張だっけ、そこで買ったんだっけかな。記憶はあいまいで、確かめる方法もなく、確かめる必要もなく。
いずれ死ぬということ
この本を読んでから、あんまり、「生きる意味」について考えなくなっていったような気がする。死ぬということについて、非常に論理的に考察されている気がする。これを哲学というのであれば、哲学は非常に役に立つ学問だと思う。
あまりにもよくまとめられていて、考え抜かれていて、そもそも、自分の書くとか、考えるということをやめたくなるほどだ。
この本に書いていることをしっかり記憶できれば、それで十分なんじゃないかと思わされる。
■ □ ■ □
例えば、死は本当に悪いものなのか? といった問い。
一般的に、死ぬのは悪いことだとされる。生きること、命は価値があることだとされる。
でも、死の何が悪いのか。それは、「剥奪されるからだ」という。
生きていれば、良いもの得られる、感じられるが、死ぬと得られなくなる。奪われるということだ。だから死ぬのは悪いことだという。
なるほど、そんな気がする。
でも、「生きていればよいもの」とは何か。
そうやって問いが続いていく。
死ぬのは救いでもある
確かに、想定していたよりも早く死ぬのは、悪いことだ。明日、美味しい焼き肉を食べにいく予定だったのに、途中事故で死んでしまったら、明日得られるはずだった「食欲」が満たされなくなったので、悪いことだ。
でも、容易に想像できるのは、不治の病といったもの。
苦しみしか残りの人生、ないとしたらどうだろう。
それでも、生きる意味というのはあるのだろうか。
人間とは何か 実存的精神療法 単行本 – 2011/5/6
フランクル先生であれば、「どんなときも、生きる意味がある」と言ってくれそうな気がする。
それは、イェール大学のシェリー先生(前述「死とは何か」の著者)のいうところの「価値ある器説」といえる気がする。
生きてるだけで僕らは価値があるから、どんな苦しみの状況に置かれても、人生のトータルにおいて、マイナスになることはない、ということなのだ。
目指すところかもしれないが
素晴らしい考えに思うが、中々、凡人には難しい気がする。痛みや、苦しみしか残されていない人生に、価値があるとは思えない。もちろん、自分が生きていて、喜んでくれる人がいる場合や、逆に死ぬと哀しませてしまう人がいる場合は想像できる。
でも、哲学的にというのか分からないが、論理的に考えてみると、まぁ、そんな人がいない場合も想像できる。
誰からも必要とされていなく、自分自身は苦しいだけ。
まぁ、死んだ方がいい気がしてくる。
そう考えると、一概に「死」が悪いものだとは思えない、というわけになる。
未来が描けない
寿命も分からなければ、自分の人生の絶頂期というのも分からない。これからどんどん成長し、発展していく人生でなければ意味がないか、というと、そういうわけでもないと思う。
仮に、どんどんこれから人生が悪いものになっていくとしても、その悪くなっていくのが、とてもとても緩やかだったらどうだろうか。
別にそんなに悪いことじゃない気がする。
どっちにしても(よくなるのであろうが、悪くなるのであろうが)、それは自分ではわからない。
■
あと、これは、僕は前から提唱していたことではあるが、「人と比べても無意味である」ということは、20代ぐらいからの思いから、特に変わっていない。
自分が幸せだなら、それでいいのだ。
どんだけ悲惨そうにみえても、その人自身が幸せだと自分で思えたらそれで幸せなのである。
■
でも幸せって何だろうか?
やっぱり、人と比べないと、幸せは感じられないものなのかもしれない。
単純な、性欲、食欲、睡眠欲といった、生理的な欲求だけで、「幸せ」と感じられる人間はあまりいない。
人間が「複雑」なゆえんだ。
人はなぜ複雑なのか
実は、生物的な罠である気がする。キルケゴール氏が、「不安の概念」で述べているのは、「自由」があると不安になるということだそうだが、自由があってもなくても、人間は不安にかられる生き物なのかもしれない。
何か「工夫」をして、ホモサピエンスは生物界で生き残ってきた。
狩猟採集ではなく、農耕や畜産をして、食料を産み出すというのは、やはり人間の優れたところだ。
でも自然に対しては無力だ……といいつつも、天気予報したり、暦をつくったり、自然を克服するために努力を重ねてきた。人間すごい。
それらは、
「何かしなきゃ」
という不安が原動力なのかもしれない。何か新しいことをして、改善し続けるところが、人間の本能的にインプットされたことなのかもしれない。
成熟社会
でも果たして、成長し続けることは可能なのか。人類はいずれ、滅びる。これは人類だけじゃなくて、地球上の生き物は全部滅びるらしい。
3億年後だっけ? なんか動画見た。なんか気温がどんどん上がっていって灼熱の星になるらしい。最後は超新星爆発するのかな。
5億年ボタンって思考実験の動画あるけど、そもそも5億年も生物は存在してないのだ。
「価値」というのは無限かもしれない。
でも、物理的資源は、有限だ。
だから、いつまでも、どこまでも成長し続けるということは難しいことなのだろう。
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今日の一言「久しぶりのブログ」
このブログは、何か結節点としてのタイミングにおいて書くことが多かった。もちろん、ただ15分だけとか、書くことそれ自体を目的にするときもあったから、全部が全部そうではない。
例えば今日、外出する用事のついてでに、鰻を食べに行ったということがあったとしても、さほど大きな自体ではない。書いて残しておくほどのことでもないが、ただ、タイミングが今日であったというだけである。つまるところ、今日という日が何か特別というわけではない。
たまたま、時間ができた、それだけだ。
おっさん、おじさん、……少なくても、お兄さんとはもう呼べないような存在だ。
しかし、精神的には、何か、どこかで、大きな変化があったかどうかよく分からない。
あったことは、進学とか、就職とか、結婚とか、離婚とか、そういうライフイベントによる環境の変化だ。
劇的な変化ということはなくて、徐々に、変わっていくようなものだと思う。
劇的に変わることは危険なので当たり前だ。ホメオスタシス、恒常性を維持しつつ、環境に適応していくように、人間というか生物はできているのだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=d0Q4LpUV7jk
興味があることは、今時点で独身であるということは、ボク自身の感覚がよく分かるので、どうでもよい。
気になることは、その後、40代、50代、60代、70代、80代、90代となっていったときに、どういったリスクがあるのかということである。
そのリスクを知った上で、生涯独身でよいと、覚悟をもって自分で思っているのか、どうか。
覚悟。
それが一番大事だ。
あと、リスクというのは、所詮は、「起こるかもしれない」ということでしかない。おこるかどうかは分からない。
何があるか分からない。首都直下大地震(南海トラフ?)か何かがやってきて、たまたまブロック塀のそばにいて押し倒されて死ぬかもしれない。
仮に明日死ぬとしても、満足して1日を過ごせたかどうか……。
もちろん、すべてのリソースを1日で使い尽くすというのはあまりにも人間として愚かなので、明日や、未来についてのリソースは残しておいた方が良い。
それでもなお、明日や未来というために、「今」この瞬間を無駄にしたり我慢したりするのは、できるだけない方が良い。
リスクというのは、今にどれほどリソースを使うかという「判断」でしかなく、真理でもなんでもないのだ。この点をよく分かっておく必要がある。
(仕事とかしていると、リスクの話ばかり大きくなるので、「何を成すのか」ということを考えられなくなる場合がある。これは本末転倒だ)
でも、めちゃくちゃ関係がある。
言葉に、どの程度、意味を持たせるか。どんな立場の人がどんなことをいうのか、というのは関係ある。
上の動画で、色んな意見があるけれども、正直……うーん、ぴんとくるものはなかった。欲しい情報がなかった。もっとちゃんとバックグラウンドを持ったうえで知りたいと思った。
例えばボクは、今独身だけれども、結婚という生活をしている。結婚後、離婚をしている。
離婚した後に、別の方と同棲する生活もさせて頂いた。
そのうえで、今は独身で、一人暮らしである。
正社員の仕事はある。両親は健在である。
こういった状況において、自分は独身である。
この状況に置いて、独身であるということについて、まったく不自由していないというか、不幸せだと思ったり、「寂しい」と思ったりすることは「ない」。
むしろ、今までのライフイベント、生活を振り返ってみても、一番「楽しい」「幸せである」といえている。
ただ、上の動画の、独身の方々の意見は、どちらかというと、「結婚したかったな」とか「結婚した方がよいと思う」というものであった。
やっぱり、最近においても、そういう風潮が強いのだなと思った。
あと、ボクの場合は、一度結婚することができたので、結婚生活というものの経験があるというのは、これは完全にアドバンテージだと思っている。
けれども、だからこそ、ボクは「結婚したい」と思っていた。「やってみなければわからない」(こともある)というのは事実だ。
なにせ、人は一人ずつみんな違う。考え方も感じ方も。
結婚したことが滅茶苦茶幸せな人もいれば、そうじゃない人もいる。
じゃあ自分は?
どっちなのか?
それは、やってみなきゃ分からないのである。
だから、悩んだり苦しんだりしつつ、それなりに努力して(大した努力ではないのだろうが)、結婚できた。
で結局離婚したわけだ。
離婚した当時は、落ち込んだ。それはもう凹みまくった。探せば当時の記事も出てくるだろう。
それはそうだ。離婚するということ自体は、想定していなかったのだ。「結婚はしてみないと分からない」という自分の意思で決めたわけだが、離婚は選択肢の一つでしかなかったので、覚悟も何もなかった。だから狼狽した。
何故狼狽するのか。覚悟がないからだ。覚悟ないとなぜ狼狽するのか、それは、どうなるか分からないからだ。分からないことは、怖い。
でも、実際、離婚した後、一人の生活が長くなるにつれて、「あれ……やっぱり、こっちの生活の方が楽しいな……」って思い始めた。
感謝というのは違うのだろうが、僕なんかを相手にしてくれた方にはとても感謝している。そして、こんなボクの性質を分かったことによって離婚した方がよいのだと思ったのだろう。今では離婚を切り出してくれてよかったとすら思う。ありがたい。
そういう人間もいるということは、まぁ、こんな薄暗い辺境界隈のブログ1記事で誰も見てないだろうが、まぁ、いるんだということは誰かに知ってもらえたら、有益だと思う。
婚活支援とか、子ども支援する役所とかの人にはショッキングな話かもしれないが、でも、結婚する人を増やすという方向は、何か行政的な方法でどうこうできる問題じゃない気がする。子育てにお金が必要だから、お金を投資するというのは悪いことだとは思わないが、結婚数を増やすというのは、どうなんだろうか。
まぁ、結婚したい人も割といるようだというのが、上の動画みて感じたことだ。
間違いないようにかいておけば、結婚は結婚で、素晴らしいことだと思う。
やっぱり、男と女は、生物的に、つながりあうようにインプットされているのは間違いないと思う。
この点は、間違いないと思うんだよな。
だから、結婚しないという選択肢は、(若いころの)ボクの中で、非常に恐ろしいものだった。
上の動画で描かれているような、独身でいることの寂しさとか恐怖とか、そういうものがいずれやってくるのだろうと思った。(もちろん「モテない」とか「彼女ができない」ということ自体にすごく劣等感があったというのもある)
でもだからこそ、そんなこと気にしなくても、「自分がどうしたいか」を一番に感じ取って、それをもとに行動した方が良い、これを言いたいのである。
もちろん未来のことは全く分からないが、少なくても、主体的に何か、お見合いパーティーとか婚活するとかは、することはないだろうと思う。
(それも分からない。50歳になって、ものすごく焦って何かするかもしれない。その時は、今回のこの記事を読んで、「的が外れたな……」と思うのだろう)
ただ、それは、50歳になって「したいこと」になったのだから、すればいいと思う。
少なくても、今の僕の「したいこと」ではない。だからしない、ただそれだけ。
ようやく、人生を、自分の人生だと思えるようになった気がする。
もちろん何があるか分からない。
避けられないライフイベントはまだたくさんある。
両親の死。退職。大災害。そして、自分の死。
さてそのとき、僕は何を思って、どう行動するのか。分からない、何も分からない。
ただ「覚悟」はしておいた方が良い。
「今」を楽しく生きるためのリソースを使い切らないぐらいに、未来に投資をしておいた方が良い。
実際「今」があるのも、過去の僕の未来への投資のおかげなのだ。
就職したことも、仕事である程度信頼を得たことも、恋愛経験をしたことも、結婚したことも、過去の僕が選んで行動した結果があってこそなのだ。
過去の自分、ありがとう。大変だったな。おかげで、今は、まぁそこそこ大変なこともあるが、正直、過去のお前ほどの苦労はないわ……。
まえがき
今年、2本目のブログになるのか。このブログは、何か結節点としてのタイミングにおいて書くことが多かった。もちろん、ただ15分だけとか、書くことそれ自体を目的にするときもあったから、全部が全部そうではない。
例えば今日、外出する用事のついてでに、鰻を食べに行ったということがあったとしても、さほど大きな自体ではない。書いて残しておくほどのことでもないが、ただ、タイミングが今日であったというだけである。つまるところ、今日という日が何か特別というわけではない。
たまたま、時間ができた、それだけだ。
変化すること
自分は独身の30代である。もうすぐ40代になる。おっさん、おじさん、……少なくても、お兄さんとはもう呼べないような存在だ。
しかし、精神的には、何か、どこかで、大きな変化があったかどうかよく分からない。
あったことは、進学とか、就職とか、結婚とか、離婚とか、そういうライフイベントによる環境の変化だ。
劇的な変化ということはなくて、徐々に、変わっていくようなものだと思う。
劇的に変わることは危険なので当たり前だ。ホメオスタシス、恒常性を維持しつつ、環境に適応していくように、人間というか生物はできているのだろう。
リスクとは何か
たまたま、以下の動画が目に留まった。https://www.youtube.com/watch?v=d0Q4LpUV7jk
興味があることは、今時点で独身であるということは、ボク自身の感覚がよく分かるので、どうでもよい。
気になることは、その後、40代、50代、60代、70代、80代、90代となっていったときに、どういったリスクがあるのかということである。
そのリスクを知った上で、生涯独身でよいと、覚悟をもって自分で思っているのか、どうか。
覚悟。
それが一番大事だ。
あと、リスクというのは、所詮は、「起こるかもしれない」ということでしかない。おこるかどうかは分からない。
何があるか分からない。首都直下大地震(南海トラフ?)か何かがやってきて、たまたまブロック塀のそばにいて押し倒されて死ぬかもしれない。
仮に明日死ぬとしても、満足して1日を過ごせたかどうか……。
もちろん、すべてのリソースを1日で使い尽くすというのはあまりにも人間として愚かなので、明日や、未来についてのリソースは残しておいた方が良い。
それでもなお、明日や未来というために、「今」この瞬間を無駄にしたり我慢したりするのは、できるだけない方が良い。
リスクというのは、今にどれほどリソースを使うかという「判断」でしかなく、真理でもなんでもないのだ。この点をよく分かっておく必要がある。
(仕事とかしていると、リスクの話ばかり大きくなるので、「何を成すのか」ということを考えられなくなる場合がある。これは本末転倒だ)
生涯独身でいること
上に書いたリスクのこととか、目的とかのことは、今回の記事において全く意味をなさないと読者は思うかもしれない。自分を含めた未来の読者。でも、めちゃくちゃ関係がある。
言葉に、どの程度、意味を持たせるか。どんな立場の人がどんなことをいうのか、というのは関係ある。
上の動画で、色んな意見があるけれども、正直……うーん、ぴんとくるものはなかった。欲しい情報がなかった。もっとちゃんとバックグラウンドを持ったうえで知りたいと思った。
例えばボクは、今独身だけれども、結婚という生活をしている。結婚後、離婚をしている。
離婚した後に、別の方と同棲する生活もさせて頂いた。
そのうえで、今は独身で、一人暮らしである。
正社員の仕事はある。両親は健在である。
こういった状況において、自分は独身である。
この状況に置いて、独身であるということについて、まったく不自由していないというか、不幸せだと思ったり、「寂しい」と思ったりすることは「ない」。
むしろ、今までのライフイベント、生活を振り返ってみても、一番「楽しい」「幸せである」といえている。
ただ、上の動画の、独身の方々の意見は、どちらかというと、「結婚したかったな」とか「結婚した方がよいと思う」というものであった。
やっぱり、最近においても、そういう風潮が強いのだなと思った。
あと、ボクの場合は、一度結婚することができたので、結婚生活というものの経験があるというのは、これは完全にアドバンテージだと思っている。
経験というアドバンテージ
こんなこと書くと、所詮結婚出来た奴は、生涯独身の奴の気持ちなんて分からないよ、なんて、敵視されてしまうだろう。それは仕方がない。ボクが逆の立場でもそう思っただろう。けれども、だからこそ、ボクは「結婚したい」と思っていた。「やってみなければわからない」(こともある)というのは事実だ。
なにせ、人は一人ずつみんな違う。考え方も感じ方も。
結婚したことが滅茶苦茶幸せな人もいれば、そうじゃない人もいる。
じゃあ自分は?
どっちなのか?
それは、やってみなきゃ分からないのである。
だから、悩んだり苦しんだりしつつ、それなりに努力して(大した努力ではないのだろうが)、結婚できた。
で結局離婚したわけだ。
離婚した当時は、落ち込んだ。それはもう凹みまくった。探せば当時の記事も出てくるだろう。
それはそうだ。離婚するということ自体は、想定していなかったのだ。「結婚はしてみないと分からない」という自分の意思で決めたわけだが、離婚は選択肢の一つでしかなかったので、覚悟も何もなかった。だから狼狽した。
何故狼狽するのか。覚悟がないからだ。覚悟ないとなぜ狼狽するのか、それは、どうなるか分からないからだ。分からないことは、怖い。
でも、実際、離婚した後、一人の生活が長くなるにつれて、「あれ……やっぱり、こっちの生活の方が楽しいな……」って思い始めた。
感謝というのは違うのだろうが、僕なんかを相手にしてくれた方にはとても感謝している。そして、こんなボクの性質を分かったことによって離婚した方がよいのだと思ったのだろう。今では離婚を切り出してくれてよかったとすら思う。ありがたい。
未来も同じことを思えるのか
というわけで、申し訳ないが、僕は、独身生活を楽しんでいる。特に問題を感じていない。そういう人間もいるということは、まぁ、こんな薄暗い辺境界隈のブログ1記事で誰も見てないだろうが、まぁ、いるんだということは誰かに知ってもらえたら、有益だと思う。
婚活支援とか、子ども支援する役所とかの人にはショッキングな話かもしれないが、でも、結婚する人を増やすという方向は、何か行政的な方法でどうこうできる問題じゃない気がする。子育てにお金が必要だから、お金を投資するというのは悪いことだとは思わないが、結婚数を増やすというのは、どうなんだろうか。
まぁ、結婚したい人も割といるようだというのが、上の動画みて感じたことだ。
間違いないようにかいておけば、結婚は結婚で、素晴らしいことだと思う。
やっぱり、男と女は、生物的に、つながりあうようにインプットされているのは間違いないと思う。
この点は、間違いないと思うんだよな。
だから、結婚しないという選択肢は、(若いころの)ボクの中で、非常に恐ろしいものだった。
上の動画で描かれているような、独身でいることの寂しさとか恐怖とか、そういうものがいずれやってくるのだろうと思った。(もちろん「モテない」とか「彼女ができない」ということ自体にすごく劣等感があったというのもある)
でもだからこそ、そんなこと気にしなくても、「自分がどうしたいか」を一番に感じ取って、それをもとに行動した方が良い、これを言いたいのである。
未来は寂しいのだろうか
まず、もう、結婚することはないだろうと思う。もちろん未来のことは全く分からないが、少なくても、主体的に何か、お見合いパーティーとか婚活するとかは、することはないだろうと思う。
(それも分からない。50歳になって、ものすごく焦って何かするかもしれない。その時は、今回のこの記事を読んで、「的が外れたな……」と思うのだろう)
ただ、それは、50歳になって「したいこと」になったのだから、すればいいと思う。
少なくても、今の僕の「したいこと」ではない。だからしない、ただそれだけ。
ようやく、人生を、自分の人生だと思えるようになった気がする。
もちろん何があるか分からない。
避けられないライフイベントはまだたくさんある。
両親の死。退職。大災害。そして、自分の死。
さてそのとき、僕は何を思って、どう行動するのか。分からない、何も分からない。
ただ「覚悟」はしておいた方が良い。
「今」を楽しく生きるためのリソースを使い切らないぐらいに、未来に投資をしておいた方が良い。
実際「今」があるのも、過去の僕の未来への投資のおかげなのだ。
就職したことも、仕事である程度信頼を得たことも、恋愛経験をしたことも、結婚したことも、過去の僕が選んで行動した結果があってこそなのだ。
過去の自分、ありがとう。大変だったな。おかげで、今は、まぁそこそこ大変なこともあるが、正直、過去のお前ほどの苦労はないわ……。
あとがき
(かっこ書きである。今回ほど、過去の経験などを具体的にかいたことはなかったけれども、まぁもう何年も経っているからよいかなと思った。離婚した後、しばらくして、今と同じような感覚(一人暮らし悪くない)と思い始めていた。でも、それは一時的な感覚なのではないかという不安や、自分自身を無理やり納得させようとしているのではないかという不安もあった。だから、明言はしていなかった。でも、ここ何年も経って、やっぱり、一人暮らしは悪くないし、満足できている。個人的に向いている性質の人間だったんだと思う。だから、70億の人類みんなそうではないだろうし、まだまだ少数派なのかもしれない。でも、同じように一人暮らししている若い人たちは、そういう感覚になる30代後半の人間もいるということを知っても良いと思う。ただ、それに安心してもらうということではなくて、やっぱり「経験」は代えがたいアドバンテージであると思う。老害とか、古典とかということかもしれないが、今は嫌われるという「若い内の苦労は買ってでもしろ」というのは、「苦労」というのは違うと思うが、「経験」はいっぱいするにこしたことがないと思うから、僕は上の「若い内の……」という格言的な奴は、否定できないでいる。なんで否定する人がいるかも理解できない。「苦労」という言葉がダメなんだろうとは思うけれども、格言的なのは、ある程度センセーショナルであってもよいと思う)
今日の一言「謹賀新年」
1か月1つという目標は、無理やり達成。全く意識してなかったし、全く書いてない月もあったけれども。
昨日は、隣人が友人を招いたのか、深夜どんちゃん騒ぎしててよく眠れなかった。
まぁ、新年だし、今日ぐらいは許そうかという少し寛大な心になれた。
昔だったら壁ドンとか管理会社に苦情してたりしてたかもしれない。まぁでも、毎日続くようなら流石に苦情言うけどね。
面白かったなー。
男と女って、女の方が原型だって話をされてて、確かに! って思った。
男って、「生き甲斐」とか「自己犠牲」が遺伝子に刷り込まれてて、女が生きやすいように戦争とかするための決戦兵器ということだ。
他種族を滅ぼすために作られた存在ということ。
女は健気に家庭を守っている……という体裁にありながら、まぁでもよく考えたら、危険な戦いや狩りに行く男の方が死にやすいよね。生物的な価値を、「生存」とおくのであれば、男の方が不合理な役割を課せられている。
一方で、男は男で、それを「男らしい」というか、価値だと思っていて、か弱い女性を守ることを逆に生きがいとか、幸せに感じる、と。
上に書いたことは完全な引用じゃないから、主旨を誤解しているかもしれないが、少なくても、1.5~2倍速で見てたらそんな感じでは理解した。30分の動画も15分で見れるから動画ってほんといいと思う。
曲とかじゃないと、人の会話って、1.5~2倍で聞けるんだよなぁ。
別に、自分の頭の回転が速いとか言いたいわけじゃなくて、たいていみんなそうだと思う。ただ、これも岡田氏が別の動画とかで言ってたと思うのだけど、頭の回転のギアを落とした方が、「トルクが強い」コミュニケーションがとれるということだ。トルクがあるというのは、動かす力が強いということ。回転数をあげると速度は速くなるが、トルクは弱まる。高速な思考というのがもてはやされるけれども、ゆっくりで、でも、相手の気持ちを汲むのも大事というのが、「サイコパスおじさん」とか自分で言っておいて、んー、なるほど、人の気持ちもちゃんと「理解」はできる人なんだなぁと思わされる。頭のイイひとだなぁとは思った。
いやもちろん、体育会系でも良い人いっぱいいるし、そういう友達もいたけどね。
でも、やっぱり理屈っぽいひと、の方が好きだと思う。
かといって、ボクが理屈っぽいかというとそうではなくて。だいぶ感情よりだとは思う。
というかなんか思うに、「男らしさ」「女らしさ」でいうと、ボクは女性に近いと思うんだよな。
いや、気持ち悪いこと言ってるのは分かっている(かっこわらい)。
数年前から、もう、このブログに置いてあまり書けないことがなくなったが、さすがに気持ち悪いと思って書いてこなかったけれども、まぁ割と前から思っていた。
俺は、男っぽくはない。
そんな風な状況で、上の岡田氏の動画において男って決戦兵器なんだよな、という説明がしっくりきた。
つまり、男という生き方は不合理であるということだ。生物的にはね、という。
別に、男に生まれたから不幸せとか、自己犠牲しなきゃいけないとかじゃないし、ただ、そういう傾向があるという知識というか、考え方は面白いと思うよ。
あ、というか、この小見出しって、岡田氏のこと嫌いな人もいるんだろうな、ということを書きたかった。
なんか、ネットやってると、「批判」ってのがすごく目立つ。
本とか読んで、「おーすごい」って思ったことも、ネットで調べるとたくさん反論あったりして。
んで、その反論もなんか「わかる」って思ったりすると、何信じていいの? って気持ちになって、何かやる気が落ちるという現象、なんか分かる人いないかしら。
イイ女(男)がいて、それを自分も買えると思うから訳が分からなくなる。もちろん、円としてのお金で買えるものではないのは誰もが分かってると思うが、「自分磨き」とか、容姿とか先天的なものも含めて、自分の能力をあげることによって、イイ女(男)をゲットできると、そういうことを考える人はわりといると思う。
でもそうじゃなくて、恋愛とか結婚は、お互いに関係を創作するものだとしたら、これは非常に難儀なことである。
誰にでもできることじゃない。
あと、大正時代とかは、お手伝いさんとか含めて15人ぐらい一人男が働いて「家族」を養ってたけど、サザエさんの時代は2人男が働いて、5人ぐらい養うになって、クレヨンしんちゃんでは2人になる、と。
これって段々貧しくなってるともいえるよね、というのも面白かった。確かに。
とはいえ、こういうのも反論あるものなんだろうか。ボクは普通に面白いって思ったけどなぁ。
ということで、何を言っても考えても、批判があることを考えたり思ったりして、何も言わないのが正しい、みたいになるのは、やっぱりつまらないと思う。
ボクもだいぶ丸くなって、自分のことを唯一無二の存在とは全く思わなくなった。
いや、そもそも自信のない人間だったから、昔からそんなこと思ってたわけじゃないのは書いておきたい(かっこわらい)。
ただ、「唯一無二の存在にならなければならない」ということは思っていたと思う。
例えば、思考の独自性とか。
でも、独自性とか無理だよ。どうにも、周りにあんまり物理環境では、思考レベルで一致する人っていなかったんだけど、でも、広いネットとかでは、共感する人とかもたくさんいると分かった。
その「たくさん」が、統計的なたくさんなのかは分からないけど。やっぱり少数なのかもしれないけど、それはもうあまり気にならなくなった。
要するに、自分は別に特別じゃない、ということだ。
世界が本来秩序立っているというのであれば、その秩序に従えばよい。
いやあるいみ、共産主義国家は、秩序がしっかりしていて、「成功」なのかもしれない。
某国ですみたいとは全く思わないけど、そこはそこで、ある程度衣食住が保障されている国であれば、共産主義自体は悪いことではないかもしれない。
何故なら、大半の人は平凡だからだ。
でも生き方というのが、国家に決められるというのは、やっぱりおかしいと思う。
ただそれは、「国家」だからおかしいと思うのであって、「神」とか、「人工知能」だとかだったら話が違うと思う。
(まってね、今書いてるのは、「秩序がある」という前提での仮定の話だからね。この挿入しとかないと、自分でも後から読んで誤解しそう)
完全に正しい導きがあるなら、むしろそれに従うべきだと思う。
その方が相対的に幸せなのだろうから。相対、総体、どちらも。
でもそうじゃない、世界は、カオス、混沌である。
だから、国家なんてましてや正しい選択をできるわけがないし、人工知能だってそれは同じである。
ただ、人工知能の優れたところは、「正しそう」という推論を、ある程度の確度でできることだと思う。
あと、納得感が違うと思う。
これは感情面だけど、「偉い人に決められたこと」よりも、無生物の例えば法律とか、そういう感情などがないものの決定の方が人は従いやすいと思う。体育会系は別だろう。差別的ないい方をあえてしてるのであって、本当にそう思ってるわけじゃないが、「合理性」を優先する人間であればあるほどに、「ただしらしさ」には盲目的に従ってしまうと思う。
恋愛する、結婚する、そういった選択も含めて、人それぞれの正解がある。
その正解というのは、大事なことは、「環境」要素も大事だということだ。
自分という存在が確固した、不動の要素であるならば、答えもあるだろう。
しかし、自分自身も変わるし、環境も変わる。
どっちなんだろうね? 変わるのは、自分なのか、環境なのか。卵鶏論みたいな感じになるが、興味深いと思う。
自分が変わるから環境が変わるのか、環境が変わるから自分が変わるのか。両方だろう。
だから、「考えること」は、他人任せにはできないのだ。
いくら考えても、死ぬときは死ぬ。
それが早いか遅いかだけだ。
寿命が知れたとして、病気とかじゃない限り、知りたくはないと、思う。
健康なうちはね。
毎日痛みで苦痛で、という状況なら、いつ終わるのか早く知りたいと思うかもしれない。
そう、最近思うこととしては、やっぱり「健康」が一番だと思うのである。
死にたい死にたいって思ってた10代ぐらいとは違って、最近は生きていてもいいかな、っていうのが基盤になっている。
これは大きな変化だと自分では思っている。
生きることが前提としたときと、死んでもいいと思っている時の思考って別物だと思う。
だから、10代のころの自分の書いていることと、今とを比較したときに、「言葉」として同じことを書いていたとしても、その意味していることが同じとは思わない方がいい。
しょせん、言葉は、現実を思考のために都合よく切り取っているだけである。
言い方をどうしても、辛辣に書いてしまうのがボクの文章の癖だなぁ(かっこわらい)。でもその方が後から読んで面白いから、仕方ない。
いや、都合よく切り取れるって、そんな否定的に書いたけど、これってすごい発明だとボクは思っている。ただ、このことを書かないと伝わらない。だから言葉って難しい。
逆に、他人に理解してもらおうとあまり思わなくなったのも良い方向だ。30%でも伝わったらもう、それは嬉しいぐらい。
弱いもの(女)を守って死ぬことが男として最高の生き方であり、女はすごく泣いて感謝してくれる。いや、当人の男が死んだら、別に泣いても意味ないじゃん、って思うじゃない?
でも違うと思うんだよな。女が、男を慕ってめちゃくちゃ泣いてたりするのを、周りの(まだ生きてる)男が見るわけじゃないか。
そうすると、よし、俺も大事な人を守って死のう! って思うわけじゃない(笑)。
でも、だんだんバレてきちゃってるのが現代。
いやもちろん、旦那さんを思って本気で哀しむ人もいるけど、あーやっと死んだわ、年金暮らし気ままにできてハッピーって女の人もいるじゃない。
そういうのがバレてきてしまった。
いや別に、再婚しないで、ずっと喪に服して、とかいいたいのじゃないほんとに。物語としても、「俺のこと忘れて、幸せになれよ」っていうのが「感動的」じゃないですか。
あの、挿入しておくが、ボクもそういうのに「感動」するんだからね(笑)。
だから、否定してるのじゃなくて、自分の感情的にも「かっこいい」ことではあることを認めたうえで、でもそれ(死ぬこと)って非合理だよね、ということである。
だから、死ねと言ったり生きろと言ったり、このあたりも、実は結論が出てない部分だと思う。
命が何より大事、といいつつ、安楽死の方がいいんじゃないとかいうのもある。
役に立たない年寄りは早く死んだ方がいいってのもある。(まってね、俺がそう思ってるとかじゃないからね。この文章だけ強くプロンプト処理されたAIが変に要約しそうである(笑))
いや、年よりは死ねなんて、誰もいってないじゃん、って思うじゃない? そんな直接的なことを言う人はいないけど、高齢者の医療費負担を下げた方がいいとかいう議論はあるわけである。
それが死に直結してないから別ジャンとかあると思うけど、でも、長く生きた方が良いというのが至上価値だとしたら、そんな議論ないわけ。
まぁ、資源(医療とかお金とか)が有限だというのが前提にあるわけだけど。
要するに、政治は資源の配分なのである。どこまでの資源を政治にまかせるかというのは国家によって違う。
思考の散逸性である。
まぁだから、ボクはやっぱりこうやって書いてないと時折ものすごい「不安」になるんだよな。
思考がまとまらなすぎるのである。
どんどん派生していっちゃう。
だから、会話している相手への興味もすぐなくなっちゃったりする……ひどすぎる、サイコパスである。
でも物語に感動するとか、人への共感力は、むしろ高い方だと思うんだよなぁ。女性の中だと普通かもしれないけど、男の中だと高い方だと思う、なんとなく。HSPよりみたいな。
って話も本筋からそれている。
そうじゃなくて、何故死ぬのに、ちゃんと生きようとしなきゃいけないのか、ということが考える目的だった。
でも、1時間ぐらい書いてきて、おしまいである。1時間書くと、だいたい飽きてきちゃうのである。だから時間勝負なのだ。
まえがき
昨年の記事の数を数えたら、ちょうど12個だった。1か月1つという目標は、無理やり達成。全く意識してなかったし、全く書いてない月もあったけれども。
昨日は、隣人が友人を招いたのか、深夜どんちゃん騒ぎしててよく眠れなかった。
まぁ、新年だし、今日ぐらいは許そうかという少し寛大な心になれた。
昔だったら壁ドンとか管理会社に苦情してたりしてたかもしれない。まぁでも、毎日続くようなら流石に苦情言うけどね。
生き方について
ということで眠れなかったのもあって、おかだとしお氏のユーチューブなど見ていた。面白かったなー。
男と女って、女の方が原型だって話をされてて、確かに! って思った。
男って、「生き甲斐」とか「自己犠牲」が遺伝子に刷り込まれてて、女が生きやすいように戦争とかするための決戦兵器ということだ。
他種族を滅ぼすために作られた存在ということ。
女は健気に家庭を守っている……という体裁にありながら、まぁでもよく考えたら、危険な戦いや狩りに行く男の方が死にやすいよね。生物的な価値を、「生存」とおくのであれば、男の方が不合理な役割を課せられている。
一方で、男は男で、それを「男らしい」というか、価値だと思っていて、か弱い女性を守ることを逆に生きがいとか、幸せに感じる、と。
上に書いたことは完全な引用じゃないから、主旨を誤解しているかもしれないが、少なくても、1.5~2倍速で見てたらそんな感じでは理解した。30分の動画も15分で見れるから動画ってほんといいと思う。
曲とかじゃないと、人の会話って、1.5~2倍で聞けるんだよなぁ。
別に、自分の頭の回転が速いとか言いたいわけじゃなくて、たいていみんなそうだと思う。ただ、これも岡田氏が別の動画とかで言ってたと思うのだけど、頭の回転のギアを落とした方が、「トルクが強い」コミュニケーションがとれるということだ。トルクがあるというのは、動かす力が強いということ。回転数をあげると速度は速くなるが、トルクは弱まる。高速な思考というのがもてはやされるけれども、ゆっくりで、でも、相手の気持ちを汲むのも大事というのが、「サイコパスおじさん」とか自分で言っておいて、んー、なるほど、人の気持ちもちゃんと「理解」はできる人なんだなぁと思わされる。頭のイイひとだなぁとは思った。
生理的に嫌いという場合も
あんまりボクは、「嫌いな人間」というのがないのだけど、「決めつけ」てくる人というか、俗に言えば体育会系は苦手。いやもちろん、体育会系でも良い人いっぱいいるし、そういう友達もいたけどね。
でも、やっぱり理屈っぽいひと、の方が好きだと思う。
かといって、ボクが理屈っぽいかというとそうではなくて。だいぶ感情よりだとは思う。
というかなんか思うに、「男らしさ」「女らしさ」でいうと、ボクは女性に近いと思うんだよな。
いや、気持ち悪いこと言ってるのは分かっている(かっこわらい)。
数年前から、もう、このブログに置いてあまり書けないことがなくなったが、さすがに気持ち悪いと思って書いてこなかったけれども、まぁ割と前から思っていた。
俺は、男っぽくはない。
そんな風な状況で、上の岡田氏の動画において男って決戦兵器なんだよな、という説明がしっくりきた。
つまり、男という生き方は不合理であるということだ。生物的にはね、という。
別に、男に生まれたから不幸せとか、自己犠牲しなきゃいけないとかじゃないし、ただ、そういう傾向があるという知識というか、考え方は面白いと思うよ。
あ、というか、この小見出しって、岡田氏のこと嫌いな人もいるんだろうな、ということを書きたかった。
なんか、ネットやってると、「批判」ってのがすごく目立つ。
本とか読んで、「おーすごい」って思ったことも、ネットで調べるとたくさん反論あったりして。
んで、その反論もなんか「わかる」って思ったりすると、何信じていいの? って気持ちになって、何かやる気が落ちるという現象、なんか分かる人いないかしら。
創作する思考することを他人任せにしない
あと、結婚とか恋愛って、「買い物」じゃない、「創作」だ、って言ってたのも「イイネ」って思った。イイ女(男)がいて、それを自分も買えると思うから訳が分からなくなる。もちろん、円としてのお金で買えるものではないのは誰もが分かってると思うが、「自分磨き」とか、容姿とか先天的なものも含めて、自分の能力をあげることによって、イイ女(男)をゲットできると、そういうことを考える人はわりといると思う。
でもそうじゃなくて、恋愛とか結婚は、お互いに関係を創作するものだとしたら、これは非常に難儀なことである。
誰にでもできることじゃない。
あと、大正時代とかは、お手伝いさんとか含めて15人ぐらい一人男が働いて「家族」を養ってたけど、サザエさんの時代は2人男が働いて、5人ぐらい養うになって、クレヨンしんちゃんでは2人になる、と。
これって段々貧しくなってるともいえるよね、というのも面白かった。確かに。
とはいえ、こういうのも反論あるものなんだろうか。ボクは普通に面白いって思ったけどなぁ。
ということで、何を言っても考えても、批判があることを考えたり思ったりして、何も言わないのが正しい、みたいになるのは、やっぱりつまらないと思う。
ボクもだいぶ丸くなって、自分のことを唯一無二の存在とは全く思わなくなった。
いや、そもそも自信のない人間だったから、昔からそんなこと思ってたわけじゃないのは書いておきたい(かっこわらい)。
ただ、「唯一無二の存在にならなければならない」ということは思っていたと思う。
例えば、思考の独自性とか。
でも、独自性とか無理だよ。どうにも、周りにあんまり物理環境では、思考レベルで一致する人っていなかったんだけど、でも、広いネットとかでは、共感する人とかもたくさんいると分かった。
その「たくさん」が、統計的なたくさんなのかは分からないけど。やっぱり少数なのかもしれないけど、それはもうあまり気にならなくなった。
要するに、自分は別に特別じゃない、ということだ。
特別じゃないとはいえ全く同じでもない
似たようなことを考える人がいても、でも、だからといって、自分で考えなくてもいい、ということにはならないと思う。何故か。世界がカオスだからだ。世界が本来秩序立っているというのであれば、その秩序に従えばよい。
いやあるいみ、共産主義国家は、秩序がしっかりしていて、「成功」なのかもしれない。
某国ですみたいとは全く思わないけど、そこはそこで、ある程度衣食住が保障されている国であれば、共産主義自体は悪いことではないかもしれない。
何故なら、大半の人は平凡だからだ。
でも生き方というのが、国家に決められるというのは、やっぱりおかしいと思う。
ただそれは、「国家」だからおかしいと思うのであって、「神」とか、「人工知能」だとかだったら話が違うと思う。
(まってね、今書いてるのは、「秩序がある」という前提での仮定の話だからね。この挿入しとかないと、自分でも後から読んで誤解しそう)
完全に正しい導きがあるなら、むしろそれに従うべきだと思う。
その方が相対的に幸せなのだろうから。相対、総体、どちらも。
でもそうじゃない、世界は、カオス、混沌である。
だから、国家なんてましてや正しい選択をできるわけがないし、人工知能だってそれは同じである。
ただ、人工知能の優れたところは、「正しそう」という推論を、ある程度の確度でできることだと思う。
あと、納得感が違うと思う。
これは感情面だけど、「偉い人に決められたこと」よりも、無生物の例えば法律とか、そういう感情などがないものの決定の方が人は従いやすいと思う。体育会系は別だろう。差別的ないい方をあえてしてるのであって、本当にそう思ってるわけじゃないが、「合理性」を優先する人間であればあるほどに、「ただしらしさ」には盲目的に従ってしまうと思う。
もう一つ理由を言えば自分は自分だから
もう一つ、何故、自分で考えるべきかといえば、「正解」というのは、自分用のものは自分にしかないからである。恋愛する、結婚する、そういった選択も含めて、人それぞれの正解がある。
その正解というのは、大事なことは、「環境」要素も大事だということだ。
自分という存在が確固した、不動の要素であるならば、答えもあるだろう。
しかし、自分自身も変わるし、環境も変わる。
どっちなんだろうね? 変わるのは、自分なのか、環境なのか。卵鶏論みたいな感じになるが、興味深いと思う。
自分が変わるから環境が変わるのか、環境が変わるから自分が変わるのか。両方だろう。
だから、「考えること」は、他人任せにはできないのだ。
それでも死にますけども
重要な視点だ。いくら考えても、死ぬときは死ぬ。
それが早いか遅いかだけだ。
寿命が知れたとして、病気とかじゃない限り、知りたくはないと、思う。
健康なうちはね。
毎日痛みで苦痛で、という状況なら、いつ終わるのか早く知りたいと思うかもしれない。
そう、最近思うこととしては、やっぱり「健康」が一番だと思うのである。
死にたい死にたいって思ってた10代ぐらいとは違って、最近は生きていてもいいかな、っていうのが基盤になっている。
これは大きな変化だと自分では思っている。
生きることが前提としたときと、死んでもいいと思っている時の思考って別物だと思う。
だから、10代のころの自分の書いていることと、今とを比較したときに、「言葉」として同じことを書いていたとしても、その意味していることが同じとは思わない方がいい。
しょせん、言葉は、現実を思考のために都合よく切り取っているだけである。
言い方をどうしても、辛辣に書いてしまうのがボクの文章の癖だなぁ(かっこわらい)。でもその方が後から読んで面白いから、仕方ない。
いや、都合よく切り取れるって、そんな否定的に書いたけど、これってすごい発明だとボクは思っている。ただ、このことを書かないと伝わらない。だから言葉って難しい。
逆に、他人に理解してもらおうとあまり思わなくなったのも良い方向だ。30%でも伝わったらもう、それは嬉しいぐらい。
死ぬのに何故生きるのか
最初の、決戦兵器「男」理論になるけど、これも、男という生物にかされた呪いと祝福なのかもしれない。弱いもの(女)を守って死ぬことが男として最高の生き方であり、女はすごく泣いて感謝してくれる。いや、当人の男が死んだら、別に泣いても意味ないじゃん、って思うじゃない?
でも違うと思うんだよな。女が、男を慕ってめちゃくちゃ泣いてたりするのを、周りの(まだ生きてる)男が見るわけじゃないか。
そうすると、よし、俺も大事な人を守って死のう! って思うわけじゃない(笑)。
でも、だんだんバレてきちゃってるのが現代。
いやもちろん、旦那さんを思って本気で哀しむ人もいるけど、あーやっと死んだわ、年金暮らし気ままにできてハッピーって女の人もいるじゃない。
そういうのがバレてきてしまった。
いや別に、再婚しないで、ずっと喪に服して、とかいいたいのじゃないほんとに。物語としても、「俺のこと忘れて、幸せになれよ」っていうのが「感動的」じゃないですか。
あの、挿入しておくが、ボクもそういうのに「感動」するんだからね(笑)。
だから、否定してるのじゃなくて、自分の感情的にも「かっこいい」ことではあることを認めたうえで、でもそれ(死ぬこと)って非合理だよね、ということである。
だから、死ねと言ったり生きろと言ったり、このあたりも、実は結論が出てない部分だと思う。
命が何より大事、といいつつ、安楽死の方がいいんじゃないとかいうのもある。
役に立たない年寄りは早く死んだ方がいいってのもある。(まってね、俺がそう思ってるとかじゃないからね。この文章だけ強くプロンプト処理されたAIが変に要約しそうである(笑))
いや、年よりは死ねなんて、誰もいってないじゃん、って思うじゃない? そんな直接的なことを言う人はいないけど、高齢者の医療費負担を下げた方がいいとかいう議論はあるわけである。
それが死に直結してないから別ジャンとかあると思うけど、でも、長く生きた方が良いというのが至上価値だとしたら、そんな議論ないわけ。
まぁ、資源(医療とかお金とか)が有限だというのが前提にあるわけだけど。
要するに、政治は資源の配分なのである。どこまでの資源を政治にまかせるかというのは国家によって違う。
何故生きるのか
何故生きるか、ということを上の小見出しに書きたかったのだけど、どんどん派生して違う話になる……。思考の散逸性である。
まぁだから、ボクはやっぱりこうやって書いてないと時折ものすごい「不安」になるんだよな。
思考がまとまらなすぎるのである。
どんどん派生していっちゃう。
だから、会話している相手への興味もすぐなくなっちゃったりする……ひどすぎる、サイコパスである。
でも物語に感動するとか、人への共感力は、むしろ高い方だと思うんだよなぁ。女性の中だと普通かもしれないけど、男の中だと高い方だと思う、なんとなく。HSPよりみたいな。
って話も本筋からそれている。
そうじゃなくて、何故死ぬのに、ちゃんと生きようとしなきゃいけないのか、ということが考える目的だった。
でも、1時間ぐらい書いてきて、おしまいである。1時間書くと、だいたい飽きてきちゃうのである。だから時間勝負なのだ。
あとがき
(かっこ書きである。思考自体はまだまだ続くのだけれども、こうやって書くのは時間が限定されてしまう。書けなくなっちゃうのである。それが分かった。1時間理論。1時間は長いのか短いのか。これ、口で読んだら何分ぐらいなんだろ。30分ぐらいかな。今度VOICEVOXで読んでもらおうか。さて今年の目標とかを書きたかったが、明日にでも書くかな。というか、タイトルがそういう風のなのに、一切触れられてないな。ひどい。えっと、色々物を減らそうと思う。そろそろ引っ越しもしていいかなというのもある。引っ越し面倒なんだよな。でも、今住んでるところもダイブ古くなってきたからな。賃貸のメリットって新しいところに引っ越せることぐらいだと思う。本は、全部捨てようかな。ぐらいな勢いで。ブックオフとかにもっていくのももう面倒だから、雑誌ゴミの日に徐々にとか。部屋にあるのって、もう3年ぐらい読んでない本が9割だと思う。それでも捨てずらいというのであれば、1年以内に読まなかったら捨てるとか今年に決めて、来年実行するとか。来年のことを言うと笑われるのかもしれないが。音楽系のはいったん全部捨てようか。改めて始める時は新しい環境とか便利になってそうだし。作曲とかしなくなったなぁ。初音ミクとかもっとちゃんとやりたかったけど、モチベーション問題がなぁ。結局、自分の感情を表現したいから創作したいわけだけど、作業量・時間と、結果がわりに合わないんだよなぁ。だから基本的に人は、他人の作った創作物を消費するのだ。でも、創作と消費は全く違うんだよな。ほんと違う。真面目に違う。消費だけだと絶対行き詰る。生きづまる。友人や家族に多く囲まれている人は困らないが、そうじゃない孤独な人は絶対創作活動できるようになっていた方が良いと思う。一方で、創作は孤独ではできないことである。いやだって、物語に「人」って登場するじゃない。それは「人」を求めているのである。そこに主体的に関わりたいかどうか、というのはあるけれども、人付き合い苦手とかいってるオタクでも、人は「好き」なのだ。仮にそれが、支配者になって臣民を虐げるサディスト的な欲求であったとしても、でも、虐げる対象の「人」は必要じゃないか。人に生まれた以上、人とのかかわりは避けられない。いや、僕は一人暮らしでダイブ人を避けて生きられているけれども、かっこわらい。人を避けたいながらに、人を求めたいというこの矛盾。矛盾と、乖離が、人の苦しみの根源である。しかし、苦しみこそ人間の原動力でもある。苦しいから楽になりたいと「行動」するのであれば、人間とはなんと因果な存在か。欲望を手放した方が幸せなのだろうと思う。しかし、欲望を手放した世界に、苦しみがない世界に、そこには喜びもないのではないか。無。空(くう)、空(から)。無こそが真実なのか。そうかもしれない。しかし、どのみち、人間は、有限なのである。いずれ死ぬ。であれば、もう少し、つかぬまの、黄昏の狭間の時を、生きるという選択をしてもいいとは思う)
今日の一言「寝る前にPCは良くないらしい」
流れで、ChatGPTも先ほど触れてみた。
これも面白かった。
洋楽で、「こんなアーティストが好きなんだけど、おすすめ教えて」っていったら、下のがでてきて、確かに好みだった。すごい。やるじゃんGPTちゃん。
https://youtu.be/BIk3u0zVEvo?feature=shared
いわゆる「一般論」を知るのにはすごく良い気がする。それに対して、自分がどう考えるのかとか、どう感じるのかとは別にして、Wikiで調べるのとちょっと違う視点で情報を得られるのが良いと思う。
Wikiと違う点は、「視点」をいくつも提示してくれることだと思った。
ChatGPTは、例えば、睡眠って何時間必要なの? と聞くと、成人は7時間~9時間です、と、一般論を答えてくれた。
でも、それだけじゃなくて、「まぁ、これらは一般論で、実際は個人差がありますので、自分に合った睡眠時間をみつけることや、睡眠の質をよくすることが大事ですよ」とか補足してくれる。
さらに、「じゃあ睡眠の質をよくする方法って?」って聞くと、寝る前にPCとかスマホしないことや、朝日光をしっかり浴びることとか、……と、色々追加で教えてくれる。
例えば、ここまでの文章をChatGPTに入れて、要約して、っていってみようか。その結果を「あとがき」に書こうと思う。
著者は最近AIお絵かきの「Stable Diffution」や「ChatGPT」を試して感動し、特にChatGPTに関しては自然な日本語での対話が成り立つことや一般論を知るのに役立つと感じている。ChatGPTが提供する洋楽のアーティストのおすすめや一般的な質問に対する答えだけでなく、個別のアドバイスや視点も提供してくれ、それが検索エンジンやWikiとの違いだと述べている。例えば、睡眠に関する質問に対して一般的な情報だけでなく、個人差や具体的なアドバイスも提供してくれることが強調されている。最後に、ChatGPTの会話が成り立っている感覚が良いとして、今後も利用していくことを示唆している。
↑である。すごくない??かっこ笑い。あってるあってる。そうそうそんなことを確かに書いたのである。全部自分の文章の転記というわけじゃなくて、「今後も利用していくことを示唆している」って書いてあって、これ、明言はしてないんだけど、多分文脈から判断してるんだろうねー。すごいなぁ。確かに、今後も利用したいと思ってる。AIに心見破られてしまったよ……(笑))
まえがき
最近、Stable DiffutionというAIお絵かきを試してみて感動したと書いた。流れで、ChatGPTも先ほど触れてみた。
これも面白かった。
洋楽で、「こんなアーティストが好きなんだけど、おすすめ教えて」っていったら、下のがでてきて、確かに好みだった。すごい。やるじゃんGPTちゃん。
https://youtu.be/BIk3u0zVEvo?feature=shared
自然な日本語でしゃべるのがすごい
普通に会話が成り立つようになってるのがすごいなぁ。いわゆる「一般論」を知るのにはすごく良い気がする。それに対して、自分がどう考えるのかとか、どう感じるのかとは別にして、Wikiで調べるのとちょっと違う視点で情報を得られるのが良いと思う。
Wikiと違う点は、「視点」をいくつも提示してくれることだと思った。
ChatGPTは、例えば、睡眠って何時間必要なの? と聞くと、成人は7時間~9時間です、と、一般論を答えてくれた。
でも、それだけじゃなくて、「まぁ、これらは一般論で、実際は個人差がありますので、自分に合った睡眠時間をみつけることや、睡眠の質をよくすることが大事ですよ」とか補足してくれる。
さらに、「じゃあ睡眠の質をよくする方法って?」って聞くと、寝る前にPCとかスマホしないことや、朝日光をしっかり浴びることとか、……と、色々追加で教えてくれる。
追加感がWikなど検索エンジンと違うところ
会話が成り立ってる感じがするのがよいと思った。例えば、ここまでの文章をChatGPTに入れて、要約して、っていってみようか。その結果を「あとがき」に書こうと思う。
あとがき
(かっこ書きである。以下、要約された文章をブロッククオートで転記する。著者は最近AIお絵かきの「Stable Diffution」や「ChatGPT」を試して感動し、特にChatGPTに関しては自然な日本語での対話が成り立つことや一般論を知るのに役立つと感じている。ChatGPTが提供する洋楽のアーティストのおすすめや一般的な質問に対する答えだけでなく、個別のアドバイスや視点も提供してくれ、それが検索エンジンやWikiとの違いだと述べている。例えば、睡眠に関する質問に対して一般的な情報だけでなく、個人差や具体的なアドバイスも提供してくれることが強調されている。最後に、ChatGPTの会話が成り立っている感覚が良いとして、今後も利用していくことを示唆している。
↑である。すごくない??かっこ笑い。あってるあってる。そうそうそんなことを確かに書いたのである。全部自分の文章の転記というわけじゃなくて、「今後も利用していくことを示唆している」って書いてあって、これ、明言はしてないんだけど、多分文脈から判断してるんだろうねー。すごいなぁ。確かに、今後も利用したいと思ってる。AIに心見破られてしまったよ……(笑))
今日の一言「技術は進歩してる」
やろうと思って、中々やらないでいたけど、先日ようやく思い立って、AIイラストの生成環境を構築してみた。
導入したのは、Stable Diffusionというソフト。AIイラスト知らなくても聞いたことある人も多いと思う。
動画とか見て、構築には1時間ぐらいかかった。
動画の通りやっていくだけとはいえ、環境が若干違ったりすると上手く行かなかったりする。
「環境変数」の設定が違ったりとか、「パイソン」の異なるバージョンがプリ導入されていて、それを無効にする設定が必要だったりとか沼ポイントがあったせいもある。
そのあたりを、自分で調べて解決できたのは、WEBサイト構築とかこれまでの経験も活きたからだと思う。パソコン詳しい人にとっては簡単なことなんだろうけど、環境変数とかPATH通すとか、もうそんな単語で嫌になってしまう人も少なくはないと思う。
アマゾンウェブサービスとか、ローカル環境じゃなくても利用もできるらしいが、そちらは月額料金も必要みたい。
自分のPCは、グラボ性能が良い方(ビデオメモリ10GB)のため、ローカルでも十分構築可能であると思われた。
めちゃめちゃかわいい。自分好みのイラストが仕上がった。背景が適当感は少しあるとはいえ。笑
モデル:RaemuMix(リンク)
(ちなみに、今回のイラストは上のモデルを使ったが、DivineEleganceMix(リンク)さんも非常に素晴らしいモデルさんだった。最初に使ったのがこのDivineEleganceMixの方で、このモデルに最初に出会えたから、「すごい!」「面白い!」ってなってハマったのもあったと思う。導入動画で紹介されていた「かうんたーふぇいと?」のやつは、ちょっと絵柄が自分好みではなかったから、それしか知らなければ早々に飽きていたかもしれない。出会いって大事)
簡単に、というのが、果たして、導入に1時間かかって、使い方や設定方法など調べたりして、習熟するのにはおおよそ3~4時間以上かかっているわけだけれども、実際、イラストの生成自体は、数十秒で終わる。
上のイラストは、人物と背景を別に出力したわけだけど、それでも生成自体は1分未満である。
人物のイラストの透過などは、ペイントソフト(クリップスタジオ)で作業したりと、加工はしても、そこまでの時間はかかっていない。
そう考えれば簡単にできた、といっていいだろう。
自分の画力で、このレベルのイラストを描くとなると、まぁ、数十時間たっても、数百時間経ってもできないから、そう考えると、簡単にできた、ということになる。
ただ、大変ではあるけど、導入の細かい設定とかダウンロードしてきて、次にこのボタンを押して……とかそういう面倒な「大変」さではなくて、楽しい大変さだった。
ある程度、それなりの良いイラストはすぐ作れる。
ただ、「もっとこうしたい」「こういうのがいい」というのがあると、それを思い通り表現するのは中々難しいと思った。
良く言われている「手がうまく描けない」というのもまさにそうで、部分的な修正とかする技術も大事なのだろうなと思った。
まえがき
AIイラストすごいなーって思って、自分でもやってみようかと思ったのが、半年ぐらい前だった気がする。やろうと思って、中々やらないでいたけど、先日ようやく思い立って、AIイラストの生成環境を構築してみた。
導入したのは、Stable Diffusionというソフト。AIイラスト知らなくても聞いたことある人も多いと思う。
動画とか見て、構築には1時間ぐらいかかった。
動画の通りやっていくだけとはいえ、環境が若干違ったりすると上手く行かなかったりする。
「環境変数」の設定が違ったりとか、「パイソン」の異なるバージョンがプリ導入されていて、それを無効にする設定が必要だったりとか沼ポイントがあったせいもある。
そのあたりを、自分で調べて解決できたのは、WEBサイト構築とかこれまでの経験も活きたからだと思う。パソコン詳しい人にとっては簡単なことなんだろうけど、環境変数とかPATH通すとか、もうそんな単語で嫌になってしまう人も少なくはないと思う。
アマゾンウェブサービスとか、ローカル環境じゃなくても利用もできるらしいが、そちらは月額料金も必要みたい。
自分のPCは、グラボ性能が良い方(ビデオメモリ10GB)のため、ローカルでも十分構築可能であると思われた。
こんなのも簡単に作れる
めちゃめちゃかわいい。自分好みのイラストが仕上がった。背景が適当感は少しあるとはいえ。笑
モデル:RaemuMix(リンク)
(ちなみに、今回のイラストは上のモデルを使ったが、DivineEleganceMix(リンク)さんも非常に素晴らしいモデルさんだった。最初に使ったのがこのDivineEleganceMixの方で、このモデルに最初に出会えたから、「すごい!」「面白い!」ってなってハマったのもあったと思う。導入動画で紹介されていた「かうんたーふぇいと?」のやつは、ちょっと絵柄が自分好みではなかったから、それしか知らなければ早々に飽きていたかもしれない。出会いって大事)
簡単に、というのが、果たして、導入に1時間かかって、使い方や設定方法など調べたりして、習熟するのにはおおよそ3~4時間以上かかっているわけだけれども、実際、イラストの生成自体は、数十秒で終わる。
上のイラストは、人物と背景を別に出力したわけだけど、それでも生成自体は1分未満である。
人物のイラストの透過などは、ペイントソフト(クリップスタジオ)で作業したりと、加工はしても、そこまでの時間はかかっていない。
そう考えれば簡単にできた、といっていいだろう。
自分の画力で、このレベルのイラストを描くとなると、まぁ、数十時間たっても、数百時間経ってもできないから、そう考えると、簡単にできた、ということになる。
プロンプトの研究
とはいえ、こんな感じに自分好みの画風や、顔やスタイルにするのは、はっきりいって「大変」だった。ただ、大変ではあるけど、導入の細かい設定とかダウンロードしてきて、次にこのボタンを押して……とかそういう面倒な「大変」さではなくて、楽しい大変さだった。
ある程度、それなりの良いイラストはすぐ作れる。
ただ、「もっとこうしたい」「こういうのがいい」というのがあると、それを思い通り表現するのは中々難しいと思った。
良く言われている「手がうまく描けない」というのもまさにそうで、部分的な修正とかする技術も大事なのだろうなと思った。